我が町は、現在人口 約4200人です。今から13年後の平成27年度には 推測では 2600人
程度になり、高齢者比率は 45%以上になる見通しです。65歳未満の人口はわずか1400人以下になってしまいます。
ほとんどの集落は 限界集落になります。限界集落とは 高齢者比率50%を超える集落のことで
ここでは 行政が手を差し伸べてももはや 立ち直ることが出来ない集落といわれています。
某集落は 80才,90才代の超高齢者の一人住まい世帯が 沢山有ります。ここでは新たなことは 何一つ
計画不可能ですし、仮に検討されても「子や孫に聞かないと分からない」、有印書類など 求めることは
ほとんど無理な状態です。つまり こうなると 月日を経て 集落の消滅を待つ様になります。これが限界集落なんです。
現在、美里町内の42集落のうち 22集落は 既に限界集落に近いとも言えます。13年後には 美里町のほとんどが
このままだと限界集落に達してしまいます。そうなってから 美里を何とか元気にしょうと思ってみても
どうしようもありません。今 からやっておかなければならないことは 定住人口を増やす。
それが無理なら せめて 交流人口を 増やすことです。交流人口の増加は 地域の活性化だけでなく
国土の利用の点からも 大きな役割を果たすと言えるのです。 また、数年後にせまる町村合併で『美里』の名も
消え伏せます。
都市住民との交流の必要性。 ではどのような交流をしなければならないのか.......
農村体験、田舎体験イベントが 各地で盛んに行われています。「行政は交流だといって都市の人を集めて
田植えや稲刈りなどをやる。都市の人は満足して帰っているようだが、それっきりで何も残らない。」
このような農家の呟きがあります。都市農村交流といっても、いつももてなすのは農家、もてなされるのは
都市住民なのです。農村側が 都市住民を一方的に奉仕する。こうなると「都会人はこんなもの。交流は疲れる。」
ということになってしまいますねっ。 これって本当に交流なんでしょうか。都市住民との交流の目的は
過疎の町(集落)が 消滅していくのを 食いとめられるものでなければなりません。コンスタントに 一定のお客さまが来て
雇用創出や経済効果が 確実にもたらされるか、もしくは それに代る同価値の効果が無ければ 意味がありません。
一方、都市住民も単発的なイベントには 一度は参加しますが 新たなイベントや 未訪の地方があれば そちらに足が向きますよね。
これもまた 交流にはなりません。都市住民にとって 満足が得られるものとは何なのでしょう。人は誰でも 役に立ったと
感じた時に多いに満足するといいます。もてなされるのではなく、受入れられる。体験ではなく、実践。
手伝っているつもりが 相手にとっては疲れるだけ、余計な仕事を増やしてしまうのではなく、相手を楽に元気にする。
遊び心はあっても、お遊びではない。お客さんであっても 来てくれるのが楽しみ、来てくれると助かる。
そう感じると 都市の人たちは必ず満足感を得、コンスタントに繰返し来てくれることになります。そんな都合良い話が
世の中に あるんでしょうか。いっぱいあります。美里町近辺でも沢山有ります。全国に見られる「棚田の応援団」等が
その例です。彼らは「自分達の力で 棚田が保全されている。」と満足して、翌年もやってきます。こういった都市住民は
地方にとって 助っ人、応援者ですね。サッカーのサポーターは12人目の選手と言われますが「この地域を何とかしたい」と
思って一緒に考えてくれる応援団の存在が 地元住民にとって必ず大きな励ましになります。そんな「町外の町民」を 求め
受入れる体制をつくる(やわらか頭になる)ことが 地元にとっては 必須条件で、互いにその関係を育てていくことが 交流になり
現時点の我が町の現状の様に迫り繰る限界集落、そこからの脱却への一歩だと思います。 全国つつうらうらを見渡せば
この様な現状に直面してる町も有るのでは無いでしょうか? さあ〜 今から立ち上がろう〜 田舎住人達よっ!
そんな大声を叫びたいのです。
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