◆ 分子モーターの話題 ◆


 ものを運ぶための車輪やいろいろな仕事をしてくれる水車や風車が発明され,電気を利用するようになってからは大小様々なモーターが私たちの身の回りで働いてくれています。それらはどれも回転運動をする人工物ですが,それでは生物の世界には,車輪やモーターはあるでしょうか? 以下の本には『なぜ車輪動物はいないのか』という楽しい章があります。

  ◎本川達雄,「ゾウの時間 ネズミの時間 −サイズの生物学−」,中公新書(1992)
    ※この本は,理系の本としては記録的なベストセラーになりました。是非ご一読を!

 陸上動物は足で(車輪はない),鳥や虫は翼や羽で(プロペラはない),魚はえらや体のひねりなどで(スクリューはない),それぞれ動き回り,確かに目に見える動物では回転する駆動装置をもっているものはありません。この本ではその原因を,例えば凹凸の多い地上では車輪は不利であることなど(自動車や自転車は道路が舗装してあるから使えるのですね。凹凸の多い場所で使う必要のあるロボットは,車輪でなく動物の足のような駆動装置を使うことが多いようです),サイズの問題として詳しく解説しています。
 もう一つは,車輪を使う場合は体を2つ以上に分割する必要があことです。“車輪と軸受けとの間は,必ず途切れていなければ回転しつづけられないが,この途切れた空間を越してエネルギーを軸に与えるには,かなりの工夫がいる”(上掲書,p.78)のですね。生物である以上,エネルギーだけでなく物質や情報のやり取りが必要で,少し考えただけでもとても厄介です。おまけに実際の車輪やモーターにはベアリングというさらに分離した構造体や潤滑油が不可欠になっています。
 ところが,顕微鏡の世界で見ると生物の世界にもモーターがあったのです! 多くの細菌などは鞭毛の回転運動を推進力にしていることがわかってから,今ではミクロな生物の世界の回転運動は前述のエネルギーの授受の問題も含めて,広範な研究領域を形成するに至っています(詳しくは末尾の文献等参照)。
 その研究では当然分子構造が着目される因子の一つになるわけですが,生物とは関係ない化学の世界での分子の回転も大きな興味を引きます。
 分子の世界で考える場合,まず構造体を2つに分けるという手法で考えて,特に回転とは関係しない場合もありますが,ロタキサン(Rota〔=wheel;輪または回転子〕+Axis〔=axle;軸〕の合成語)と総称される様々な天然・合成の分子が着目されています。さらに分子の世界では,分子が2つに分かれていなくても単結合の回りは回転できるわけですから,その観点での研究も行われています。ただその場合は,回転方向が定まらない「自由回転」が通例になります。そこでいろいろな工夫をして一定方向にだけ回転する「非自由回転」についての研究も進められるようになり,以下ではその最新研究例が紹介されていました。

  ◎木原伸浩,トピックス『分子モーターを目指して −非自由回転−』,化学と工業,53(7),825(2000)
    ※以下の回転する分子の原著は,T. R. Kelly et al., Nature, 401, 150(1999)

 ここで紹介されていた化学反応を利用した回転の仕組みの一つを,3次元分子モデルを使って示してみましょう(詳細は文献参照)。ただし,以下の分子構造は市販ソフトウェアで計算したものであり原著論文のものとは異なっていることに注意してください。
 分子モデルは,回転子(トリプチセンが骨格)を球棒モデルで,軸(ヘリセンが骨格)を棒モデルで示しています。回転子の青い窒素原子が回転方向の目印になるでしょう。


 

↓ COCl2

 

↓ NaBH(OEt)3

 

↓ (1へ)



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