鏡と首輪(1)(作:夕涼さん)


『プロローグ』

 その日、10月初旬だというのに記録的に蒸し暑かった。夜になって暑さは
少し収まったものの、湿気を含んだ生暖かい風は人々に不快を与えつづけてい
た。
 これといった特色のない地方都市にある、県下有数の公立高校S高校。その
学校の校舎の屋上に、二つの黒い影があった。
「ふむ、前回来たときよりずいぶん様変わりしているようだ」
「フフフ、人間社会は常に目まぐるしく変化しますから、いつも来るのが楽し
みでございます。一人一人の一生はあんなに短いのに、よくこんなに変われる
ものかと思います」
 新月の暗い夜。どちらも着衣は身につけておらず体の線がかろうじで判別で
きるだけであったが、それは確かに一組の男女にみえた。最初に口を開いた方
は筋肉質でいかにも男性的。背の低い方はほっそりとしていて、明らかに女性
の体形であった。
 しかし、この二人の瞳を覗き込めば、それが間違えであることに気づいただ
ろう。
 顔の各部分は整いすぎて、むしろ印象が薄い。しかし切れ長の眼の中の瞳、
なんの光もない漆黒の瞳をみたものは、その中の闇に吸い込まれそうな感覚を
覚える。それは日本人ではなく、かといって外国人でもなく、人間ですらなか
った。
 男性的なほうが口を開いた。
「一人一人の一生が短いからこそかもしれん」
「そんなものでございましょうか?いずれにせよしばらくこの社会を学ばなけ
れば。言葉遣いや服装も随分かわっているかと存じますし。例の人間はこの近
くにいるのでしょうか?」
「うむ、それは間違いないだろう。まずは捜し出し、それからどうするか考え
よう」
「あぁ、楽しみございます。どんな手段で堕として差し上げましょう」
 女性の方が妖艶な笑みを浮かべた。
「楽しみは結構だが、我等の使命を忘れるなよ」
 そういうと男の姿が消えていく。
「わかっております」
 女性の方の姿もそれにならった。
 いや、それは消えたというよりは、夜の闇に溶けたという方が正しかっただ
ろうか。



第一章 虜囚

 目を開けるとそこは見知らぬ場所だった。薄暗いその場所を見回すと、隅の
方が暗くて正確にはわからないが、十畳程度の広さがある。すぐそばには高さ
1メートルほどの燭台の上で、時代劇で見るような炎の大きな蝋燭がススを上
げて燃えている。
(ここは……?)
 目を凝らすとそこが普通の場所でないことがわかった。床が石畳でできてい
る。床だけでなく壁も、そして高い天井も全て石で出来ているのだ。
(なに……これ?)
 さらによく見回そうと体を動かそうとすると、肩に痛みが走った。ふと自分
を見ると両腕には金属でできた手枷がつけられ、大きく開かれた形で鎖で繋が
れている。気を失っている間、それにぶら下がるように体重をかけていたため、
肩が抜けるように痛んだ。
慌てて足に力をいれて体重をささえると、ジャラリと鎖がなった。手枷で見え
ないが手首もひどく痛んでいる。内出血でもしているのだろう。ふと首にも輪
のような物がつけられそこから鎖が伸びて壁に繋がっているのを感じた。他に
怪我でもしていないかと自分の体を見下ろした。

 若い女性が着衣一つ身に着けず地下牢のような場所で鎖で壁につながれてい
た。まだ15,6のその若い肢体は、薄暗い部屋で白く透き通っているように
見える。
 大きく張り出した双乳はたっぷりとした量感を持ちながらも形よく整ってい
た。先端の鮮やかな桃色の部分は普通の女性よりかなりおおきかったが、乳頭
はそれほど大きくはない。 腰は細く締まりその下の丸みを帯びた下半身へと
つながっていた。程よく肉付いた股間にはようやく生えそろったかのような薄
い陰毛が翳っている。
 体にまとわりつく長い髪は櫛も通っておらず、ところどころでくしゃくしゃ
にもつれていた。顔は混乱と恐怖の表情に引きつってはいるものの、小さめの
鼻と小さい口、長いまつげの下の切れ長の眼。そこに輝く大きな瞳は、白い肌
とあいまって見る人に涼しげな印象を与えていた。
 壁に繋がれた美少女という、美しくも妖しい光景。
 しかし……。

(女の体?? 一体どうなってんだ? ここはどこだ?)
 男子高校生だった畑山優一は自分が尋常でない事態に巻き込まれていること
を悟った。
(夢?)
 そう思ってみても、未だ収まっていない手首や肩の痛みはそれが現実である
ことを告げている。いや、むしろ現実以上に生々しい。肌の感覚は冴え渡り、
自分の体を動かしたときおきる微妙な風の変化まで感じる。灰色一色のこの地
下牢のような場所に蝋燭の炎が作り出す微妙な色彩が鮮やかに眼に映る。
普段は気にもしなかった股間の重みがない変わり、胸の重さが肩から首筋にか
けてずっしりと感じられる。
 鼻の奥に自らの女性の体が発する甘い体臭が感じられた。
 
 心臓がドキドキと激しく鳴リ始める。余りにも異常な状況だった。

(なんでこんな…? 俺、なにしてたっけ?)
 目が覚める直前の記憶をたどろうとするが、全然思い出せない。
 先週の土曜日に友人と映画を見に行ったことや、その次の日に帰ってきた模
試の成績がよくて、両親とささやかに祝ったことは覚えている。しかし今週に
入ってからなにをしていたか、そもそも今日は何曜日かすら全くわからない。
忘れているというよりは、そんなものは始めからなかったかのようにすら思え
た。
 目が覚めたら記憶を失い鎖に繋がれているというB級小説のような陳腐な状
況に皮肉な笑いがこみあげてきた。

「うふふ、気づいたかしら」
 だれもいないと思っていた暗闇から急に声をかけられ優一はビクリと体を――
女性になってしまっている体を――硬直させた。そちらに目を向けると、首ま
であるピッタリとした黒いレザーの上下でスレンダーな体を包んだ女性が立っ
ていた。
 日本人離れしたその体形と腰まで流れ落ちるような真っ直ぐな髪の毛。
 不健康に白い肌。
 そしてすべての光を吸収するかのようなその暗い瞳。
 優一は何か言おうとしてその言葉を飲み込んだ。女性の発する異様な雰囲気
が声を出すことを躊躇わせた。

「はじめまして。優一君。いや、優一ちゃんかしら。
 まず自己紹介からね。私の名は……そうね、今度は何にしたらいいと思う?」

 女性が先ほどまで暗闇しかなかった場所に顔をむけるとそこには白いシャツ
に黒いズボンを履いた体格のいい男がいた。今風の金髪に染めた短髪に無骨な
風貌。腕を組んで立つその姿は一枚の絵のようであったが、しかしその目はや
はり深く暗かった。
「名前なんてどうでもいいだろう。好きにしろ」
「わかったわよ」
 男のにべもない返事に女の方は少し首をかしげて考えはじめた。本来ならか
わいいはずのそんな動作も、この女がするとなんともいえない色気がただよう。
「そうね。じゃぁ、季節はまだちょっと先だけど、私は『マフユ』ね。あなた
はどうする?」
「では、『シモツキ』(霜月・11月のこと)にしよう」
「フフ、古いわねぇ。もう江戸の時代じゃないのよ。まぁ、いいわ。私たちは
『マフユ』と『シモツキ』。優一君にも新しい名前が必要ね。そんなに色っぽ
い体で優一もないものね」
 そういいながら優一の乳房の下をそっと撫でた。
 若い女性の肢体がピクッと震えた。

「お…おまえらは一体…?」
 頭の中は混乱しきっていたが、なんとか精一杯虚勢を張って声を出した。し
かしその声は自分の予定していた声よりずっと甲高く、心の中の恐怖がありあ
りとあらわれていた。
「フフッ、思ったとおりのカワイイ声だわ。そんなに怖がらなくてもいいのよ、
優一君。私達はね、まぁ、有り体にいえばあなたたちが悪魔って呼んでるモノ
ね」
「あ……悪魔……?」
「ああ、悪魔っていっても人間の魂をとったりしないから安心してね。私達は
あんな野蛮なやつらとは違うから。あいつら人間の恐怖とか狂気とかを食べる
から、すぐに戦争とか犯罪とかさせたがるのよねぇ。そういう感情は、量は多
いけど味わいにかけるのよ。それに比べ私達はもっと文明的よ」
 優一が戸惑っているのを尻目に、マフユと名乗る女性は優一のそばまでやっ
てきた。マフユは小柄に見えたが、今の優一よりは少し背が高い。自分の顔を
優一の鼻に息がかかるほど近寄せると、そっと囁いた。

「私達は人間のセックスの快楽を食べるの」

真っ赤に濡れたような唇から吐き出される息は、微かな香水のような香りに動
物的な匂いが混ざった嫌な匂いがした。優一は咄嗟に顔をそむけた。

マフユは別にそれを気にする風でもなく続ける。
「物を壊したりするのはどちらかというと苦手でね。むしろ人が安心して快楽
に溺れるように文明の発達を助けたりしてきたぐらいなんだから。まぁ、20
0年ぶりに地上に降りてきたら、あんまり変わっててびっくりしたけどね。話
にきいてはいたんだけど」

 優一は心の中でこれはなにかの悪い冗談だと笑い飛ばしたかった。しかし、
自分の置かれているこの状況――女の体で石造りの部屋に鎖で繋がれていると
いうこの状況――が余りにも常識からかけ離れているし、この2人が人間では
ないことは、その目を覗き込んでなんとなくわかった。

「俺になんのようだ。どうやって、こんな…こんな…」
「体にしたのかって?」
 マフユはそういいながら、優一の右の乳房の乳輪をそっと右手の薬指でなぞ
った。
ビクッと体が震え、優一の鼻から息が漏れた。
 体を触られるたびに体がビクビクと反応するのが心許ない。
「いいでしょう、この体。心配しなくてもちゃんとあなたの体よ。すこし性染
色体を弄っただけ。感覚の鈍い男の体に慣れてるだろうから、しばらくは感度
が良すぎるかもしれないけど。まぁ、すぐに慣れるわよ」
 そういうとマフユはレザースカートからすらりと伸びた足を優一の足に絡め
た。ひんやりとしたレザーが素肌にあたると気持ちがよかった。
「私達にはやらなきゃならない使命があるの。これもその一環って訳。あなた
を選んだのは……」
そのとき、それまで黙っていたシモツキと名乗る男が鋭く遮った。
「しゃべりすぎだ」
「わかったわよ……。その辺はおいおい話すわね。そうだ、まだあなたの新し
い名前を考えてなかったわね」
 そういうとマフユは優一の釣られている右手を自分の手にとって言った。
「私がマフユだから……、ユキちゃんなんてどう? 色白の肌にピッタリよ」

 優一は金属の手枷がついたままの不自由な手で、なんとかマフユの手を振り
払うと、努めて低い声で言った。
「元にもどる方法はあるのか…?」
「えっ?」 マフユは心外というように驚きの表情を浮かべる。
「どうしてそんな事訊くの? こんなにステキな体なのにぃ。どうせ、男にな
ったって……」
 そういいかけたところで、シモツキの低い声が遮った。
「男の体にするのは我々には簡単なことだ」
「本当に?」
 優一が女の声で聞き返した。
「我々は人間に直接嘘をつくことを禁じられている」
「?」 優一が眉をひそめるとシモツキが続けた。
「人間の感情を食べる我々にとって、人間は大切な感情の供給源でね。我々が
干渉し過ぎないように、人間に対する活動は強く規制されているのだよ」

「外にもいろいろ面倒なのよぉ、人間界では人間に直接魔法をかけちゃいけな
いとか、直接触っちゃいけないとか。でも安心してね。この部屋は人間界じゃ
ないから、私達も自由にやれるわよ。ユキちゃんは直にたっぷり可愛がってあ
げるからね。この内装、私の趣味なの。ステキでしょう?」 

 うるさいとでもいうようにシモツキがマフユを睨み付けた。
「この空間はあまり長く存在できない。すでに残り13日間になってしまって
いる。お前が素直に我々に従うなら、その後には男の体にしてやってもいいだ
ろう」

「お前なんてよんじゃだめよ。ユキちゃんって名前なんだからね」
 マフユが優一の顔に垂れる長い前髪を左右に分けながら口を挟んだ。
 優一は首を振ってそれを振りほどいた。
「もし嫌だといったら…」

「お前は自分の立場がわかっているのか? 女の姿で裸で壁に繋がれ何を取引
するつもりだ? 我々の使命の遂行にお前の意思は関係ない。お前が拒絶しよ
うが、協力しようが我々の目的は無理やりでも遂行する。その後にお前がどう
いう人生を送りたいかには我々には興味ないからな」
 シモツキは優一を見下ろすようにいった。
 優一は唇を噛んだ。男の言うとおりだった。この状況では、どの道、自分に
は何も出来ない。

「そんな言い方はひどいわ。ユキちゃんもこんなにステキな体、手放せなくな
るに決まってるんだから」
 マフユがそういうと右手で優一の下腹部を撫でまわし始めた。
 ゆっくりと撫でられると背筋にぞくぞくした感覚がはしり、勝手に乳首が勃
ってきた。体をよじってみても手首を固定された状態ではどうにもできない。
体を撫でられているだけで散り散りになってくる思考をなんとかつなぎ止めな
がら優一はシモツキに尋ねた。

「俺を…どうするつもりだ…」

 シモツキはその問いに、短く答えた。
「お前には人間をやめてもらう。セックスだけする人形になるんだ」

 優一は絶句した。
 女の体にされて吊るされている状態から、なんとなくこの男にレイプされる
のだろうと漠然と考えていた。男に犯されるというのはぞっとしないが、正直
言って、女性の肉体に興味がない訳ではない。女の貞操観念なんてものもない。
 でも人間をやめるとはどういう意味だろうか。

「シモツキはいつも大げさなのよ。ちょっと女の子のセックスを覚えてもらう
だけなんだから。ユキちゃんだって折角の女の子の体を使ってみたいでしょう
?」
 いつのまにかマフユはレザースーツを着ておらず、一糸まとわぬスレンダー
な体を優一の体に擦りよせてきた。

 優一はそのときマフユの体から立ち昇る体臭に気づいた。吐息と同じように
それもまたむせる香水に動物的な臭気が混ざった嫌な匂いである。
「ほら見て。あなたの体、綺麗でしょう?」
 そういいながらマフユが暗闇に向かって振り返ると、いつのまにかその背後
に蝋燭が増えており、その奥に巨大な鏡が優一に対面するように立っていた。
 優一は擦りよってくるマフユの体からなんとか身をよじって逃れようとしな
がら、ちらりと鏡に目をやった。
 蝋燭の光りの中で二人の色白の裸体が鏡の中に蠢く姿はなんともいえず幻想
的で、優一は一瞬目を奪われた。心臓がドキリと大きく脈打つ。
 耳まで紅くなった。

「この体でセックスしちゃったら、どうせただの男になんて戻れないんだから、
今までの人生なんて関係ないのよ。そうね…、でももし、私達が帰るときまで
男になりたいって思いつづけるんだったら、体を男にするだけじゃなくて、こ
こにいる間の記憶も消してあげる。それなら怖がることないでしょう?」

 そういいながらマフユは優一と優一の繋がれている背後の壁の狭い隙間にす
るりと滑り込み、下腹部を撫でていた手をそっと股間に当てた。残った左手の
指は優一の左手指を弄ぶ。
 優一は改めて股間にあったはずのものがないことを思い出していた。
 股間に手をあてられているだけなのに、ひどく淫靡な気持が湧き上がってく
る。
 男の体であったなら一カ所に集まっていく筈のその感覚は、下腹部から足の
先へとかけて、ゆらゆらと漂っているようだった。それは勃起した男性器のよ
うな確かな感覚ではなく、とてもあやふやな、頼りない感覚だった。

 優一が何もいわないでいるのをマフユは肯定と受け取った。
「よし、決まりね。一度味わった快楽を諦められるなら、ユキちゃんの勝ちっ
てわけ。がんばってね」
マフユは嬉しそうに鏡の側の暗がりに立つシモツキに声をかけた。
「何から始める?」
「まずは女の喜びから教えよう。芸はそれからだ」

「あぁ、楽しみだわぁ。シモツキに処女あげるんだから私から始めるわよぉ」
 マフユはまるでそれが自分のことであるかのように熱っぽく言った。
「おもいっきり啼いてね、ユキちゃん」

 そういうとマフユは股間に当てた手はそのまま、もう一方の手でほっそりと
した顎をつかむと、顔を横にねじらせてその唇に自分の唇を近付けた。