私達は毎日の生活をしていく中で気がついていない暮らしの不便さがあるのではないでしょうか?
障害を持った人が感じている暮らしの不便さをみんなで考えることが、これからの私達の暮らしの方向性を示してくれるものなのかもしれません。
藤原 義朗
また、郊外型の大型スーパーができる。地図でみると新しくできたスーパーの面積分だけ数年後には小売店が姿を消すといわれる。果敢な全盲の人がいて、スーパーにも積極的に入っていく。その人はカップヌードルも音で中味がわかるそうだ。しかし缶詰は中味までは分からない。そのためにある弱視の人は食品の缶詰と間違えてドックフードを買ってきたそうだ。合理的経営戦略のスーパーも「お客様が申し出ていただければ買ってまいります。」と言ってはいるが、強度の弱視の私には、やはり小売店がいい。なぜなら、住んでるところの近くにあり、「おばちゃん何がある」などと普段通りの会話をしながら買い物できる。病気の時もお年寄り家庭にも、気軽に宅配してくれる。私の全盲の友人は旅行の際、民宿を利用するそうだ。民宿は建物も狭く、すぐに利用場所などを覚えられる。何か困ったことがあったら「おばちゃん」と呼べばすぐに来てくれる。またおばちゃんの方も気にかけてくれているそうだ。今まで地域を支えてきて小さな
店の役割をもう一度、今、考えてみようではないか。
浜田 昌子
私の行きつけの美容室は、《シンデレラ》膝に毛布を掛けてくれるときの動作や、言葉にはいつも優しさを感じます。人の痛みを理解しようとしてくれることが、わたしにはよ〜く伝わるのです。わたしは自分が精神障害者であることを人前で隠したりしませんが、私に冷たく接することは決してありません。お店に限ったことではなく、気持ちを受け入れてくれる所や人には自然と足が向いています。(ちなみにこの店では、障害者は一割引になっています。)