第2章 転落のはじまり


私はしばらくの間、風邪だと先生に連絡し大学を休みました。友達の理美がお見舞いに
来てくれた時、聞いたのですが斎藤さんは平気な顔していつものように大学に来てゼミ
に出席しているようです。理美にもホントの事は言えなかったのですが、彼女は

「なにがあったか知らないけど大学に来て卒業はした方が良いわよ」と言うのです。
時間が経つに連れて平静心を取り戻してきた私は理美の進めに従い大学に出るようにな
りました。ゼミに出席すると斎藤さんは欠席してるようで内心ホッとしたのです。
彼はなんとか卒業が出来るようになり就職活動に励んでいるとのことです。
バブルの崩壊した直後でもあり就職難の時代、彼はたいへん苦労しているようでした。
私は先生から推薦されることが内定している為、人ごとのように考えていたのです。

しかし、心の中には大きな心配事を抱えておりました。あの忌まわしい出来事のあった
日以来、毎月来るものが来ていないのです。遅れることもたまにあるのですがこんなに
遅れたことは今までありませんでした。理美にも相談しましたが早く確認した方が良い
ということで、彼女の彼氏に付き合ってもらい産婦人科にいきました。
結果はやはり最悪の状態で、私の目の前は真っ暗になってしまったのです。
子供には可哀相だと思ったのですが先の事を考えるとやはり堕ろすことにいたしました。




数日後、さらに私に追い討ちをかける事件が発生してしまいました。
週刊誌に先生の名前が出ていたのです。いつもの評論であれば問題はなかったのですが
それは大きな見出しのゴシップだったのです。内容は卒業単位と就職斡旋をエサに女子
大生を誘惑する聖職者という内容のものでした。さらに私が産婦人科から出て来るとこ
ろが写真に写っているではありませんか。名前と顔はわからないようになっているので
すが見るひとが見るとわかります。

結局、話はでっち上げである事が判明したので一段落したのですが、内定していた就職
の推薦はキャンセルされてしまいました。活動の開始が遅れた私は斎藤さんを笑う所で
はありません。最初のうちは成績が良いこともあって楽観視していたのですが思ってい
る以上に就職戦線は厳しいものでした。特に女性にとっては狭き門です。電話でアポを
取ろうと思っても採用は締め切ってしまったと門前払い状態です。それでいて後から電
話した男子学生には面接をしているのです。面接では屈辱的なこともいろいろ言われま
した。雇用均等法ってなんなんでしょう?

「貴女は綺麗で可愛いからモデルの方が向いているんじゃないですか?」
「結婚は何歳くらいでするつもりですか?」
「たいへん美人なので一般職としてなら採用出来ると思いますが」
「この会社は平均年齢が高いし既婚者が多いよ」
などなど、、いろいろ言われました。男性には将来の目的や仕事感について質問がされ
るのですが私には殆ど質問がなく、たまにある会話はこのようなものでした。

今まで私が積み重ねてきたものはいったいなんだったのでしょうか?
プライドが音を立てて崩れて行くような気がして少し投げやりになっていました。




結局、私は希望する仕事には従事することは出来ず、派遣会社のスタッフとして働くこ
とになってしまったのです。入社して半年はスタッフとして働いていたのですが不景気
が続いたこともあって間接要員の削減対象となり、私は派遣要員として登録されること
になったのです。

特別な技術や経験のない私はもちろん最低料金の登録です。グループも一般事務要員か
コンパニオン要員です。上司は私にコンパニオングループを勧めてくれたのですが仕事
の殆どがショウやデモンストレーションでミニスカートを履いてプロポーションやスマ
イルを売り物にするものです。ものによってはハイレグ水着でお風呂に入って人に見ら
れるものやパーティーなどのコンパニオンには変な噂のあるものもありました。プライ
ドを捨てられない私は少しでも自分の学んできたものを生かせる可能性を求めて一般事
務に登録していただきました。

登録してしばらくすると仕事が回ってきました。それは推薦がキャンセルされた、あの
会社への派遣だったのです。もしかしたら、運が戻って来たかも・・・・
しかし、期待は一日目で脆くも崩れ去ったのです。派遣社員に期待されているのはコピ
ーやお茶酌み、資料に目を通し少しでも勉強しようとすると、仕事が遅いと怒られるの
です。総合職の女子社員は私服なのに対して派遣社員には制服があります。それもピン
クの膝上20cmのミニスカートなのです。これでは専用コンパニオンと変わりありませ
ん。もっともこの制服は現在の派遣社員から要望を聞いて変えたばかりだそうなのです
が。

この日から私は男性社員の熱い眼差しに晒されながらの単調な仕事を余儀なくされたの
です。