スタ研では区商連青年部と共催で99年11月16日、京都市の西新道錦会商店街振興組合と滋賀県長浜市の中心商店街視察会を実施した。参加者は16人。
過半数が日帰り希望ということで、新幹線を利用、東京駅出発が午前8時、帰着は午後11時というハードスケジュールだったが、両地区とも今後の商店街づくりに大いに参考となる考え方、事業展開を伺うことができ、特に、リーダーのまちづくりにかける情熱に、殆どの参加者が大いに刺激を受けた様子だった。
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京都市・西新道錦会振組
徹底した地域密着路線で、高齢社会と高度情報社会に挑戦 |
最初の目的地、西新道錦会商店街は京都駅からタクシーで5、6分。壬生狂言や節分祭で有名な壬生寺が500メートル西にあり、以前は京友禅の職人さんたちが大勢住んでいたという住宅地の中の商店街だ。タクシーの運転手にも知らない人がいて、京都での知名度は今ひとつという感じもした。
FAXによる情報発信・受注と宅配、年間数億円を売るというプリペイドを中心とした多機能カードなどで商業関係者の間では全国的に知られた商店街だが、外観は普通の商店街(というか昔風の食料品中心の商店街)。店舗こそ密集しているものの、個々の店の規模は小さい。食料品店を中心に約150店あるが、売り場は平均すると10坪あるかないかの家族経営の店が大半だ。幅5、6メートルの道路はアスファルトで、入口のアーチもうっかりすると見落とすほど簡単なもの。
しかし、商店街そのものは活気がありそうだ。午前10時半頃に着いたが、あちこちの店で常連らしいお客さんたちが店の人と立ち話をしていたり、道路で会った知り合い同士が世間話をしたり、と中高年の女性を中心にしっか
りと固定客を持つ店が多い、という感じがした。道幅が狭く、殆ど車が通らない通りなので、商店街そのものが井戸端会議の空間になっているとも言える。このあたりに本来の商店街らしさを持つことの強みを感じた。
それにしても、商店街をちょっと歩いているだけでは、どこが先進的なのかわからない。しかし、11時から伺った安藤宣夫理事長の話は、「すごいことを考え、やろうとしている商店街だ。これからはこういうことに取り組んで行くべきなのかもしれない」と思わせる説得力、迫力があった。
■安藤理事長の話
iE手にロマン、左手にそろばん
このあたりは京友禅の職人のまちで、京友禅の生産量は昭和 年の段階で600万反もあった。ところが昭和56年には200万反、平成8年には17万反と激減した。当然、職人も減り、購買力は大幅に落ち込んだ。しかし、加盟店の売り上げにつながる事業を商店街として積極展開したこと、大阪や神戸などに移転した住民の一部が、「やっぱり、住みやすいまちで」と戻るなどでマンション住民が増えたこともあり、売り上げを伸ばす店が80数店、減らした店は20数店と格差はついているものの、忍耐と意地で21世紀に取り組む力がついたと思っている。
半径約1キロの六角形商圏に1万2000世帯約4万人が住んでいる。1世帯の年間消費が190万円と言われるので購買力は220億円。西新道はそのうち65億円を確保している。
時代を担う青年部には、「右手(地域づくり)にロマン、左手(商売)にそろばんを」と言っている。
行政に対しては、依存するのではなく、事業主体を明確にし、21世紀に対応する事業を我々から提案し、それに対する支援を要請していく。
bbATVへの対応を視野に
これからの商店街は、高齢化社会と高度情報化時代にどう対応するかがカ
ギだと思う。
これからは、ケーブルテレビの時代になるだろう。京都では、4社が1社にまとまってデジタル放送にする動きがある。我々もそれに参画してFAXネットからテレビショッピングに発展させたいと考えている。商品を見たり注文することは受像機につけたタッチパネルで簡単にできるようになる。決済は電子マネーになる。だから、直接的にモノを売買する囲いこみではなく、信用信頼をどう売るか、という新しいマーケティングが必要とされる。
そこで我々は店番商売から新しい御用聞きを構築したいと考えている。
mD調な伊勢丹、中心商店街に影響 デビットカードは不調
昨秋、京都駅に伊勢丹が開店した。大変な衝撃。3万2000平米で480億円の売り上げをあげた。大型店の1平米の年間売り上げは100万円。だから伊勢丹の計画は320億円と見られていたが、その5割増しの売り上げをあげた。480億円だから衝撃は大きい。5%引きから始め、年間100万円以上の購入があると翌年から10%引きとなる伊勢丹カードの威力もある。
他の百貨店は、駅に近い近鉄以外は善戦している。中心部専門店の影響が大きい。
中心部では9月1日からデビットカードを始めたが、利用は少ない。観光客の殆どがキャッシュカードを持っている。それで買い物するという発想はいい。しかし、都銀のカードはあまり使えないことやプレミアムがないことなどで、あまりふるわない。一般のクレジットで買い物すれば後払いだし、カード会社の特典もある。
カードは、(1)買い物に使う(2)商店街のサービスを受ける(3)商店街の事業に参加する、の3つの特典があることで消費者にとってわかりやすく、魅力あるものとなる。
tN間40の経済事業 参加、不参加は組合員の自由
シールの年間売り上げはポイントと合わせ7000万円。50枚貼りで1枚100円で使える。有効期間は1年で、3月1日から2月末まで。ただし、新シールは2月10日頃から発行し、2月中は旧と新のスタンプ張り合わせは認めている。ロスは約400万円で歳末売り出しなどに使っている。
西新道のカード稼働は、1日に1000回以上ある。
プリペイドは、1万円入金ごとに4%のポイントを組合負担でサービスする。加盟店は換金すると5%の換金手数料を負担する。 97年度のプリペイド入金は3億円強。今年度は3億5000万円。今世紀中には10億円を突破すると期待している。通常4%のプレミアムだが、5%のプレミアムをつけると入金額は大幅に上がる。
プリペイドなど商店街の事業を利用した店は売り上げが発生する。しかし、負担もしてもらう。それで、組合員に商店街事業への参加を強制はしない。
商店街はバックヤードとして、組合員が利用できる事業をどんどん用意する。しかし、それを利用するしないは組合員の自由、という考え方で事業を進めている。だから、一部の組合員が反対するから事業を行わない、ということはあまりない。
qg織運営 委員会は年100万円の利益を義務
全体で50人の役員がいて、5つの委員会に分けている。1つの委員会は年間8つの事業を1200万円の予算で行う。委員会には100万円の利益と新規事業を1つ毎年考えることを義務づけている。だから、年度末に5つの新規事業と500万円以上の金が出てくる。委員長は大変だが先に情報を得るので得もある。
qg合は利益をあげ、個店は販促につなげるイベント
海外旅行(隔年)や国内1泊旅行、ダンスパーティー(年2回)などの招待イベントを続けているが、ディスカウントはせず、多少だが、利益をあげている。
安全、安心、豪華の3条件があれば、消費者は参加する。例えば、ダンスパーティー。都ホテルという京都の一流ホテルで開催するが、食べ放題、飲み放題、生バンドつき、大学のダンスクラブの学生20人をパートナーとする。これで、参加費は1万数千円。1人当たり2000〜3000円の利益が出る。このほか15分の休みを4回とるが、この時間を4つのダンス教室が10万円で買い、発表会をやる。PRになるからだ。この企画に40歳以上の女性200人が参加する。この企画は10年近く続いている。
このイベントで参加者は、練習用と本番用の靴を使う。化粧も念入りにする。ドレスも新調する。だから一生懸命になって参加する組合員がいる。海外旅行でもそうだ。事前説明会には、カバン屋がメーカーを連れてきて売り、利益を得る。盆踊り、チャリティーバザー、もちつき大会などのイベントは、シルバー会、青年部、婦人部、地域の方々と実行委員会をつくり組合と共催するものもある。
pZ透しつつあるFAXネット
5年前から対応を始め、通産省へ直接提案し、97年度に1850万円の補助金がついた。97年度のFAXネットの売り上げは1億円に近づいた。
3000所帯にFAXを登録するのが目標。今はまだ700台程度。最初は、「紙代がもったいない」からと登録しない消費者が多かったが、「地域消費者の生活に必要な情報を流す一方、グループ間の連絡などにも使える生活ネットワークシステム」と説明、徐々に利用者が増えている。
少年野球チームやママさんバレーチームなどが団体で登録しているが、その連絡をFAXの同報送信機能を使って行う。団体の役員は、事務局に原稿をFAXや持ち込みで出してくれれば、後は事務局で代行する。家庭用FAXではこの機能はついていない。だからいろんな団体が安心して登録する。
これは組合員も使える。例えば、登録しているお得意さんに、何らかのサービス情報をFAXで送るといった場合だ。
また、病院や工場、事務所など約40の事業所なども登録しており、しばしば大口の注文をしてくれる。配達は基本的に商品を売る店が行い、その店が忙しい時は事務局がする。独居老人などへの配達などについては、まちの若い方に登録していただいてボランティアとして協力してもらっている。
注文のあった店は手数料として売り上げの5%を組合に支払う。
地域住民と行政、商店街の役員のほか地域の企業の社長や店長、病院の事務長など約60人でFAXネットの運営委員会を開いている。NTT、ムラテック、オキ電気などの企業も入っている。システムの改良のためだ。
このFAXネットには、JTB、金融機関などから情報ボックスの情報提供者になりたいという注文がきている。FAXネットの情報ボックスには、A4判で3万ページ入り、登録会員が増えつつあるからだ。情報ボックスの原稿は、インターネットなりFAXで簡単に入替えできる。このため、「どう商店街の情報を引き出すか」がわかるFAXネット読本もつくった。それを3000世帯に配る。
行政にも入れてもらうよう提唱。行政のスポンサー料は安いが、行政が入ると価値が高まる。
FAX登録が3000世帯に近づいた時には、顧客情報や経営ノウハウを出し合い、共同配送、販路開拓、新製品開発などにも取り組む。
tp業後の相談にも応じる
「後継者がいない。自分はやめたいが、問題は不動産」という人に対しては、「商店街が中に入って、借り手、買い手のあっ旋その他を損しないようにやる。店は問屋の若いやる気のある者などの独立先としてはどうか」といった提案をすることもある。
より現代感覚にあった商売をしてもらうのがわれわれの意向だ。
空き店舗の活用策として、看護婦2人と保健婦1人を配置し、病院の訪問介護ステーション(近くにはない)とし、ホームヘルパーを配し、65歳以上の独居老人にごはんを食べてもらう施設をつくることも検討中。
pシ新道錦会振組の概要
組合員 |
155
人。食料品と衣料雑貨がそれぞれ約60店、その他サービス関係。
青年部66人。婦人部110 人。ほかにシルバー会(65歳以上)がある |
賦課金 |
一律毎月12,800円。ほか中元1万円、歳末2万円の売り出し参加費。事業手数料収入2,700
万円、事業収入2,500 万円と合わせ、合計7,500 万円。65億円の売り上げの1.15%。(安藤理事長は3%までは負担できる。だからまだ余力がある、と言う) |
プリペイド |
4%のプレミアムをポイントでつける |
シール |
ラッキーシールの愛称。100円買い上げに1枚進呈。50枚で100
円で使用できる |
ポイント |
100
円に1 ポイント |
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滋賀県・長浜市 (株)゚壁
民間主導で衰退した中心街を再生 |
安藤理事長の話を聞き、カルチャーショックを受けた後は、あわただしく昼食をとり、京都駅午後2時発のJR
琵琶湖線快速電車に乗ってちょうど1時間で長浜駅に到着。中心商店街にある『まちづくり役場』へは駅から徒歩
5分ほどで着いた。
まちづくり役場は、(株)黒壁や市商店街連盟など民間の企業や団体で97年につくった組織。高齢者対策と空き店舗対策を兼ねた『プラチナプラザ』事業や、まちづくりの人材養成塾、地元放送局への協力、黒壁グループ協議会の事務局などを担当している。専従スタッフは3人で、うち2人は愛知県瀬戸市役所と大分県湯布院町温泉観光協会から(株)黒壁への出向者だ。
今回の説明役は、湯布院からの出向者、佐藤康雄氏。30分ほど黒壁の各施設を中心に案内していただいた後、1
時間半ほど説明と質疑に応じていただいた。さらに30分ほど黒壁ガラス館本館やオルゴール堂など黒壁の主要施設、中心商店街を見学した。そこから徒歩
分、長浜浪漫ビールレストランで地ビールと食事を楽しみ、帰途についた。
10年前はあきらめ状態、1時間に人間4人と犬1匹
長浜は琵琶湖北部に面し、近江と北陸を結ぶ交通の要衝にあり、琵琶湖水運の拠点都市となり、ちりめんやビロ
ードなどの特産品などを生み出し、栄えてきた。豊臣秀吉が初めて城を築いた都市でもある。町人の幹部に自治権
を与え、商人には無税とするなどの特典(楽市楽座)を与えてきたため、独特の町人文化が発達してきた。
長浜市近隣には大きな都市はなく、20年ほど前までは滋賀県北部や福井県南部から多くの人々を集めていた。買
い物や食事、芝居、映画などで長浜に出るのが楽しみで、長浜に出ることを「ハマに行く」と言っていたという。
確かに、中心部の300〜400メートル四方には碁盤の目のように商店街があり、その半分近くが全がいアーケードだ。店の数は300〜400はあるだろうか。「人口6万人足らずの都市でよくこれだけの店が」と思うほど。
これも昔の繁栄の名残だろう。
ただ、いくつかの商店街では老朽化したアーケード、シャッターが長いこと閉まったまま、といった感じの店も見られた。黒壁スクェアと呼ばれる一帯には年配グループから家族連れ、若いカップルなども目立つが、その殆どが観光客のようだ。日常の買い物、ショッピングのために来ているという感じの人はそれほど多くはないようだ。
それでも、「10年前に比べると、長浜の中心部は全く変わった。当時、市が実施した調査では1カ月の中心部の来街者数が4000人、(株)黒壁の幹部が黒壁オープン前のある日曜日の昼間試しに調べたら、1時間の通行量が4人と犬1匹で、改めてショックを受けたというエピソードが語り継がれているほどだ。やめる店が相次ぎ、もう長浜の中心部はだめ、という声が圧倒的だった」(佐藤氏)。
中心商店街衰退の原因は、(1)郊外や周辺町にスーパーなどの商業集積が増加(2)車社会になり、幹線道路沿いで広い駐車場スペースがあり、買い物も1カ所で済む大型店を望む消費者が増えた(3)中心部の有力店の多くが長浜楽市など郊外部の大型店にテナントとして出店した、など。
jマ光客集め、中心街再生のエンジンとなった黒壁
その中心部に最近では観光客を中心に来街者が増え、それに伴い出店希望者が増え、空き店舗はかなり減ってきた。全国的にも珍しいケースだ。このため、長浜市には全国から年間300団体近くが視察に訪れている。
中心部が賑わってきたことを裏付ける代表的なデータとして、(株)黒壁の実績があげられるだろう。
(株)黒壁は、観光みやげではなく、家庭生活を豊かにするツールとしてのガラス製品の製造・展示・販売を中心に、伝統ある長浜のまちをよくしていこうという市内の中堅企業経営者らの出資でできた第三セクターだ。
きっかけは、『黒壁』と呼ばれる明治時代の建物が10数年前、売りに出されることになったこと。1900年(明治33年)に第百三十銀行長浜支店として建てられ、壁が黒漆喰のため、『黒壁銀行』と呼ばれていた。その後カソリックの教会が買い取ったが、その教会も郊外に移転するため、9000万円で売却することになった。
この話を聞いた現(株)黒壁専務の笹原司朗氏らが中心となり、黒壁を保存し中心街再生に生かすため、出資者を募り、市の出資4000万円を含め資本金1億3000万円で(株)黒壁を設立、黒壁を買収し、新事業を開始した。
民間では、市内の中堅企業オーナーなど8人が9000万円を出資した。
市が一番の大株主だが、経営については民間が中心となった。
当初、3つの施設(ガラス製品の展示・即売、工房、レストラン)で始めたのが、9年後の98年には26号館までに増え、入館者も、売り上げも鰻登りに増え続けた。
nミ長のひと声でガラスを中心したまちづくりに
黒壁の活用と事業展開にあたって、金では代えられないものとして、歴史性、国際性、独創性の3つを中心にすることにした。しかし、会社設立後も具体的に何をするかなかなか結論が出なかった。
ガラスで行くことになったのは、社長の長谷定雄氏が、イタリアでガラス工房が多くの人を集めている光景を見て、「人が来ない所で事業しても無駄。客を寄せることをしないと。それには、ヨーロッパの都市で女性をひきつけているガラス工房がある。1年間ぐらいボランティアしてでも研究してはどうか」と提案したことが始まりだった。
当初、ほかの株主は「ガラスと長浜は関係がないし、素人がやってもだめではないか」と消極的だったが、長谷氏から「いつまでも決めないなら俺は会社から手を引く」と通告されたことでガラスの本格的研究│事業化に踏み切った。長谷氏は、長浜出身で、京都で貸しビル業を成功させ、長浜城建設の際には1億5000万円を寄付し、やめられると困るという人物だった。
全国のガラス産地を調査して回ったが、小樽などを含め、みやげもの中心か、芸術家が世界に一つしかないよう
な作品を自己満足的にやっているようなところばかり。ただ、女性に人気があることはわかった。ヨーロッパに案
内してくれる人がいるというので2カ月間ヨーロッパを勉強。
そこで、(1)ガラスのレベルの違いを痛感。ヨーロッパを大学生とすると日本は幼稚園(2)ガラスのお皿やマグカップなど、一般家庭で使われている食器はガラスが6割だった。日本では普通、9割が陶器などでガラス食器1割。
mナ初の成功に甘えず、次々に店を増やす
ギンギンギラギラのガラスを売るのではなく、生活文化の一つとしてガラスを売る。ガラスのレベルを上げ、売
る人間のレベルを上げていくことで、行けるのではないかと、考えた。
ガラスを生活に使うシーンを大切にしていく。手作りできるという体験コーナーや教室を設けるなどの手を次々に打っていった。
第3セクター、黒壁という歴史的建物でガラス製品を展示、即売するということで、マスコミがしばしば取り上げ、北陸などへの旅行の休憩所として立ち寄る顧客が増えた。
しかし、「3店(黒壁)ぐらいでは大都市にとられてしまう」と次の事業展開を社長が提案。そこで、長浜市が1億円。ほかに1口500万円で出資を募り4億4000万円に増資。店舗を増やしていった。
26号館のうち、直営は9館、残りは黒壁のコンセプトに共鳴したグループ店(入会金50万円、月会費2万円。13社)やテナント、共同経営など多様な形態でやっている。
黒壁1号館のある通りは北国街道と呼ばれ、昔ながらの町家が残っており、それらの住民で、歴史的な街並みを保存する協議会を結成、一部を(株)黒壁で買い取ったり、借りたりした。
cvラチナプラザ、高齢者対策と空き店舗対策
(株)黒壁の成功で観光客が増える一方、市や商工会議所も街並みの整備や空き店舗対策などに様々な手を打ち、中心商店街の人たちに自信と意欲が戻ってきた。
(株)黒壁や商店街連盟の役員らが中心となり96年には『秀吉博覧会』という半年間のイベントを展開、予想以上の入場者、マスコミで多くとりあげられたことも中心商店街に自信を与えた。秀吉博は、プラチナプラザという高齢者が運営する店舗群(おかず工房、野菜工房、リサイクル工房、井戸端会議=喫茶店)を生むという大きな成果ももたらした。
秀吉博では、入場者への案内や会場の清掃などを務めるコンパニオンを55歳以上に絞って募集した。財源難と、長浜のことをいろいろ説明するには年配者のほうがいい、という理由からだった。
その人たちの中から、「楽しかった。博覧会後も何かやりたい」という声が起こり、M黒壁や商店街連盟などの役員らが後押しして、中心部の一角、ゆう壱番街の空き店舗4店を借り、店舗を運営することになった。
高齢者約40人が、1口5万円ずつ出
資し、仕入れも販売も行う。ただし、高齢者なので、勤務時間などは交替制で短めにした。
地元企業や団体、個人からも協賛者を募り、団体・企業は1口10万円で25団体、個人は1口1万円で約50人が支援の輪に加わった。
改装費用など立ち上がり資金約2000万円は、県と市の空き店舗対策事業助成から約半分、残りは、秀吉博の
利益や地元企業等の協賛金などでまかなった。
時給は、売り上げに応じて650円から100円。
独居老人の宅配事業などをすることによって老人が老人を介助し、自らで稼ぐことによって若者の負担を軽くする、という狙い。最近では4店とも採算ペースに乗っている。人が変わったように元気になり、腰痛が直ったり、顔色がよくなった人が何人も出たという。
cRミュニティーの力で郊外店舗に対抗
「郊外の大型店と規模や価格ではなく、コミュニティーの力で競争しよう」という考え方は長浜市中心街の多くの人々に共通している。
佐藤氏も、「コミュニティーがあればまちは残る。長浜には、まちの中での立ち話の中で、話が進んでいくといったコミュニティーがある。私のいなか、湯布院よりも口コミが早いくらいだ」と言う。
また、まちづくり役場では、まちづくりの後継者塾を定期的に開くなど人材育成にも力を入れている。商業者だけでなく、一般市民、市役所職員らも個人の資格で参加している。この塾にはネットワークをさらに強化していく狙いも込められている。
bP店を底上げすれば商店街はよくなる
また佐藤氏は、「商店街の全店の底上げは不可能。しかし、1店の底上げはできる。すると3店はすぐにできる。それを繰り返していけばよくなる。要は、やりやすいところからリニューアルしていく。長浜はそれをやった。少しずつでも着実にやればコミュニティーが深まる。それが魅力、武器になる」とも言っていた。
ai株)゚壁の概要(1998年3月現在)
設立年月 |
1988年4月 |
所在地 |
〒526
-0059滋賀県長浜市元浜町12-38 |
資本金 |
払込資本金4億4,000
万円(うち長浜市が32%)
株主は44名(1,000 万円以上の株主は市を含め13名) |
業務内容 |
(1)国内ガラス工芸品の展示販売(2)海外アートガラス輸入・収集・展示販売(3)ガラス工房運営、オリジナルガラス制作販売(4)食堂喫茶の運営(5)ガラス文化に関する調査研究、イベントの企画運営(6)まちづくり文化に関する情報・資料の収集・提供(7)国際交流に関する業務 |
役員構成 |
代表取締役社長=長谷定雄(M長谷ビル代表取締役社長)、代表取締役専務=笹原司郎(琵琶倉庫M代表取締役会長)、ほか2人の常務取締役、5人の取締役、3人の監査役 |
従業員 |
27名(女性24名)。ほかに契約社員12名、長期パート59名 |
年商 |
第10期(98年3月期)8億6,202
万円前年比29%増 |
経常利益 |
同 4,123万円 前年比51%増 |
ai株)゚壁の歴史
1988年4月 |
資本金1億3,000
万円で株式会社黒壁を設立 |
1989年7月 |
第1〜第3号館をオープン。その後、直営店だけでなく、グループ店、テナント、合弁店などを含め98年末までに26館に |
1991年1月 |
北国街道沿いの住民約75人が『北国街道を守り育てる協定』を締結 |
1992年11月 |
第1次増資。新株主34社 |
1993年3月 |
第2次増資。新株主1市42社。資本金4億3000万円 |
1998年4月 |
岩手県江刺市のまちづくり会社、黒船に協力。黒壁江刺店を出店 |
1998年7月 |
神戸市のトアロード商店街の有志がつくったまちづくり会社直営のガラス工芸品店と提携、商品を供給 |
199年秋 |
全国の歴史的な景観を生かしたまちづくりのネットワーク形成を目的に株式の店頭公開を予定 |
*歴史的建物の再生による活性化などで、国や建設関係、都市計画 関係の団体等から表彰多数
゚壁スクエア一〜26号館(印は直営、1998年6月現在)
1号館 |
黒壁ガラス館(黒壁の中心施設。ガラス製品の展示販売) |
2号館 |
スタジオ・クロカベ(吹きガラスからバーナーワークまで。2階はガラス教室) |
3号館 |
ビストロ・ミュルノワール(土蔵のフランス料理と喫茶) |
B号館 |
ラウンジ12人の会議室(窓際にガラス工房で作られた作品展示) |
4号館 |
なべかま本舗(名物饅頭) |
5号館 |
札の辻本舗(長浜土産と和風ガラス各種) |
6号館 |
グラスギャラリー.マヌー(ガラスアートの企画展示を年に7、8回開催) |
7号館 |
京美術西川(アンティークのガラス製品など) |
8号館 |
翼果楼(ガラス食器で郷土料理) |
9号館 |
長浜情報観光センター(市内観光案内) |
10号館 |
黒壁ガラス鑑賞館(旧商家、醤油醸造店を買収、改造してガラス鑑賞館に) |
11号館 |
ステンドグラス館(工房も) |
12号館 |
11號館の2階に、同館持ち主が運営する太閤ひょうたんの展示と工房 |
13号館 |
スタジオサンライズ“KOKO”(トンボ玉やアクセサリーの店) |
14号館 |
カフェレストラン洋屋 |
15号館 |
クルブ Crv(キッチン雑貨とポプリ) |
16号館 |
分福茶屋(和風甘味) |
17号館 |
ラッテンベルグ館黒壁研究室(ヨーロッパの伝統工芸グラヴィール工房とガラス研究室が隣接) |
18号館 |
P.act (サンドイッチ主体のカフェテラス) |
19号館 |
毛利志満 長浜店(近江牛の店) |
20号館 |
叶匠壽庵 長浜店(大津に本店のある老舗和菓子店) |
21号館 |
ゴブランギャラリー“Rococo”(ベルギー製のゴブラン織り) |
22号館 |
そば八(手打ち蕎麦) |
23号館 |
焼き肉・ステーキ 祇園 |
24号館 |
作陶工芸ほっこくがま(みずくき青磁) |
25号館 |
納安(「祝い」をテーマとした商品) |
26号館 |
La Ferm(地酒&ワイングラス&ボトルショップ。裏手に吹きガラス工房も) |
tэ纃bニ入館者数の推移
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売上高 |
入館者数 |
1989年 |
1億2300万円 |
10万人 |
1990年 |
1億9000万円 |
21万人 |
1991年 |
3億円 |
35万人 |
1992年 |
3億400万円 |
49万人 |
1993年 |
4億1000万円 |
74万人 |
1994年 |
4億7800万円 |
88万人 |
1995年 |
5億8900万円 |
116万人 |
1996年 |
6億2880万円 |
132万人 |
1997年 |
8億6200万円 |
158万人 |
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