随想  車椅子

田 中 恭 彦


僕は未熟児で産まれたそうです。母乳を飲む力もなく、母はスポイトを使って、一滴一滴飲ませてくれたそうです。僕が障害児と判ったのは一歳半のときです。医師に診てもらったら、脳性麻痺ということでした。子供のころ、父は入浴の度に、僕の足を、痛いくらい力を込めてマッサージをしてくれました。あるとき、家族旅行があって、僕だけが留守番で、祖母に預けられたことを憶えています。障害を治療するために子鹿園に入りました。そこで様々な訓練を受けましたが、成果は、あまりありませんでした。ただ上級生にいじめられて辛い思いをした記憶があります。それから、仕事が終って家に帰る看護婦さんの後ろ姿を眺めながら、寂しい思いをしたことを今でも覚えています。僕は障害者です。今まで僕は養護学校に行き、親元で暮し、施設で暮らして来ました。そのため、いつも社会から隔離されて来ました。社会から隔離されることは、お前は役立たずだと言われているようなものです。どんな人だって社会から隔離された生活を余儀なくされたら、次第に無気力になって、人生を投げてしまうのも当然だと思います。いくら施設の中を良くしたところで、施設は施設です。もちろん、今すぐ、施設をなくすのは無理です。そこで施設に代わる受け皿が要ります。

よく、障害者は自立をしなければいけないと言われます。そのために、養護学校に行き、訓練をして、自分のことができるようになること、そうすることか自立だと思われています。それでは、自分のことができない人は自立できないのてしょうか。僕は障害を補う充分な手立てがあれば大部分の障害者は自立ができる、と思います。介護が必要な人か街の中で暮らすには、住む家と、介護者が必要です。民間の借家は仲々貸してくれないし、公営住宅も、常時、介護が必要な人は入居できません。皆さんも一度自分のこととして受け止めて身の回りの生活を見直してみて下さい。今一番必要なことは、一人一人が少しだけ立ち止まって自分の生活を考えてみることではありませんか。


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