私の夢パート2


赤瀬憲二

私には幼い頃よりいくつかの夢がありました。大人になってその夢を一つ一つ叶えていくことを楽しみにしています。このたびたくさんある中でやっと一つ実現できたのでここに報告します。私は小学校一年生の頃、富士山が日本一の山だと知りました。3776メートルというその高さはそのころの私には想像もつきませんでした。写真で見た富士山はなんときれいな山だったことでしょう。私の実家から見える伊予富士もきれいですが、日本一の富士山のすばらしさは子供心に焼きつきました。いつか登ってみたいと思い40年近く経っていました。やっと夢が叶い富士山に登ることができました。登ってみると想像以上に苦しい登山でした。その苦しさの中で私なりに見つけた喜びを今後の人生の中で生かせていきたいと思っています。一般には富士山はふもとからや遙か遠くからみると世界一美しい山だといわれています。でもいざ登ってその山肌を目の当たりにいたしますとその美しさは見あたりません。赤茶けたごろごろ石と歩きにくい登山道、一度転げだしたら止まらない急斜面。頂上に近づくほどに空気中の酸素が減り、嘔気・眠気・めまい・軽い意識こんだく・消失感との戦いが待ってる。子供たちは頂上に近づくに従っていやいや登りだし、何度も「もう帰ろう」と言っていました。あげくに男の子が泣き出したりする始末でした。この登山で私の得たものは、自分のペースを作ることの大切さです。今回の登山では、73歳の母親のペースにあわせたのでやや苦しかったです。でも、自分のペースで登ることができれば、高齢になってからでも富士山には登れると言うことです。そして人生についても同じことで人にはそれぞれペースがあると言うことです。看護をする中でも同じことがいえると思います。個々のペースにあわせていかに自分のペースを作るかで、各々のニードに対応した看護ができるのではないでしょうか。また、患者のペースを無理に崩さないようにすることが大切である事に気づきました。

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上岡 美佐子

田舎にいた頃の私の夢は高知市内に住んで、仕事がしたいということでした。その夢が叶って、市内に来てから今年で5年になります。この5年間にいろいろな仕事をしました。その仕事も長く続かなかったことや、そのうえ病気をしたために仕事ができなくなるのではないかとすごく不安になったこともあります。そして落ち込んだ私は、市内で生活したいという自分の夢を捨て、田舎に帰ってしまおうかとまで考えました。しかしそんな私を周りにいる人たちは一生懸命励ましてくれました。みんなに励まされ、もう少しがんばってみようと思えるようになりました。すると不安な気持ちが消え、不思議なことにいつの間にか病気もどこかへとんで行ってしまいました。夢を夢のままで終わらせないためにがんばってみようと思ったのもこのころからです。そして、今、一つの夢が現実に近づいて心も落ち着いている私です。

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ゆめ 田中恭彦

僕の夢ってなんだろう。

若いころは、素敵な女性と巡り会って、大恋愛をして、結婚したいと思ってたけれど、

歳を重ねるに連れて、だんだん現実が見えて来て、いつのころからか、そういう夢は見なくなった。

宝くじは300円で夢が買えます。

もし、1億円当たったら、なにがほしいですか。

車、旅行、家、etc

山登りがしたいな。

苦しい思いをしながら、一歩踏み外すと死ぬかも知れない恐怖と戦いながら、

ただ、ひたすら、項上を目指したい。

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和田真由美

天国に一番近い島といわれる『ニューカレドニア島』ここへ新婚旅行で行くのが小さい頃からの夢でした。昨年、結婚し、旅行には行ったものの予算の都合で、あこがれの島には行けませんでした。昔から、南国の島を見るたびに、なぜかなつかしい気がします。前世で住人だったのでしょうか。南国の島は世界中にいっぱいあるけど『ニューカレドニア島』特別なんです。自分でもわからないけど、ひかれるものがあります。頑張ってお金を貯めて、10回目の結婚記念日には、絶対生きたいです。

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