聖者なんていない 終章(作:SAYさん)



半年ほども経ったろうか、その頃には、身も心も、すっかりマゾの奴隷女にさ
れていた麻衣だったが、ある日、約束の期限が来たからと、突然、服を着せら
れて、多少のお金を渡され、目隠しをされて車で都内の街角まで連れていかれ
て降ろされ、いきなり解放された。

突然の出来事に、街角に佇んだまま、しばらくボー然としてしまう麻衣だった。
何分間も、そうやって立ち尽くしていた。ひさしぶりに浴びた日射しで、目が
とても眩しかった。

ようやく気を取り直すと、渡されたお金で、半年前に売られるまで自分が住ん
でいた町の駅まで、電車に乗っていった。

ずっと閉じ込められていたため、人前にいると違和感を感じて、ひどく落ち着
かなかった。

自分の住んでいたアパートに着くと、当たり前だが部屋はあった。ポケットか
ら、返却された鍵を取り出して鍵穴に入れて回すと、ドアはちゃんと開いた・・・。


最初は、するべき事を思い浮かべることが、なかなかできなかった。

口止めされてもいなかったので、警察署に行って被害届を出した。しかし、肝
心の監禁された場所の所在地も、容疑者たちの本名も分からなかったので、警
察は、あまり信じてくれてないようだった。

近くのコンビニで暖かいお茶を買って部屋にもどり、冷たい床にボンヤリ座っ
て、飲んだ。

なんだかふいに、世界中で自分だけが、独りぼっちにされ、取り残されたよう
な孤独感を感じた。

(なんか・・・終わっちゃったんだな・・・)

仕事先は、改めて探すしかなかった。前に勤めていた会社は、ITバブルがはじ
けて規模を縮小していたため、戻れなかったのだ。

でも、離職届けを半年前の日付けでもらい、半年遅れでハローワークで手続き
をして、しばらくは慌てなくても、失業保険をもらって生活はできるようだっ
た。

しばらくは、外に出るのが怖い気がして、一人で部屋にこもって過ごした。い
わゆる、ひきこもりである。

警察での態度から、平凡な人生しか知らない他人に話しても、ただの妄想病の
女だと誤解されると悔しいと思い、それからは体験したことは誰にも話さず、
精神科などにも一切行こうとしなかった。

朝、歯を磨きながら寝巻きのまま外に出て、配達された新聞と牛乳をとり、日
がな一日テレビを見て過ごしたり、服を着てぶらぶら近所を散歩して、公園で
ぼんやり景色を眺めたりして過ごした。

人間は本来、そんなに脆くはない。秀才だが世間の狭い下手な精神科医や、頭
のカタい警察に頼らなかったことが効を奏したか、ただのんびり過ごしている
うちに、麻衣自身はけっしてエリートでも秀才でもなかったが、意外と精神的
にはタフだったのか、いつしか自分を率直に受け入れることができた。

ただ、ときどき、どうしょうもなくイキたくて、イキたくて、我慢できなかっ
た。

たっぷり覚えこまされた被虐の悦楽が、肉体に鮮烈に残っていた。ときおり思
い出すとたまらなくなり、部屋でもトイレでも突然座りこみ、前をはだけ胸を
揉みしだき、指に舌を絡めて舐め回し、パンティの中に突っ込んで陰部をまさ
ぐり、一人寂しくオナニーしてしまうのだった。

一度体に火がついてしまうともう、いてもたってもいられなくなり、服を脱ぎ
捨て部屋で全裸になり、指を挿入して喘ぎ、汗まみれになって淫乱に果ててし
まう麻衣であった。

勇気を出して、大人のおもちゃ店に入り、大きな黒ぐろとしたバイブを買った。
ちょっとびっくりしたが、お店には自分と同じくらいの女性客もけっこういて、
内装も清潔で明るく、なんだか安心して買えた。

そして部屋で一人さみしく、バイブをヴァギナや肛門に突っ込み、激しく動か
して果てた。

たっぷりと肛姦調教を施されたせいで、陰ではたまにアナルでもオナニーしな
いといられない変態のマゾにはなったが、それ以外は、だんだん元のふつうの
平凡な生活に落ち着いていった。

時間があったので、ある日そっと、自分を売ったご主人様のマンションに行っ
てみた。

電話は通じなかった。勇気を出して、部屋のベルを鳴らした。

部屋には、見知らぬ男性が住んでいた。その男性に聞いたら、二ヶ月前に、不
幸にも交通事故で亡くなったと聞かされ、麻衣は驚いた。

念のために、男性から聞いた、事故現場近くの交番で尋ねたら、事実だった。

(そんな・・・あんな目に遭った私より、外の普通の世界の方が危険だった
なんて・・・)

麻衣は、一種不思議なショックを感じるのだった。

(天罰・・・だったのかな・・・)

数カ月後、ちょうど失業保険が切れかかるころ、麻衣は新しい職場を見つけた。

中堅の貿易商社だったが、調教された麻衣に、いつのまにか身についた妖しい
フェロモンを、面接で社長や部長連中がいたく気に入ったおかげだった。

実際、本当は虐められると、すぐ陰部から愛液を溢れさせるほどのマゾの麻衣
は、その喋り声にも、独特のゾクッとするような色気が備わっていた。

蛇足ながら、入社後、麻衣が配属された経理課を、影ながら独裁していた中年
のお局女性社員にも、麻衣は気に入られた。

どんなにイジメても、どこかゾッとするような凄みを感じさせる麻衣を、その
女性社員も、認めるしかなかったのである。

本当のところ麻衣は、虐められると、禁欲的な制服に包まれた陰部を、たっぷ
りと濡らしていただけだったのだが・・・。

そうして、麻衣は、新しい職場でアッというま間に、フェロモン系とか、当社
のイエローキャブとか、加納姉妹三女とか勝手なあだ名をつけられ、中途入社
ではあったが、皆から気に入られ、すっかり職場の一員として溶け込んでしま
ったのであった。

(考えてみれば、下っぱOLなんて・・・もともと奴隷みたいな存在か・・・)

島国で閉息的な日本の社会で、不景気のためよけいに陰湿なムードに包まれが
ちな会社組織のなかでは、真性マゾの自分が妙に馴染んでしまうことに、麻衣
は奇妙な驚きを感じてしまうのだった。

いじわるではあるが、ごく平凡で暖かい周囲の人間たちに、麻衣は癒された。
やっぱり人間は、多少イヤなことがあっても、ひきこもっていないで、常にち
ゃんと社会に触れていないとダメなんだなと、麻衣は思った。そして、ふつう
のOLとして生きていくことに、ようやく誇りを感じはじめた。

(けっきょくSMも会社も、マゾや下っぱの方が全てコントロールしているん
だよね・・・)
 
それに、監禁され調教されるまでの数年間、先端と言われるIT企業でコンピュ
ータ事務をいちおうこなしてきた麻衣は、新しい会社で与えられる仕事はなん
なくこなすことができた。

幸いにも、麻衣を存分に飼い馴らした女王様や暴力団から、その後の干渉はな
かった。

ニュースや週刊誌で得た情報から想像すると、警察の監視が厳しくなり、また、
SMの流行にも陰りが出て客の嗜好も変化したことで、暴力団自体が手を引い
たようだった。

「・・・世の中って、結局、経済か・・・」

会社に読み捨ててあった週刊誌を、麻衣が読んでいると、年下の営業部の社員
が声をかけた。

「麻衣さんって、週刊誌とか、よく読んでますよね。勉強家なんですねぇ」

「別に・・・ただ、ちょっと知りたいことがあったの」

(フフン・・・)

その青年は、年上の麻衣に、かなり下心があるらしく、やたらなついていた。

「いやぁ、僕、やっぱり麻衣さん、尊敬しちゃうなぁ」

ただ、社畜族であるせいか、営業畑であるせいか、あくまで表面だけなのかも
知れないが、しゃべり方も最近多い、おとこおんなみたいな弱々しい感じの小
柄な青年だった。

優しいし、いい子だとは思っていたが、麻衣にとっては、体の奥底で、まった
く物足りないタイプだった。

「仕事、もう終わったんですか?」

「え、いやまだです。まだ書類、書いてなくて」

「早く終わらさないと、また残業になっちゃいますよ」

「ひぁ〜、ですね。それじゃ」

青年は慌てたように、去って行った。

(フゥ・・・)

新しい会社の仕事にも慣れてきた頃、そして、アパートの部屋で、一人さびし
くバイブでオナニーするのにも飽きてきたころ、麻衣はしばらくぶりにバーに
寄ってみた。

バーのマスターは、変わらずに麻衣を迎えてくれた。それに、

「しばらく見ないうちに、麻衣ちゃん、きれいになったね」

とも言ってくれた。

何度目かにバーに行った時、麻衣は、すでに店で何回か見かけたことのある一
人の男性に、また出会った。麻衣は、はじめて見た時から体の奥で、何かゾク
ッとするものを感じていた。

年上で、リーマンだった。

「・・・そんなこんなで、最近はよく飲みにくるんです」

かなり酒が強そうなその男性が、話し終わると、何杯目かのジャックダニエル
に口をつけた。

硬派なオン・ザ・ロックが、「彼」の好みらしかった。

「恋人・・・いるんですか?」

麻衣は、それとなく聞いてみた。

「最近は忙しくて、しばらく一人ですよ」

何ごともないように答えが返ってきた。

「それなら・・・私と一緒ですね? 」

「相手はよく選んだ方がいいですよ。見かけとは違うこと、世の中には多いか
ら」

「・・・そうですね。本当にその通りだと思います」

「そ、そ、僕もこう見えても、あなたの基準に照らし合わせたら、悪い奴かも
しれないし」

沈黙が流れた。

しばらくして、麻衣は言った。

「いいんです・・・。だって、聖者なんていないから・・・」

男性が、何か考えるかのように黙った。

麻衣は、男性の目を見て、妖しく頬笑むと、もう一杯、おかわりを注文したの
だった。

(今夜は、期待できるかな・・・)



=終わり=






ー作者あとがきー

 SMは、真実をいえば、支配されているMの方がじつはすべてをコントロール
しています。そして、支配する側のSには、Mのオーガズムをコントロールで
きるほどのテクニックが絶対的に求められます。

 たとえ痛めつけても、ちゃんと後で快感を与えMを悦楽に浸らせることができ
ることで、Mは支配者Sを信頼し服従するのです。Mに服従し快楽を求める気
がなければ、SMは一切成立しません。

 その点において、昨今、ニュースになっている幼児性愛、虐待などとはまっ
たく違う世界だということを、ここに明記しておきます。