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幽玄と古代へのタイムトンネル


高知県の観光地といえば高知城、竜馬像のある桂浜、室戸岬、足摺岬、最近では最後の清流“四万十川”などが有名ですが、今回は空港や高知市内から比較的近い“龍河洞”を紹介します。龍河洞は高知市から北東20km、土佐山田町にあります。龍河洞へのアクセスは、高知空港からだと龍河洞スカイライン経由で車で20分、JRでは土佐山田駅からJRバスで20分、自動車なら高知自動車道南国インターチェンジから20分と比較的手軽な観光地です。 高知平野から急峻に立ち上がる三宝山の龍河洞スカイラインを登ると、山頂にはスペイン風の古城が立っていて、その屋上に立つと、どこまでも続く青空の下、四国山脈を背に、眼下に南に広がる雄大な太平洋と、南国土佐の誇る園芸ハウスの群、高知市街を一望できます。そこから10分のドライブで、目的の龍河洞に到着します。駐車場から入り口までの沿道には、地元の特産の“打ち刃物”や土産物を売る店が軒を連ねていて、それらを眺めながら少し歩くと、洞の入り口の龍王神社にたどり着きます。



龍河洞の歴史

この神社には、今からおよそ770年前、承久の乱(1221年)により土佐に流された土御門上皇(83代)が、いまの香美郡香我美町の行在所におられた頃、鍾乳洞のうわさを耳にして入洞せられ、その時不思議にも目もさめるような一匹の錦の小蛇が現われ上皇をご案内し、無事に探勝を終えられ、洞内の奇観に感銘された上皇は、里人に錦の小蛇の霊を祭らしめたと言う伝説があり、人洞者の安全守護の神として崇敬されています。またこの時の上皇の龍駕(お乗物)が転じて、現在の“龍河”の名称の起源とも伝えられています。

このように龍河洞は昔から不思議な洞穴として有名だったようですが、知られていたのはわずかに入口から400m(現在の「記念の滝」)までで、現在の延長4kmに及ぶ全貌が明らかになったのは、昭和6年のことで、当時高知県立中学海南学校の教諭だった山内浩、松井正実両先生が「記念の滝」を登ることに成功し、「天の川」までを探険したことが始まりです。その後、古代住民の穴居の遺跡や弥生式土器などの遺物の発見、地賞学や生物学調査が行われ、天然記念物及ぴ史跡として指定されるにいたっています。


龍河洞の特徴

龍河洞の特徴は、まず洞の長いことで、総延長約4kmあります。また支洞が多く、西本洞、中央洞、東本洞の三洞を幹線としてこれらに続く支洞の数は西本洞5、中央洞4、東本洞15もあり、各々連結していて24本の洞宍が三宝山の地底を走り暗黒の一大迷路となっています。

鍾乳石の数は全く驚くべき量で、長いものは10m、大きいものは直径4mに達するものがあり、スケールの大きい多種多様の形容をもつ鍾乳石、石筍(せきしゅん)石柱が見られます。

もう一つの大きな特徴は、洞内に先住民族の穴居の跡があり、多数の遺物があることで、鍾乳洞に穴居の跡のあるのは世界的に珍らしく、殊に石灰華におおわれた弥生式土器は世界に唯一つの重要な考古資科になっています。


洞内探索

洞内に入ると、まずひんやりとした天然のクーラーが歓迎してくれます。洞内は四季を通して気温の変化が少なく、8月の平均温度17度、12月で平均12度位とのことで、古代人がここで暮らしていたのもうなずけます。

入り口付近の洞内は垂直的で、幅は大人がやっと通れるくらい狭く(小錦は無理)高さは30mに達するところもあり、時々上から落ちてくる水滴にドキッとしたりしてとてもスリルがあります。出口に近い上部の洞穴は大体平面的で、高さはあまり高くはないのですが、幅は広く3〜40mに達するところがあり、様々な鍾乳石、石筍(せきしゅん)石柱が見られます。


古代への思い

出口付近には、今から2000年前に古代人が住んでいた住居跡があります。この時代日本の中央では、一般に平野に竪穴式住居を作り、おもに稲作りをし、また金属を利用することも知り、紡織の技を持ち、米を食べることを始めた時代です。ところが龍河洞に住んでいた人々は、この遺蹟からも想像できるように、山の中でしかも洞窟住いというこの時代としては、随分おくれた生活様式で、農耕生活から離れて採集や狩猟を主体とした人達であったと考えられます。

洞窟の中の住居は三つのへやに分かれていて、明かりと暖をとるために、火をたいた跡があり、そこには20pぐらいの厚さの灰か積もっています。大小様々の形をした土器や、石を並べて作った炉もあり、また石灰岩のくぼみからは、鳥獣の骨や、貝がらも沢山出ています。水くみ場と思われる場所には、“神のつぼ”といって長首つぼ型土器が、石灰岩の斜面にそって、その約1/3が石灰華におおわれて残っています。ここは今でも雨の時には水が流れ出るので、多分飲み水をくむために、当時の人がここにつぼをすえつけたのでしょう。

今この穴居の跡に立って、思いを遠い昔にはせると、夜赤々と燃えるたき火を囲んで、海辺の人々と交換した魚や貝などの海の幸と、付近のうっそうと茂った森に狩をしたイノシシやシカなどの山の幸とに舌つづみを打ちながら談笑し、時には上器に造りこんだ酒をたがいにくみかわしながら、歌い舞ったであろう土佐の先人達の姿が、この暗い光の中に現われてくるような気がします。


高低差60m、行程4km、30分間の洞窟探検を終えて外に出ると、9月とはいえまだ強い南国の日差しが目に眩しく、一汗かいた体に爽やかな風が吹き抜け、足腰に心地よい疲労感を久しぶりに感じ、日頃の運動不足とけして健康的とは言えない日常生活を反省し、古代人のような生活を夢見た一日でした。

高知に来られたときには、皆さんもぜひ一度龍河洞へいらしてみてください。


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