リストラ (1)(作:慶子さん)


『プロローグ』

 アスファルトの水溜まりを蹴散らして、また車が通り過ぎた。幹線道路の跨
道橋の下で梅雨の雨をしのいでいる。もう3日も何も食べていない。この雨が
あがったら、何か食べるものを捜さなければ。
 
 
『解雇』

 私は高等工業専門学校の機械科を卒業し、平成ロックという錠や鍵の会社に
就職した。配属されたのは中央研究所で、私は新型の電子ロックの開発プロジ
ェクトに配属された。入社から3年、新製品はもう少しで完成する所まで漕ぎ
着けていた。突然プロジェクトの中止が伝えられたのはそんな矢先だった。

 ライバルの昭和ロックから、どう考えても私達が開発中だった新製品とそっ
くりな、新型電子ロックの商品が発表されたのだった。私達の落胆がお判り戴
けるだろうか? 全員言葉も無く、役員会の決定をただ黙って受け入れるより
無かった。産業スパイの存在も噂されたが、確たる証拠も無く、次第に私達の
気持ちは負け犬の様に落ち込んでいった。

 会社の投資額はかなりの額に膨らんでおり、未完成の新製品の開発を続ける
ことはもはや許されなかった。プロジェクトは解散され、同時にリストラも開
始された。現場の生産ラインの高齢者が真っ先にその候補とされたが、元プロ
ジェクトメンバーだった全員に取っては耐えられない決定でした。「私達の研
究がもう少し早く完成していれば。」誰の胸中にもそんな言葉が渦巻いていま
した。

 誰が言い出すでも無く、私達は辞表を提出し、少しでも現場のラインの人が
解雇されるのを防ごうとしました。私も先輩達と一緒に辞表を提出し、会社を
辞めました。先輩達は研究歴も長く、それぞれの実績も有りましたから、転職
先もそう苦労せずに見付けることが出来たようです。私は社歴も短く、転職先
がそう簡単には見付かりませんでした。

 給料も安かったので、蓄えもほとんど無く、退職3ヶ月で貯金は底をついて
いました。故郷へ帰れば、食べることには困らなかったかも知れませんが、ど
うしても負け犬のまま、故郷へ帰る気にはなれませんでした。当然収入減が断
たれたままなので、アパートの家賃も払えず、生活費の為に家財道具を処分し
ていたので、夜逃げ同然でアパートを出るしか有りませんでした。それから何
日が経過したのか、公園のベンチや高架下で夜を過ごしました。とうとう僕も
「ホームレス」になってしまったのです。

 それにしてもお腹が空いた。何とかしなければ、と気持ちばかり焦りました
が、どうする事も出来ませんでした。季節は梅雨も終わろうとしているので、
野宿には良いのですが、梅雨が明ければ、真夏の日差しに変わるので、昼間の
行動も考えなければなりません。本当に、何とかしなければ....。
 
 


『夏休み』

 前期試験が今年から夏休み明けになったので、気持ち的には勉強もしなけれ
ば、と思うけど、やはりそこは開放的な夏休み、「思いっきりエンジョイしな
きゃっ!」って、心のどこかで私の声が聞こえます。

「ネエネエ、法子、夏休みはどうするの?」
「私、まだ決めてないんだけど、絵梨子は決めたの?」
「あたしはもう決めてるわヨ! 今年は絶対にグアム!」
「え〜っ、グアムなの?!」
「そうよ! こんがりと焼いて、誰か素敵な男をゲットして!」
「やだぁー、そんな事考えてるの?!」
「だって、恋人居ないんだもん....。」
「恋人かぁ、私も素敵な恋人が出来ないかなぁ?!」
「だから〜、夏のビーチで私達のナイスバディーを武器にして、ネ!!」
「う〜ん、ちょっと自信無いかも....。」
「法子ったら、何言ってんのよ! 大丈夫だって!!」
「そうかしら....?」
「そうよ! そうに決まってるじゃ無い!」

結局私は絵梨子の強引な(?)論理に負けて、一緒にグアムへ行こうと決心し
ていました。帰省する前にグアムでちょっと遊んだって、良いわよネ?! 勉
強は少し早めに戻って来てやればOKだワ! 決めた!!

 前期の授業も全て終わり、今日は絵梨子とお買い物です。折角グアムへ行く
んですから、新しい水着をゲットしなきゃ! 絵梨子は大胆なハイレグカット
のビキニを選んでいますが、私はやっぱりワンピースかな? でも、普通のワ
ンピースは嫌だから、背中から見たらビキニに見えるタイプにしちゃおう!!

 絵梨子とは箱崎のリムジンバス乗り場で待ち合わせ。いよいよ出発、帰国は
成田じゃ無くて、故郷の福岡だから、この次に部屋へ戻って来るのはほぼ2ヶ
月先になっちゃいます。お家賃は毎月実家が振り込んでくれてるから大丈夫。
電話もちゃんと留守電にしたから大丈夫。では、行ってきまーす!!
 

『観察』

 梅雨の晴れ間に高架下から公園へと移動して来た。公園の周りには洒落たマ
ンションが何棟か建っていました。あれから3日、観察を続けてある部屋に的
を絞りました。空腹を我慢して夜になっても窓の灯を観察したのです。

 このままではどうしようも無い。悪いという事は承知していましたが、少し
精神的に余裕が持てるまで、間借りするつもりでした。公園の周りの窓の灯を
観察していたのは留守の家を捜す為でした。季節は夏になろうとしています。
学生ならきっと夏休みになる筈です。学生向けのワンルームマンションに住ん
でいるような学生なら、必ず旅行か帰省でしばらくは部屋を留守にするはずで
す。その間、少しだけ間借りしようと考えたのです。

 そしてとうとう的を絞り込みました。あれから3日、全く夜になってもその
部屋の灯は灯りませんでした。いよいよ今夜、行動する事に決めました。その
為に適当な針金も手に入れていました。まずはオートロックのマンション玄関
ですが、少ない世帯のワンルームマンションというのは意外と隙だらけです。
道路に面した玄関は確かにオートロックになっていますが、各階の廊下などは
侵入する気になれば、簡単に入れます。また、階段スペースも侵入するには簡
単な場所です。私は隣家とのブロック塀を乗り越え、廊下に静かに降り立ちま
した。目的の部屋の前に行き、針金を取り出しました。

 私は平成ロックという会社での研修期間中に、錠の構造について一通りの知
識は叩き込まれました。また、同期入社の中に「錠開け」のうまいヤツが居た
ので、たちまち同期仲間に拡がり、皆トレーナーの目を盗んでは「錠開け」に
熱を入れました。研修が終わるころにはすっかりコツをつかみ、普通のシリン
ダー錠なら1分とはかからずに開けることが出来るようになっているのが全体
の3分の1ほどは居ました。私もその中の一人だったのです。

 目的の部屋の錠は有り触れたシリンダー錠で、針金を二つに折り曲げ、二本
の先端をカギ穴に入れて研修の時の記憶を呼び戻しながら精神を集中させまし
た。

「カチリッ」

と音がしてシリンダーが一回転しました。ドアノブをゆっくりと回してみると、
見事にドアが開きました。体をドアの中に滑り込ませ、後ろ手にドアをロック
しました。

 手探りで窓際まで行き、カーテンを閉めました。最初だけは部屋の様子を頭
に入れるためにどうしても灯を点けなければなりません。再び手探りで入り口
の方へ戻り壁のスイッチを捜しました。「有った!」そっとスイッチを反対側
に倒すと、パッっと明るくなりました。

「!」
「これは...。」

どう見ても、女の子の部屋でした。窓のカーテンはライトブルーにクリームイ
エローの星がちりばめられ、ベッドカバーは「たれパンダ」でした。枕の横に
は熊の縫いぐるみも置いてあります。

「まいったな。」

それが正直な気持ちでした。まさか女の子の部屋だなんて。でも、また何日か
観察をして別の部屋を探す余裕は無さそうでした。

「まぁ、仕方無い」
「しばらくはこの部屋を借りることにしよう。」

身勝手な結論ですが、私はそう決めました。そうと決めたら、まずは空腹を解
消しなければ。

 幸い冷蔵庫には少しの食料が残されていました。比較的日持ちのするものば
かりですが、チーズ・ソーセージ・マーガリン・ヨーグルトドリンク・ミネラ
ルウォーター・ワイン。次に冷凍庫を開けると、こちらにはかなり大量の冷凍
食品が保存されていました。ピラフ・ピザ・グラタン・焼きそば、等々。しば
らくはこれらの食料で持ち堪えられそうです。

 極度の空腹時にいきなり大量の食べ物を食べるのは決して内蔵には良く無く、
下手をすると内蔵が受け付けない場合も有るので、今夜はワインを少しとトー
スト一枚程度にしておく事にしました。ワインをグラスに2杯も飲むと、空腹
とも相まってかなりハイペースで酔いが回って来ました。本当はシャワーも浴
びて体を奇麗にして、ゆっくりとベッドで眠りたかったのですが、深夜にシャ
ワーを使うとかなり大きな音がするので、今夜は取りあえず我慢する事にしま
した。

 食べ物の後片づけをして、部屋の灯を消し、床に横になりました。雨露に濡
れないだけでも、幸せだよ。そう考えているうちに、すぐに眠りに落ちました。
 
 

『グアム』

 成田を離陸したジャンボは大きな揺れも無く、快適に飛び続けています。絵
梨子は機内食を食べ終わると、さっさとアイマスクをして眠ってしまいました。
私(法子)は何となく寝そびれてしまい、まだ日本では公開されていない映画
を見ることにしました。それは素敵なラブ・ストーリーでちっとも退屈せずに
済みました。成田を離陸して3時間と少しでそこは太陽の降り注ぐグアムです。

 空港からはホテルの送迎バスに乗り込み、早速チェックインです。まだ幼さ
の残るベルボーイにトランクを渡して私達のツインの部屋に案内されました。
プライベート・ビーチを擁したホテルの9F、オーシャンビューの眺めの良い
部屋でした。パックツアーなので、それ程広い部屋ではありませんでしたが、
二人なら十分な広さでした。ベルボーイにチップを渡して二人だけになると、
早速絵梨子が

「さぁ、これからどうする?」
「少しゆっくりしたいな、機内では全然眠れなかったし。」
「何言ってんのよ?! 3泊4日なんだから、あまり時間は無いわよ!」
「判ってるけど、初日位は...。」
「ダメ! 時間は有効に使わないと! すぐに着替えてビーチへ行くのよ!」
「え〜っ、眠いんだけどナ...。」
「じゃぁ、ビーチで寝れば?」
「そっ、そんな...。」
「平気よ! ここはプライベート・ビーチだから、ビーチにいる人は全部
 このホテルの客ばかりなんだから。変な人は居ないわよ!」
「判ったわよ...。」

絵梨子に押し切られる格好で、私もビーチへ行くことになりました。二人はト
ランクから水着とバスタオルを出して着替えました。お金を少しと日焼け止め
をポーチに入れて得れバーターでロビーへ降りて行きました。ロビーを横切り、
ライベート・ビーチへの階段を降りると、強烈な太陽に焼かれた熱い砂浜が広
がっていました。私は空いているパラソルを探してその下のデッキチェアーに
腰を下ろしました。絵梨子も私の隣のデッキチェアーに腰を下ろしましたが、
サングラスの下の目は、しっかりとビーチに居る男性の品定めをしているよう
でした。

「う〜ん、思ったほど大した男は居ないわね。」
「なっ、何て事言うのよ?!」
「だって〜、そうなんだもの...。」
「恥ずかしいじゃないの!!」
「大丈夫よ、日本語の判る人なんて居ないんだから。」
「そっ、それはそうかも知れないけど....。」
「仕方無いわね、適当に時間を潰したら、今日の所は引き上げましょうか。」

 私は少しウトウトとしましたが、結局何も起こらず、絵梨子が退屈してきた
のでホテルへ戻ることにしました。そのまま部屋へ引き揚げても詰まらないと
絵梨子が言うので、ホテルのバーで何か飲むことにしました。そこは半分セル
フサービスの様な形式で、カウンターで注文するとバーテンダーが飲み物を作
ってくれて、客は代金をカウンターで支払い、飲み物を自分で運んで、好きな
テーブルに座る、という感じでした。私達は軽めのカクテルを注文してビーチ
が良く見えるテーブルに座りました。

「明日こそ、良い男を見付けないと!」
「もう、絵梨子ったら!!」

他愛の無いおしゃべりをして、そろそろ部屋へ引き揚げようと椅子を引いた時、
突然頭から冷たい水をかけられ

「キャッ!!」

思わず私は叫び声を上げてしまいました。何が何だか訳が判らず、呆然として
いると、

"I'm so sorry.  Are you OK?"

という英語が聞こえました。

「OK,OK」

絵梨子が答えていますが、相手はとても恐縮しているようです。そっと振り向
くと白人の女性が二人、私の後ろの通路に立ち、倒れた背の高いグラスを載せ
たトレイを持って、心配そうに私を見ていました。どうやら、彼女達が私の後
ろを通り抜けようとした時に、運悪く私が気付かずに椅子を引いてしまったの
で、彼女がバランスを崩してトレイに載せていたグラスを倒し、その中味が私
の頭の上から降って来たようでした。私のバカ!!

 幸い私達は水着のままだったし、シミになる事も無さそうだったので、再び
絵梨子が

「OK,OK」

と言いましたが、どうもすぐには納得しない様子で、何か二人で早口で英語で
話しています。私も絵梨子もカタコトの英語なら話せますが、ネイティブの早
口の英語では、何を話しているのか、全然判りません。私と絵梨子が顔を見合
わせていると

「モウシワケアリマセンデシタ」
「えっ、日本語が話せるんですか?」
「スコシダケネ」
「良かったー!」

トレイを持って居なかった方の人が少しだけ日本語が話せたのです。

「ワタシノチチガグンタイデニホンニイタトキ、ワタシモニホンニイキマシタ。
 ダカラスコシダケニホンゴワカリマス。」
「凄い凄い、とっても日本語上手ですよ。」
「アリガトゴザイマス。」

日本語でのコミュニケーションが出来ると判った途端、親密度が一気に増した
気がしました。その彼女によると、飲み物をぶっ掛けた(?)彼女が恐縮して
いて、何とかお詫びがしたい。と言っても、そちらも大層な事は嫌だろうから、
今夜私達の部屋で小さなパーティーを開くから、そのゲストとして来てくれま
せんか、という事でした。私は絵梨子と顔を見合わせ、小声で「何か差し入れ
を持って行けば良いんじゃ無い?!」と相談し、今夜お邪魔することにしまし
た。彼女達のルームナンバーを教えてもらい、

「今夜8時にネ!」

と、念を押されて別れました。

 部屋へ戻って、シャワーを浴びて、泳いでもいないのに汚れてしまった水着
も洗ってパーティーの為に着替える事にしました。
 
 


『新しい生活』

 街が動き始めたざわめきで目が覚めました。最初に見えたのが天井だったの
で、一瞬自分がどこに居るのかと、不思議な感触でしたが、すぐに昨夜の事を
思い出しました。ゆっくりと体を起こし、改めて部屋の中を見回しました。そ
して、そーっと両側の壁に耳をあてて、隣の部屋の様子を確認しました。両隣
からはテレビの音も何も聞こえず、静かなままでした。時計、ピカチューの時
計ですが、を見ると午前10時を少し回った所です。まだ寝ているのか、それ
ともどこかへ出掛けたのか、いずれにしてもいまは静かなお隣さんなので、昨
夜我慢したシャワーを浴びて、体を奇麗にする事にしました。

 出来る限り派手な水音をさせないように、熱めのシャワーを浴び、ボディー
シャンプーで体を洗い、髪は2度シャンプーで洗い、リンスもしました。床屋
へは随分行っていないので、肩まで延びて来ています。バスタオルで入念に体
を拭き、バスルームから出ました。着ていたものはどれも汗が染み付いて、汚
れてしまっていますから、着るわけには行きません。台所の戸だなにあったゴ
ミ袋に全部投げ込み口を縛って玄関の土間に置きました。

 全裸で居るわけにも行かないので、整理ダンスの一番下の抽斗を開けてみま
した。カラフルな色彩が目に飛び込んで来ました。ピンク・ブルー・イエロー・
ストライプ・チェック・黒・赤。色の洪水のようでした。女の子のパンティー
です。心の中で「ゴメン!」とつぶやいて、白のパンティーを取り出しました。
拡げてみると、とても小さくてこれが大人用?、と思えるほどの大きさでした。
でも確かにこの部屋の住人の女性のものですから大人用なんでしょう。半信半
疑で横に引っ張ると、それはどんどん大きく伸びて大人のサイズだという事が
判りました。両足をゆっくりと通して引き上げると、それは肌に吸い付くよう
に密着しました。

「あぁ、何て気持ち良いんだろう....。」

少し冷たいナイロンの感触は何とも言えず、快感でした。他の抽斗を開けると、
ショートパンツやタンクトップが有りました。それらを着て、改めてベッドに
腰を下ろしました。ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを煎れ、ト
ーストと目玉焼きで簡単なブランチを済ませました。

 食事が済んだので、もう一度これからしばらく間借りする部屋を調べる事に
しました。バスとトイレ、クローゼットの中、靴箱の中、そして小さめの洋服
ダンスの中と抽斗の中、最後にライティング・デスクの中。

 一通り調べて、この部屋の住人、彼女は「山下法子」という名前で、女子短
大の2年生だと言う事、文学部英米文学科に籍を置いていること。最近は手紙
を書かない人が増えているから一概には言えないけれど、男性からのラブレタ
ーやFAXの類いは無い。実家の母親からの手紙らしきものから、実家は福岡
で有る事。前期試験日程は9月中旬から始まる事。写真のアルバムから、彼女
は少しポッチャリめだけれど、少し背が高めだけれど可愛い感じを受ける女性
で有る事。大体、以上の事が判った。

 しばらく、この部屋で暮らすのだから、侵入者が居ると気付かれない為に、
私は守るべきルールを書き出しました。

 ・カーテンは絶対に開けない
 ・大きな物音は立てない
 ・テレビ、ラジオはイヤホーンで聞く
 ・匂いの強い調理はしない
 ・夜も電灯は消したままにする
 ・毎晩両隣の住人の在室を確認する
 ・ベランダ側の窓を少し開けて両隣のエアコンの室外機の音を確認する
 ・電話には絶対に出ない
 ・訪問者が有っても、絶対に応答しない
 ・外来者の場合も絶対に応答しない

壁の見やすい位置にセロテープで貼り、常に頭に入れられるようにしました。

(続く)