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概要: 1750年7月28日、J. S.バッハ(1685-1750)は65歳で没した(写真左)。当時、すでに古典主義の時代だったため、進歩的な人たちは彼の音楽を古くさいとみなしていた。が、30年を経ずして個人の主観性を重視する「ロマン主義」が起こり、圧倒的な表現力と高度な作曲技法をもつバッハは一転して「音楽の父」とまで称されるようになった。その推進役はF. メンデルスゾーン、R. シューマン、R. ワーグナー、F. リスト、J. ブラームスなどの一流の音楽家だった。弱冠20歳のメンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の蘇演(1829)は大きな話題となり、声楽曲復活の推進力となった。普及には実用的な楽譜が要ることから、死後100年の1850年にバッハ協会が設立され、翌年から『バッハ全集』の出版がはじまった。過去の作曲家の全集出版はこれが最初だ。それにともない楽譜の収集・整理も進み、音楽学者Ph. シュピッタ(1841-94)(写真右)は古文書学的手法を駆使してバッハの生涯と作品を研究し、大著『バッハ伝』(1873-80)を著した。このような包括的な学術研究もバッハが最初だ。バッハは死後も「音楽の父」にふさわしい活躍ぶりだ。
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(デザイン:池田佳織さん)
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