
| 何故I.T.N.が好きなのか? |
と、言うわけで何故、私はIn the nurseryが好きなのだろうか。などと根本的な問題について考えてみたりする。うむ、それは私にも分からない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・以上。
・・・・・では何にもならないので、この小さい脳味噌を使ってなんとか答えを探してみたい。
そもそも、ITNというバンドの曲は非常に「中庸的」な感じを受ける物だという思いがある。過去のインタビュー記事にもあるが、彼らの持つイメージという物は非常に曖昧らしく、これといって主張らしき物が見えないと言われている。実際の所どうなのかは私にも分からない。何しろ私は歌詞も読めないし。しかし、それぞれの曲やアルバムは統一感はあるものの、何か特別な大きなイメージがドンと手前に誇示されているわけでもなさそうな事はなんとなく分かる。
しかもそれらの統一されたイメージは、ただ整然と並べられ、ハイどうぞと言わんばかりに軽い感じで手渡されてくる。そのため聞き手もあまり構えることなくスっとその世界を聴き流してしまうのだ。これではそこに何か深い意味があっても早々気付きはしない。
一見するとこんなサウンドデザインはあまりよろしくない様にも思える。実際彼らが20年近くもキャリアを持ちながら、未だインディー的活動から抜け出せないのは、そういった「中庸的」感覚がもたらす安っぽさに原因があるのかもしれない。
しかし、私がいまだに彼らの音楽が好きで熱心に聞いているのは、そうした「中庸感」によるところが大きいのかもしれないという事を今さらながら思うのである。
彼らの作り出す音楽はとても個性的で美しく、一時は完全にワンアンドオンリーな世界を構築していた事もあった。彼らの持つ力強さと繊細な美しさという両極端なものの融合は、数あるオルタナバンドの中でも成功した数少ない一例だろう。しかし、それでいながら何か「他人事」のような淡々さがあり、それが逆に「聞きやすさ」となってスンナリ受け入れる事が出来たのだろうと思う。そう、彼らの音楽にはトゲというものがあまりないのである。
中庸的イメージは私に様々な想像力とイメージを沸かす余裕を与えてくれるものであり、それは決して目の前まで出てきてこうしろとは言ってこない。多分そういった音楽を欲していた私と、ITNのサッパリした独特の美しさが見事にフィットしたのだろう。想像力をかき立てる躍動感溢れる美しい音楽でありながら、聞き手に自由度を残したITNサウンドは、私の理想とする音楽だったに違いない。
何度も引用して申し訳ないが、時折比較される音楽としてENIGMAが上げられる。まあ相手があまりに大御所になってしまったために、少しでも類似性があればひとくくりにされて比較されてしまう傾向がある訳だが。
しかし、彼らの音楽との共通項はあくまで表面的なものであって、実は真逆に位置しているといっても過言ではない。このENIGMAというグループから聞き手に与えられる世界は「完全に構築された世界」で、ある意味完璧である。この偏執狂的なまでに重ねられて作り上げられたサウンドスケープは、確実に中毒者を生みだしている。
個人的に、こうした世界観を見事に構築した音楽として、過去に初期アートオブノイズや、ENIGMAも引用したヴァンゲリスで有名なアフロディテス・チャイルドのアルバム等にも同じ物を感じる事が出来た。アートオブノイズなどは良く聞いたものだが、どうも聞きおわった時に何ともいえない気分の悪さを覚えるのである。一体これは何なのだろう?
その答えは明白だ。それは、これらの音楽があまりにも固執したイメージを聞き手にぶつけてくるからである。そしてそれは一貫して、決して美しいとは言いがたい、どこかねじれた暗黒的一面を持っているのである。
それは言ってみれば、一旦ドアを開けて入ったら最後、後ろでいつのまにかドアは勝手に閉まり、ガチャリと鍵をかけられてしまう・・・・という事なのだ。しかもそこで展開される世界は、到底家族と一緒に見れるような開放的なものでは決してない。これは恐い。私の性格的側面もあるのだろう、私はどんな時でも冷静を保っていたいと思うタチで、他人の作った世界にどっぷりと浸っている事には抵抗があるのかもしれない。多分私自身が物作りが好きな人間であるがゆえに、何か相反する考えや主張と出くわすと、それらと発想が衝突して身を委ねるどころでは無くなってしまうのがそもそもの原因だと思われるが・・・・。結局私に残された道は、斧かなにかで無理矢理ドアを蹴破ることしかないのだ。
そういう観点からのみ言えば、ITNの構築した世界は一見ENIGMAと似ているようにも思えるが、全く違う訳だ。何故なら、彼らの入り口のドアは誰かが入っても閉まる事はなく、常に開きっぱなしだからである。
私は彼らの世界を時に軽く一周し、時に滞在してみたりして満喫し、時に友人を連れて共に過ごし、そして好き勝手に出て行くのである。鍵をかけられて閉じこめられる事を望む、いわば音楽に完璧さ(時に毒とも言う)を求める者も多いが、私にとってそれは時に想像力の妨げとなってしまう事がある。あるいは攻撃的、背徳的、悲観的な発想は私の想像力を完全にシャットアウトし、そこで全てが終わってしまう。断っておくが、私はこうした音楽を全否定しているわけではない。時と場合によっては好きにもなる。 が、買っても結局は往々にしてコレクターズアイテム化してしまうのがオチな事は事実だが、結局はそれは私の特殊な個人的性格における問題だという事位は自覚している。
私は音楽を想像力の源、いわゆる糧として聞いている事が多い訳で、そういった特殊な形で音楽を聞いている者は希だろう。だからこそ、本来ならばドアは鍵を閉めるのが普通であって、開け放す方が特異といった方が正しい見解なのかもしれない。しかし、全ての人間がそういった物を求めている訳ではない事は周知の事実だ。だから私はITNをずっと聴いているのだろう。
同じようにドアを開けっ放しで開放的な音楽グループに「アディエマス」がいる。これはITNよりもはるかに成功し、ヒーリングミュージック界の花形ともいえる存在になったが、ではこのアディエマスとITNとは同じ物と言えるだろうか、となってくるとこれまた違うと考えてしまう。
前述したようにITNは「中庸的」なのである。もし仮にENIGMAが「陰」だとするなら当然アディエマスは「陽」にあたる。しかしITNは私が思うにそのどちらにも踏み込んでいないような気がする。つまり「中庸」なのだ。正確には「陽」に寄っている感があるが、完全に入り込めてない感もやはり大いに感じる。
もちろん個人的に「陽」な物は、私にとってははるかに「陰」より聞きやすい。が、中庸的なITNの方がさらに想像力が膨らむのだろう、その証拠にアディエマスはたしかに好きだが、ITNに比べると圧倒的に聴く回数は少ない。場合にもよるが、どうやら私は「陽」と「中庸」なら中庸を好む傾向があるようだ。やはり陽すぎてもかえって想像力が限定されてしまうのだろうか? この辺はいまだに謎が多い。
まあ、中庸的とか地味とか言われるのは正直アーティストとしては結構屈辱的意見と思うが、この世にはそういう物を欲している人間もいる訳だ。もっとも、彼らが私のような人間のために敢えて地味にやっているとも思えないし、自分達を素直に出した結果がこれなのだろうから、あくまで結果論でしかない。
しかし私はいまだにITNは地味なのか、それとも超個性的なのか分からなくなる。その微妙なラインこそが魅力なのだろうか。それとも自他共に認める完璧なものだったら、それでも気に入っているだろうか。それとも面白くないと感じるのか。いや、現在の物が決して中途半端だと言っているわけではないのだが・・・・・・・・不満があったらこんなサイトなど作っていないような気もするし。
中庸的とは申せ、ITNにも悲観的、攻撃的な一面があるのかどうかについては正直何とも言えない。だがしかし、音楽から肌で感じる感触からは、そうした物を私はITNからほとんど感じた事はないと言っていい。つまりそれは、たとえそんな一面があってもそれを意識させない微妙なやり方を使っているという事になる。
勿論これは個人差が大いにあろう事だろう。現にITNの音楽を、「不気味」「暗い」と表現する者もいる。個人的にはこの意見はいささか度が過ぎていると思わざるを得ないが、中庸的で捉え所が難しいITNのサウンドならではの意見のばらつき度は、あってしかるべきとも言える。
自分達の音楽をどう捉えてもらっても構わない、と彼らは話しているが、まさにその考え方が音楽に貫かれているのだろう。もっとも、たいがいのアーティストはそう弁明するものだが、ことITNに関しては、これだけ個性的な物を打ち出していながら、本当に想像力を要する音楽だと思う。自分達のアイディンティティーを模索するために始めた音楽活動だが、もはやそのアイディンティティーを他人に押しつけようとするような姿勢は微塵もなくなっている。
それが故に、彼らの音楽はもっと刺激的なものを求めている人達にはアマチャンに思え、単なる同じ事の繰り返しにしか見えないだろう。刺激的な物はたしかに重要だ。だが本来音楽という物の聞き方はひとつではない。私は音楽を想像力の糧として聞いている。少なくともその聞き方において、ITNは充分過ぎる程役割を果たしてくれている。これは苦し紛れの言い訳なのでは断じてない。
もし常にトップチャートをにぎわすメジャー系の音楽ばかりを聞いているような環境だったとしたら、多分今の私は存在していない。これも事実だ。そうでなかった事に心から感謝している。
そういえば話は変わるが、最近ENIGMAはドアをなるべく開け放しておくよう努めるようになったという事を風の噂で聞いた。それならば、久しぶりに彼の元を尋ねてみるのも一興だろう。しかし、クレトゥよ、私は基本的にあなたの考え方には共感出来ない。だから用心のために斧を持参で入る事にするよ。・・・・と思ったらCCCDだった。なんだ、ドアが釘で打ちつけてあって入ることも出来なかったか・・。