真のノーマライゼーションを求めて

代表者 上 田 真 弓


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6月に誕生日を迎え、今年もまた自分の年齢の響きにはっとしました。果たして、私はこの年齢らしい年のとりかたをしているのかしらと、20歳を迎えたときも、25歳を迎えたときも、そして今年も同じようなことを考えました。子供の頃の私から見た今の私の年齢はすっかり“おばちゃん”で、結婚して子供も2,3人いるのは当たり前のように思っていたものです。そう、子供ながらに自分の人生設計みたいなものを、ぼんやりと描いていた絵だったのかもしれません。

大学生になり、親元を離れた時からでしょうか。自分の誕生日の夜には、「産んでくれてありがとう。父さんと母さんの子でよかった!」と両親に電話をするようになりました。親元を離れてみると改めて親の有り難さを実感し、好きなことをやりたいようにやらせてくれる両親に感謝だなあと強く思うようになったのです。普段は照れくさくて言えないけれど、誕生日には照れながらも言えるようになりました。

いつだったか入院中の誕生日、同じような電話をしました。そしたら、「こんな運命に産んでしまったのに、そう思うてくれるが?」と、電話の向こうで涙声の母親。こんな姿になったのも、この運命も決して両親のせいではないのに…。この言葉を聞き、これ以上の親不孝はしてはならない、私にできる親孝行をしていこうと強く決心したことでした。私にしかできない私なりの親孝行を。

「おめでとう」と祝ってもらい「ありがとう」とお礼を言いますが、両親に対しては「ありがとう」と叫びます。私にとって誕生日は、心引き締まる日であり、この世に“生きる”ことの尊さを感じさせられる日です。

“生まれてくれてwelcome”これは中島みゆきの【誕生】という歌の一節です。

大切な人の前で思い切り歌いたくなるような歌ですヨ。


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