Mail Interview
近年,インターネットの普及とその内容の充実はめざましい.なかでも,この「生活環境化学の部屋」のホームページには,高校生から企業,一般の方まで化学に関心のあるさまざまな人たちが訪れる.ここでは「環境ホルモン」,「“分子の形や性質”学習帳」などいろいろな情報があり,また化学を好きになり,より理解を深めてくれそうなさまざまな試みが行われている.今回は,このホームページを運営している本間先生にメールでお話をうかがった.
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ecosci.jp 主催
本間 善夫さんに聞く
インターネットによる知の共有への試み
相互協力によるホームページの進展は
インターネットの仕組みそのもの
Q そもそも,先生はいつごろ,どのようなきっかけで,インターネットでのホームページ作製を始められたのですか?
A 実験データ整理のためにパソコンを使い始め,学生の卒論研究でも教育用プログラムやデータ集をつくってもらっているうちにそちらが仕事の中心になってきて,せっかくなので,できたものを化学ソフトウェア学会*1の無償利用ソフトウェアやパソコン通信のフォーラム「化学の広場*2 %1」のデータライブラリーに登録していました.
1995年に新潟で開かれた化学工学会のシンポジウム「暮らしの中の化学工学」で発表させてもらう機会があり,そこで実行委員をされていた伊東 章先生(新潟大学工学部%2)といろいろな話をするうちに,過去のデータを活用してホームページをつくることを勧められました.伊東先生はご研究のかたわら,先駆的なウェブサイト「化学工学資料のページ*3」を開設されていらっしゃったのです.拝借したHTML#のサンプルを参考にして見よう見まねでつくっては(当時は解説書もありませんでしたから),伊東先生のサーバーにデータを置いてもらったのがそもそもの始まりです.
それ以前から,情報機器展示会のデモでモザイク#を見て,世界中がつながっているうえにカラー画像を表示できるハイパーテキスト#の魅力を感じていましたが,自分がホームページを開設したりインターネットがこんなに急速に身近になったりするとは夢にも思っていませんでした.もともと化学を苦手とする学生の多い女子短大という場で,化学関連データを視覚化してその面白さを知ってもらおうと腐心していたこともあり,ハイパーテキストは願ってもないツールでした.
職場は当初インターネットに接続されていませんでしたので,1996年にNIFTY
SERVE(現 @nifty)でダイヤルアップPPP接続サービス#を開始したのを機に自宅で利用を開始し,同年に新潟市内でも商用プロバイダーが営業を開始したのに合わせて手もちのデータの多くをHTML化・画像化し,自力でホームページを開設できました.そのときに現在の主要コンテンツ「“分子の形と性質”学習帳」で用いている分子表示プラグインソフト#のChemscapeChime*4(以下Chimeと略記)も利用しようとしたのですが,データを置くサーバー側の設定変更が必要であったことと,転送できるデータファイル数の上限があって困っていたところ(現在はどちらも解決しています),インターネット版【理科の部屋*5】を運営している渡部昌邦先生から「こちらのサーバーを使いませんか?」という神の声のようなメールが届き,分子事典のデータはそちらに置かせていただいて,どうにか目的とするものを世にだすことができました.なお,Chimeのことを知ったのは,前出「化学の広場」シスオペ#の木本博喜先生が,電子会議室に海外からの情報を転載してくださったのがきっかけでした.
その後,より多くの方に化学への関心を高めてもらいたいと思い,教材のほかにトピックス的なものを随時追加していたのですが,ダイオキシンや環境ホルモン(内分泌攪乱化学物質),化学物質過敏症などの問題が社会で大きく取りあげられるようになり,自分自身でその詳細を知りたいと思って勉強や情報収集をしながら得た成果をページに掲載していくうちに,環境問題を扱ったコンテンツの比重が高くなってきているというのが実状です.
このように,いろいろな方の援助や情報でどうにかページ運営を続けることができているのであり,それはまさにインターネットの仕組みそのものだと思っています.
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分子を自由に動かせるChimeの登場
Q いまお話にでてきた「“分子の形と性質”学習帳」はどんなページなのでしょうか.
A 「“分子の形と性質”学習帳」は,さまざまな化学データを可視化した教材の提示を目的としており,その主題の一つが“分子と分子の相互作用”です.当初は自作プログラムなどで作成した静止画像が中心でしたが,分子表示プラグインのChimeが登場してからは,マウスで自由に分子を動かして見ることのできる“分子事典”などがメインになってきました.MS-DOSの時代にも多くの研究者が分子モデル表示プログラムを開発しましたが,通常のパソコンのスペックでは分子のリアルな表現やアニメーションには限界がありました.それがChimeでは簡単にモデルの形式切り替え・回転・多様な分子情報の表示などができるのですから,最初に見たときは驚愕しました.早速,表示可能な分子データ形式を調べ(この点では以前からいろいろ苦労していたことが役立ちました),手もちの分子モデリングソフトのデータをその形式に変換するプログラムをつくってデータ集を作成し,公開にこぎつけることができたわけです.
その後もHTMLの埋め込みタグ#で,Chimeの機能を活用した教材作成を楽しみながら続けているところです.“分子と分子の相互作用”という観点において,分子の親水性・疎水性は多くの分野で重視される因子ですが,Chimeで分子を見比べることにより,初心者でも容易にその意味を把握することができるでしょう.たとえば環境ホルモンと考えられている分子は疎水性であることや,親水性ビタミンと疎水性ビタミンの区別などです.
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本・インターネット,二つの取組み
Q この「“分子の形と性質”学習帳」にさらにデータを追加して“本”〔『パソコンで見る 動く分子事典』(CD-ROM付き)〕となって発売されました.これは,インターネットとは別に従来の「本・書店」という経路をとって,読者の手に届けられたのですが,両方を経験されて,それぞれどんなことをお感じになったでしょうか.
A 書店に行って本の背表紙を見てまわると,ときどき本のほうから呼びかけてくれることなんかがあったりするので,書店での本探しも好きです.一方,最近増えてきているインターネット書店のほうは,キーワードで検索できるという利点はありますが,そのような従来の書店の魅力はまだ少ないかもしれません.ただしインターネット全般に関しては,あるデータを探していて,探し物とは関係のないすごいサイトを見つけてうれしくなるようなことはよくありますけれど….
ウェブ上にホームページが飛躍的に増えてうれしい反面,探しものがなかなか見つからなかったり,同じような内容が重複して掲載されていたりするという現実もあります.リンクを張り合うなど,情報の交通整理をすることも必要だと感じています.
ウェブ上のコンテンツを学校や家庭で教材にする場合,通信費などが高いという事情もあって,じっくり見るにはまだまだ環境が整っていません.ページをつくる側も,たとえばある分子モデルについて伝いたいことをすべてテキストにして提供するにはたいへんな労力が必要です.そのときに,教室であれば教師が授業の目的や生徒のレベルに合わせた補足説明をしたり,ほかのサイトを紹介したりすることが可能ですから,教材としてはウェブはやはり補助的なものと考えるべきでしょう.
今回,「化学の広場」のスタッフでもあり,強力なサイト「おもしろ有機化学ワールド*6」(p.24 参照)を主宰している川端 潤さんの協力を得て『動く分子事典』を発刊できたことは,理科離れが懸念されるなかで化学・分子の面白さを広く理解してもらうきっかけの一つとして,とても有意義なことだったと考えています.パソコン保有者が増えていますから,CD-ROMと本を読み合わせながらじっくり分子とつき合ってもらうことができます.日本ではインターネット利用者がまだ2割に達していませんので,CD-ROMでハイパーテキストとChimeの醍醐味を体験してもらえるのが最大の利点かもしれません(Chimeなどのソフトウエアも収録しているので,これらをダウンロードする必要もありません).
専門家はもちろん,文系の方にも興味をもってもらえるチャンスになれば有難いですね.ブルーバックスは科学書の中では多くの書店に並んでいるシリーズなので,専門外の方の目に触れる機会が多いのもメリットです.化学のホームページなんて見ようと思わない方も手にしてくれる可能性が高いですから
(^ ^).将来は化学のほうに進もうという中学生・高校生が少しは増えるかもしれないなどと夢みたいなことも考えたりしています.
CD-R#も安価になって,自分でCD-ROMを作成して配布することも可能になっていますが,それを多くの方に広報して郵送で配布することを考えると,個人でできることには限界があるでしょう.「本・書店」というシステムは知の共有のうえで今後も重要で,今回のようにウェブ上の有用な情報・データを書籍や電子媒体というかたちで出版していく,あるいはその逆の試みも今後は増えていくでしょう.なお,本文記載データやCD-ROM収録データのチェックを科学図書専門の編集者に手伝ってもらえたのも大きなメリットでした.
本の企画自体,ホームページを見た出版社の方からいただいたもので,今回の出版そのものがインターネットと従来からの書籍出版の融合だと捉えています.著者2名と編集者の間で600通を超すメールがやり取りされ(現在も最新情報を交換中),テキスト・分子データ(二次元およびChime形式)・書籍用画像を添付するなど編集作業自体もインターネットの産物です.ただ企画から出版まで1年半かかり,これは文章の執筆(前述の教室ならば教師が補足できるという役割を著者が担うことになる)とCD-ROMに収録するデータの計算・チェックなどに時間を要したためですが,進展著しい化学の最新情報を盛り込みたい場合には,インターネットの即時性と比べれば若干遅れをとってしまいます.増刷になれば現在ページ上で更新しているデータも追加できる可能性はありますから,この点でも連動はある程度可能でしょう.また書籍は出版すれば通常訂正ができませんが,ウェブ上で正誤表を掲載したりメールや掲示板で読者の声を取り入れたりできる点も今までになかったことといえます.
→ 図の元ページ:『パソコンで見る動く分子事典』のアナウンスページ |
→ 図の元ページ:「リンクの意義,“ノード”の役割」のページ
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時々刻々と変化する情報を捉える
Q ホームページの利用状況などについても分析をされていらっしゃいますね.
A アクセスログという仕組み自体が面白いと感じていて,その分析はまだ厳密にはやっていませんが,各コンテンツの利用状況の変化がデータの更新頻度やそのテーマに関する社会での関心の変化,インターネット利用者の増加などとどう関係しているのかをある程度把握しておくのは,情報発信者として意味があることだと考えています.また,化学教育の分野で学会発表すると,実践に対する効果をよく質問されるので調べているという事情もあるのですが,思わぬデータが多数利用されているなど意外性があって面白いですね.小説などが作者の意図しない読まれ方をすることからすれば当たり前のことですけれど.
化学を楽しむことのできる世代を
Q 先生ご自身は,これからインターネットを通して,さらにどんな試みをされたいとお考えでしょうか?
A いろいろ手を広げすぎて定期的な環境情報や化学トピックスの追加・更新もままならない状態のうえに,最近はインターネットの技術の進展が目覚ましくて情報誌を見てもほとんど理解不能になってきていますが,Chimeが登場したときのようにまた面白いツールがどんどんでてくる可能性も高いので,それを楽しみに待ちながらやり残していることを地道に続け,JavaScript#などにも取り組んでみたいと考えています.Chimeを使った教材に関しては,いいアイデアをたくさんおもちの方も多いでしょうから,協力して新しいものをつくってリンクし合えれば有意義だと思います.また,ウェブ上で「好きな分子・気になる分子」というようなアンケートを取って掲載していくのも,分子に対するアレルギーを減らしていく意味で有効かもしれません.
なお,Chime版分子により高分子について楽しく学べるMacrogalleria*7では,英語以外の各国語版も公開されていて,日本語版も作成中と聞いています.国内の日本語のChimeを利用した化学教材も,いろいろな言語に翻訳されれば国際貢献になると思います.
また,これは夢なのですが,私のページや「動く分子事典」を見た中学生・高校生が入学してきてくれて,過去の卒業生に負けない仕事をしてくれるようになったらうれしいですね.映画やゲームソフトなどと同じように,ホームページづくりも脚本・演出・美術・音楽などさまざまな能力を結集する共同作業が必要だと考えており.これは学外の方との連携でも可能なわけですから,化学とインターネットを自由自在に使いこなせる人材が増えてきて欲しいところです.
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想像を超える今後の可能性
Q これからインターネットの利用によって,研究や教育の状況はどのように変わっていくとお考えでしょうか?
A ほかの国に遅れてはならないという国や文部省などの方針*8もあって,研究・教育分野でのインターネット利用はさらに加速するでしょう.スタッフや予算・施設などが潤沢なところは多くなく,教育用コンテンツでも個人のボランティア的な活動によるものが少なくありません.官製や企業によるプロジェクトなども多くなるでしょうが,インターネットならではの自主的な活動も引き続き大きな位置を占めると思います.それらをきちんと評価していく態勢づくりも不可欠です.
大学はLANが完備しており,インターネット利用という面では多くの方がたより恵まれていることも多く,最近は研究者自身や学生の協力を得て情報発信してくださるサイトが急激に増えてきています.多くの研究者が研究成果や講義・演習の資料を電子化しているはずですから,それを少しずつ発信したり,わかりやすく解説したりするような習慣がさらに広がってくればいいと思います.小・中・高校生がそれらを見て,自分の進路に夢をもてるようになれば最高です.
そのためにも既存のコンテンツはお互いにリンクを張って共用・補強し,まだ取りあげられていない分野のコンテンツを協力し合って順次充実させていくための情報交換も重要になっていくと考えています.人と人のつながりこそインターネットの財産なのですから.
私の少ない経験からも,5年前には思いもしなかった仕事をしているので,次の5年後に何をしているか,あるいはインターネットの世界がどうなっているのか,本当に楽しみでなりません.
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【謝辞】本インタビューをまとめてくださり,最終稿のデータをご提供くださった化学同人編集部の岡田由美子さんに深謝致します.