本  「創造の原点:人が芸術家になるとき 」

 

芸術論みたいなのはちょっとなーと思って手にとったら、やなぎみわの名前があって、他にも興味あるアーティストたちのインタビュー集だったので買って、読んでみたらおもしろかった。

  芳賀 徹 ■比較文学
  千住 博 ■画家
  大野木啓人 ■空間演出
  宮島達男 ■現代美術
  森村泰昌 ■現代美術
  やなぎみわ ■現代美術
  椿 昇 ■現代美術
  市川猿之助 ■歌舞伎
  井上八千代 ■日本舞踊
  太田省吾■演劇
  聞き手□今野裕一

サマセット・モームの「月と六ペンス」という小説がとても好きで、いきなり仕事も家庭も捨てて絵を描きはじめた男に、友人が「今からやって認められるとでも思ってるのか」等等いさめると、「そんなこと全く関係ないんだよ」とただ笑うんだけど、最後まで理解してもらえないという話なんだけど、こういう人が一番しあわせなんじゃないかと思う。

しかしわたしは現代美術家とかじゃ全然ないので、やなぎみわ氏の話など読むと、やっぱり大変なんだなあと思ってしまう。

次に読んだ森村泰昌の話もまた別の意味でおもしろい。

やっぱ聞き手の今野裕一の才なんだろうな。

以下メモ。


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やなぎみわ「それは美大生はみんなそうなんですけど、制作を止めちゃった美大生というのは、すごく罪の意識に苛まされるんですよ(笑)」


今野裕一「『学生です、写真撮ってます』って言ったら『ああすごいね』って言われるけど、出ちゃった後に『写真撮ってます』って、『ものになってないんでしょ』っていうことだから・・・・。」


やなぎ「『エレベーターガール』を作りたいというのはあったんですが、どうして良いかわからず、三年すぎた時に、友人が言った言葉ですごく傷ついたんです。
週六日働いてるか何かで大変らしいけども、それ以上のエネルギーを持って制作を始めないと、多分もう一生やらないんじゃない、って言われて。」


やなぎ「たとえば自分にすごく欠落してるものがあってどうしても必要な制作でないといけない。『何となく制作意欲が湧いて来たかなー』とかで作るオシャレな作品とかじゃなくて、どうしても今自分に、自分の人生に必要なものっていう時があるんでしょうね。」


森村泰昌「プロ意識を持ってる人とかプロ用語を駆使するからといって、その人の作品、その人のやっていることが素晴らしい、っていうことにはならないと思うんです。
全然上手くもの言えない人でも、素敵な作品は作れます。プロかプロじゃないかということは、まあ問題外なわけですね。美術にプロであるとかないとかは関係ありません。」


千住博「だから芸術とは何かと言うと、コミュニケーションしようと思う心を持っているかどうかである。
そうすると、芸術の才能とは何かと言うと、何とかしてそれを人に見せたい、と思う心のことなんだということがわかってくるんです。
才能というのは、ともかくそれが好きでたまらないということが大前提にあるんですね。もう絵を描くのが大好きだ、彫刻を作るのが大好きだ、それがあって尚かつ、何とかしてそれを人に見せたいと思う、その気持ちなんですね。この二つが車の両輪となって、芸術というものが動き出してくるんですよ。」