ナルシスの転落 17・フェラチオ再び(作:宮城耕一さん)
鍵が三つ開けられる音がした。あたしはあわてた。入ってきたボーイにちょ
っと待ってと頼んでトイレに入った。シャワー室の中にあるトイレ。シャワー
室といっても前に透明なビニールのカーテンがあるだけで、ボーイからあたし
がトイレしていることは丸見えだ。出て行って! と叫びたいところ。でも後
が怖い。シャワーは冷たい水しか出ない。一端上に上がるとお客が来ても来な
かってもあのスペースにいなければならない。上に上がる前に絶対トイレして
おかなくてはならない。あたしは昨日包帯を取られたばかりだ。つい、女の道
具をまじまじと見た。早くすまさなければ、ボーイはずっとあたしのトイレ姿
を見ている。
スペースに入ると後ろで鍵をかける音がした。お客はいなかった。昨日まで
のあたしと今日のあたしは違う人間になったようだ。自分の女の道具を手鏡で
見て、あたしの気持ちの持ち方が変わってしまった。あそこでは客を取らされ
た後、必ず従業員というか、あそこの人達に抱かれたわ。違うわ、犯されたん
だったわ。ここのボーイや店長はあたしに手出ししない。事務的に部屋からス
ペースへ往復さされるだけだ。あたしをさわってもくれない。他のスペースの
バイトさんらはたいてい夕方から来るんだわ。その時昼からずっと詰めている
あたしが休憩に下ろされるんだ。昼間はあたしが一人でお客を取ってるんだろ
う。
とても手持ち無沙汰だった。あたし、お客さんにどう見えるのだろう。女と
しての自信なんか、とてもないわ。他のバイトさんのほうがきれいなのかしら
。お化粧をきちんとしたか、とても気になった。頭にさわった。ヘヤーバンド
はしてる。ヘヤーバンドはあってもなくてもいいものだ。ブラッシングしてヘ
ヤーバンドをして、パフで顔をはたいてチークしたわ。口紅は塗った。アイブ
ロウ、アイライン、アイシャドウにマスカラ、目の回りはした記憶、ないわ。
あたし、物思いにふけって、お化粧に身が入っていなかった。どんな顔になっ
たか覚えていない。
立ち上がってアクリルの透明な板に顔がうつるかやってみた。うっすらうつ
るがお化粧がどうかなんてわからない。こんなお化粧でお客を取るのははずか
しいわ。あたし、今まで素顔で客を取ったこと、ないのだわ。でも一回の持ち
時間でお客を三人か、四人くわえれば、口紅はかなりはげてるはず。そんな大
事なことに、あたしは今まで気がつかなかった。何て馬鹿な女なんだろう、あ
たしは。
お化粧を直したい。手鏡が、化粧品がここにあれば。風俗嬢として鏡や化粧
品は必需品ではないの。ボーイでも店長でも、次に鍵をあけたくれる人に頼も
う。化粧品を入れるポーチ、必要なんですって。
やっとお客が入ってきた。その途端、あたしははずかしくてカッとし、ドギ
マギしてうつむいてしまった。
「君、初めてかい?」
「えええ、初めてです。お客さんが初めてなんです」
「こういうお店で働いたことないの?」
「初めてで、ほんと初めてなんです」
「どうしてこんなところで働く気になったの? モデルも出来そうな美人なの
に。マレッタっていうんだろ?」
「はい、でもモデルよりこういうお仕事、一度、前からしてみたかって応募し
たんです」
「日本語うまいねえ。どこで習ったの?」
「おじが日本人で小さいころから教えられました」
「君はどこの国の人なの?」
「フランス人です」
「へえ? フランス人か。ちょっとフランス語しゃべっていてよ」
「セ・タン・リーブル、パルドン」
アメリカ人というと英語で話しかけられて太刀打ちできるか、自信がなかっ
た。大学でフランス語と余分にドイツ語を取った。英語は当然取らされたから
、欲張って三ヶ国語を取ったのだ。フランス語が一番やりたかった。次にドイ
ツ語。英仏独の三ヶ国語の達人になりたいというのが入学当初の目標だった。
無残に夢は消えたけれど。さらわれてから活字は化粧品のラベルだけ。テレビ
はほんのたまにお客を取る時に見ることはあるけど、ほとんど全部エロビデオ
で、あそこでシーメイルとして客を取る終わりのころに、ビデオから通信衛星
のポルノ局のに変わった。お客に責められながらいやおうなく目に入ってくる
ポルノ。同じ女の子が出ているのはほとんどなかった。ポルノを撮られてる女
の子の数はものすごいものだと思ったっけ。かなり美人が多かった。どうして
あんなきれいな子がポルノビデオに出演しているのだろうと思っていた。あた
しはビデオは撮られていないけど、無理やりはずかしい写真を撮られた。みん
な無理やり撮られたんだろうか。それとも承知で応募して撮られたんだろうか
。
村井はあたしに「マドレーヌ」という名をつけた。少しだけ覚えていたフラ
ンス語が救いだ。これからフランス人ということにしよう。
「ねえ、早くはじめてくれよ。三十分なんだろ?」
「すみません、今すぐ」
あたしはタイマーをセットし、着続けのショッキングピンクのブラウスを脱
いだ。
「立ってみて」
「え?」
あたしは立ち上がった。
「後ろにグルッと回って」
「後ろに?」
グルッと回って見せた。
「ぞくぞくする、いい体ね。こんなフランス娘の初めての客なんて。早くして
くれ」
私はしゃがみこみゴムを左手で取った。お客はズボンとパンツをずり下げて
、男のものを突き出した。すでに興奮し始めていて、起き上がり始めている。
ほめられた気分になってうれしくて、両手でささげもって先っちょからなめは
じめ、ズボッと口の中に入れてしゃぶりだした。
「ほんとに初めてなの? うまいじゃないの」
「恋愛映画のこういう場面、何度も見て一人で練習していたんです。お客さん
が本当に初めてなのよ。お客さん、しゃべっていたら時間超過しちゃう」
「そうだ、早く頼むよ」
あたしはシュポシュポ男のものを出し入れした。十分固くなったのでゴムを
かぶせていった。一日目より格段にゴムを上手にはめられるようになっている
。あたしは興奮しはじめてきていて、男の腰を抱え込んで猛烈に頭を動かした
。手を使うのを忘れてしまった。ついあの施設での癖がでた。男はウッといっ
て腰を引いた。
「何分?」
「二十分かな」
「よかった。いつも金欠だから本番の店に行けないんだ。マレッタはしばらく
ここで働くの?」
「そんなに長くはいないと思いますけど、当分はここでお仕事すると思います
」
「また来るよ。指名するからね。バックあるだろう?」
「ありがとうございます。次もマレッタって指名してください」
指名ってがあるのだわ。聞いたことあるわ。ホステスでも風俗でも、指名さ
れたらその分お給金がアップする。今のお客さんが終わったらすぐに指名客の
相手をし、指名客が多くなれば実入りが多くなる。でもあたしは指名客がつい
ても客を取らされても、お金は入らない。でも指名料が入らなくても、マレッ
タと指名されるのは女としてうれしいことだわ。あたしはこれからお客さんに
指名してねって、最後におねだりしよう。あそこでは十数人か二十人くらい指
名客がいたんだわ。一番多かったのはヤクザで、次が初回のはげ男で、その次
があの残酷な浣腸男、針をオッパイに打ち込む中国人だったかな。あたしをだ
ました老人と泥棒女三人組は一回だけだった。
興奮はおさまっていない。タイマーを切った。ブラウスを着てから、あたし
はブラウスの上からオッパイをもみしだきはじめた。ハッと思ってやめた。こ
こにもビデオカメラがあるのだわ。上を見てもビデオカメラらしいものはなか
った。右のアクリルの板の上の天井に黒い円盤があった。あれは何よ。シュプ
リンクラではないし、火災報知機、煙の探知機でもないよう。やっぱり、あれ
、カメラなのかしら。オッパイもんでいるのをバッチリ見られたのかしら。で
も節約して電源切っているとか、見せ掛けでケーブルがなかったりするかも。
お部屋のカメラも作動しているのか、あたしにはわからないわ。
お客さんが入ってきた。安心した。
「いらっしゃい、お客さん」
あたしはうれしかった。期待に胸が高鳴って、すぐにブラウスを脱いで、タ
イマーをセットした。
包帯を解かれてから三週間たっていた。いつなのか知らないけれど、お客さ
んはみんな長袖。秋なんだわ。さらわれて一年と三カ月、四カ月くらいか。あ
たしは化粧品をいれるポーチをもらった。後で店長は、ほかにほしいもの、な
いかいって聞いてくれた。あたし、欲が出て香水とブラウスやミニスカート、
ガーターやヒール、もう少し種類がほしいとねだった。店長は三種類くれてピ
アスを後二つくれた。服は青と茶色と紫、ピアスは大きな金の輪の形のものと
ガラス玉が垂れ下がっていたきらきら光るもの。お金はもらえなかったけれど
、これ、あたしがここで働いてもらったんだって、ここが気に入った。イカナ
イけれど。ボーイは三人。店長もボーイもあたしにフェラチオさせない。ここ
でフェラしてる女の子と知り合う機会は全然なかった。でも、あそこに帰る時
にもらったもの、持ち帰れるんだろうか。やっぱり、取り上げられるんだろう
なあ。
お昼から夕方まで三人か四人、多い時は五人、お客をくわえた。二時間ほど
休憩の後、五人か六人、多い時で八人くわえた。指名客は十人くらいかな。二
回上来たのは指名客なんだろう。他は一回だけだ。こういう店に来る男はみん
な金欠で、服はみすぼらしくやぼったく、男前は一人もいない。素人の女には
見向きもされない人種のようだわ。娼婦を買ってもテレクラで素人女と遊んで
も、男は女に数万の金を支払わねばならない。ここの料金はぐっと安いはず。
五千円とか、そんなぐらいかな。するとあたしは昼三人、夜五人として計算す
ると、一日八人。四万の売り上げだ。一番多い時なら昼五人、夜八人で、十三
人。六万五千円の売り上げ。へえ、考えたことなかったわ。M女の娼婦はすご
く高いから、あそこでは少ない時で三人、多い時は八人、だったかな。すると
少ない時で一回五万としたら、もっと高いのかな、時間料金かもしれない、や
やこしいから一回五万として少ない時で十五万、多い時で四十万! ウワオ!
あたしは金のなる木だったんだわ、シーメイルでも。シーメイル抱きたがる
のは少数だろうけど、それでもそれだけの客がいたんだわ。女として客を取り
始めたら、起きている間ほとんどお客を取らされるようにされるんだわ。でも
、八人以上客は取れないわ。時間的に限界だわ。もしかしたら、あたし、あそ
こに帰ってしばらくしたら転売されるのじゃないかしら。
深夜に部屋に戻ると、六十男ととひげ男が待っていた。
「見違えるほどきれいになったな。これを上から着ろ」
見るとコートだった。あたしは待ってねと言ってトイレをして、お化粧を直
した。二人は煙草を吸いながら見ていた。コートを着ると後ろ手錠をされ、黒
い布で目隠しをされて部屋を出た。さようなら、あたしはもらったブラウスも
ミニスカートもガーターもヒールも香水もピアスも持ち出せなかったわ。今の
ピアスはクリスタルのきらきら光るもの。ガーターとヒールは紫のをしていた
。もうここに戻ることはないのだわ。あの部屋も中を改装されて全然別の部屋
にされて、あたしが監禁されていた痕跡も残らないのだわ。あたしの道具が使
えるまでのために作られた部屋。あたしは女の道具を使っていいという診断を
受けるために連れ出されたのだ。
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