おとり捜査 第3章 潜入


六本木の裏路地に止めた車の中に、40代前半の男と年の頃は20代半ばの若
い女がいた。男は髪がボサボサで無精ひげを生やしている。この格好で公園を
歩いていたら誰もが浮浪者と見間違える風体である。それに比べ隣の女は質素
なスーツ姿の中にもファッション雑誌から抜け出て来たような艶やかさを漂わ
していた。

「高倉さん、匂いますよ」
「うるせいぇ!オマエこそなんだ?その匂いは」
「付け過ぎ?普段、香水なんてつけた事ないものだから分量がわからなくて」
「オマエも、少しは女をしてれば抱きたくなるのにな」
「高倉さんに抱かれるくらいなら死んだ方がマシです」

男は高倉健二42歳、叩き上げの刑事である。隣にいる女は浅田美奈、今年、
警察大学をトップの成績で卒業したばかりの新人捜査官である。

「そうか、じゃ一生、女はするな」
「はい」
「はっきり言うな!・・ところで、どうだった?」
「あっ、はい・・・」

現在、二人は六本木界隈での麻薬密売組織を調査していたのである。匿名の情
報により高倉は三日前から浮浪者にふん装し、アダルトビデオの制作会社であ
る「コスモ企画」を張り込んでいた。

「害者の名前は黒木郁美、28歳。三土生命に勤める普通のOLですね」
「五日前に美容院に行くと言って外出したまま、消息を絶っていました」
「で、、検査の結果は?」
「ピンポン!でした。体内から大量の麻薬が検出されてます」
「やっぱりな」
「先程、美容院にも行ってきましたが、彼女の事を店の人が覚えていて、藤崎
 美沙と言う女性と話しをしていたそうです」
「藤崎?」
「なにか?・・・・」
「美沙?・・・・・」
「心当たりがあるんですか?」
「どこかで聞いた名前なんだが・・・」
「高倉さん、健忘症ですか?気をつけてくださいね」
「うるせぇ〜!」
「心配してあげただけです」
「オマエに心配されたくない。大きなお世話だ」
「すみません」
「とにかく、その女を捜すか・・・」

二人が車を出そうとすると、大きな悲鳴が聞こえた。
「いいだろ?減るものじゃあるまいし」

二人が声の聞こえて来た方向に目を移すと、そこには若い女性を複数の男達が
とり囲んでいる光景が目に入った。

「ヤメテ下さい!」
一人の男が女性の髪に触れた。
「いいから、来いよ」

「東京も物騒に・・・」
高倉が美奈に話し掛けようとしたが、彼女は車のドアを開け、すでに身を半分
乗り出していた。

「おい、浅田。やめとけ・・・・って言うことを聞くわけないか」
美奈は男達に近づいて行った。

「やれやれ・・・・・」
高倉はヨロヨロのコートからハイライトを取り出すと煙草に火を点けた。


一人の男が女の手を掴んだ。
「大人しく来い!」

その時、男の肩を後ろから軽く叩いく者がいた。美奈である。
「うん?なんだぁぁ、オマエは」

「やめなさい!」
「笑、やめなさい?、丁度いい、オマエも来るか?」
男が美奈の手を取ろうとした。

「いてててて・・・」
美奈が男の手首を捻じ曲げたのである。男はなすすべもなく小柄な美奈によっ
て後ろ手に締め上げられてしまった。

「なにしてるんだ?三郎。笑」
別の男が美奈に近づく。

「調子に乗るなよ。このアマ!」
男が美奈の手を掴もうとしたが、その前に美奈の鉄拳が鼻っ柱を襲った。
「うぐぅ」
男は自分の鼻を押え後ずさりした。美奈は捩じ上げていた男を突き飛ばすと女
の側に寄った。

「大丈夫?」
「は、はい」

「調子にのるなよ?」
男の拳が美奈の顔に向かって放たれた。美奈の立ち振る舞いに、はじめて手強
さを感じ、取り押さえることを諦めたのである。

しかし、男の拳は紙一重のところで空を切った。バランスを崩した男の身体に
美奈の手が添えられた。さほど力を入れた動作には見えなかったが、男ぼ身体
は数メートルも飛ばされコンクリートに強く叩きつけられたのだ。

「うぅぅぅっ・・・」
「くそっ!」
腕を捩じ上げられていた男が、どこから取り出したのかナイフを手にした。
しかし、そのナイフは男が構えると同時に美奈の鮮やかな回し蹴りによって、
跳ね除けられてしまったのである。男が自分の手から消えたナイフを眼で追っ
た。再び美奈に視線を戻そうとした瞬間、ナイフを跳ね除けた美奈の足により
男は空を見上げさせられた。連続攻撃の脚を使ったアッパーカットである。頚
椎骨にショックを与えられた男はそのまま路上に横たわった。

自力で立っている男は一瞬にして一人になってしまったのである。

「やれやれ、煙草の一本位吸わせろよ」
高倉はそう呟きながら半分しか吸っていない煙草を揉み消すと、重い腰を上げ
て車から出た。

「少しは手加減をしろよ。お前は歩く凶器なんだからな」
そう言いながら、鼻血を押える男の手に手錠を掛けたのである。

「これでも手加減したつもりよ。笑」
隣で先程まで恐怖に怯えていた女性が呆気にとられている。
「そんな顔で私を見ないで、これでもカヨワイ女よ」

「外見だけはな」
高倉は手錠を掛けた男を車の方に促しながら、誰にともなく呟いた。



男達を連行する為、高倉と美奈は渋谷南署へいったん引き上げる事にしたのだ。
調書を取る為に被害者である女性にも同行してもらったのだが、偶然にもその
女性が藤崎美沙であったのである。

「あっ、思い出した」
「なにをですか?」
「藤崎美沙・・・コスモ企画の側にあった電柱のポスターで見たんだ」
「・・・もう、いいです」

美沙の話では、5日前に美容院で黒木郁美と知り合い、そのままコスモ企画に
彼女を連れて行ったそうである。撮影も終了近くになった時、見知らぬ男が訪
れたようだが、彼女は当日、別の用事があった為、黒木郁美を残して撮影現場
を後にしたようであった。

「何時頃ですか?」
「撮影が朝まで続いて、6時頃だったと思います」
「で、美沙さんは黒木さんを残して帰ったの?」
「はい」
「今日は、なんでコスモ企画にいったんえですか?」
「出演料を受け取りに。そしたらヤクザみたいな人達が居て怒鳴りあっている
 じゃない、私怖くなって出直そうとしたんです」
「それで?」
「そしたら、そこに居た人達が追って路上まで出て来たんです」

「高倉さん、見張りをしてたんですよね?みんながコスモ企画に入るのが気が
 つかなかったんですか?」
「俺も人間だから、生理現象もあるんだ。きっとその時に入ったのかな?」
「長時間、?・・・もしかして大きい方?」
「・・・・・」
「ピンポン〜・・・なんだ?笑」
「そんなことどうでもいいだろ!」

高倉は話を先に進めた。
「中には何人位いたんだ?」
「あの3人の他には、安田さんと5日前に尋ねて来た男が一人」
「そうか・・・」
「はい」

「浅田、ちょといいかな?」
「はい?」
高倉は美奈を部屋から連れ出した。

「どう思う?浅田」
「嘘は言ってないと思いますが」
「一応、つじつまは合っているな」
「三人を締め上げますか?」
「それもいいが、礼状を取っている間に証拠を隠滅されるだろうな」
「そうですね」
「すでに、遅いかも知れん」
「すみません、私があんなところで正義感を出してしまったから」
「仕方ないが・・・」

切れた言葉が、美奈の責任を追及していた。
「どうするかな」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「私に考えがあります」
「うん?」
「私が潜入して現場を押えます」
「どうやって?」
「安田達は藤崎美沙を使って、被害者達を集めていた節があります」
「そうだな」
「困っているんじゃないでしょうか?」
「どうだろうか・・ほとぼりが冷めるまで、活動を停止するんじゃないかな」
「はい、だからその前に私が代役として繋ぎをつけるってのは?」
「オマエが藤崎美沙の代役かぁ?」

そう言うと高倉は美奈の身体を見回した。
「私だって捨てたもんじゃないですよ」
「代役が出来るのか?」
「はい」
「一応、私も女ですから。。。笑」
「仕方ないな、俺には無理だからな」
「はい」
「連絡は絶やすなよ」
「藤崎美沙には何処かに隠れてもらってください」
「わかった」