男も育児休職/1.出産に立ち会う

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1.出産に立ち会う

分娩台の横に立つ

1991年十月二日、陣痛に入った妊婦の姿を初めてこの目で見る。妻が母親教室で教えられた呼吸法で息をつきながら、おなかをかかえて、くの字に横たわっている。この日、夜十時に帰宅して目撃した光景である。

数日前から、朝出かけるときに必ず「今日あたりかもしれない」と妻におどかされていた。おかげで会社にかかってくる外線電話のベルの音のたびにビクついた。残業を終えた帰りがけ、向ケ丘遊園駅でK課長と同期入社のTが連れ立って飲みにいくところにでくわし、当然誘われたが、おちおち飲んではいられないということを説明して放免してもらった。そして帰宅したところであった。

妻は説明する。「陣痛のようなの。でも、単なる強い『張り』なのかもしれない。間隔も不規則だし」。彼女とて陣痛は初めてであり、よく分からないというのが彼女の現在の状況だ。私もやはり分からない。生まれて初めて陣痛というものを見るのだから。

数日前からおなかの「張り」が強くなっていたから、陣痛がもうすぐだということは分かっていた。「張り」が一日に何回もやってくるのが前兆で、それが周期的に強くやってくれば陣痛に入ったことになる。問題は、どの段階で陣痛に入ったのか素人には判断がつきかねるという点だ。妻は、今日一日働きすぎたので張りが強くなっただけかもしれない、本格的な陣痛ではないかもしれないとも言う。私が夕食をとっている間、妻が安静にしていると、なるほど間隔がかなり開く。

よく聞かされた話だが、おなかが強く張るので陣痛と思い病院に駆けこんだはいいが、いつの間にか治って家に帰される妊婦さんはけっこう多いという。だから少しぐらい張りが強くなったからといって、すぐに病院へ行くようにとは指導されていない。家でしばらく様子をみて、いよいよ分娩が近づいたことを確認してから病院へ行くことになっている。

予約してある病院からは、一時間に六回以上陣痛が来れば、つまり陣痛の間隔が十分以下になれば、病院へ連絡し、準備を整えた上で来るように言われている。妻のつけているメモを見ると、その段階にはまだ達していないようだった。十一時以降はかなり落ち着いて、間隔が二十分以上開くようになったから、とりあえず床を敷く。枕元に陣痛の時刻を記していくメモを置く。十二時半ごろ、眠ってしまう。

二時四十五分に妻がトイレに立つ気配で目覚めた。破水(羊膜が破れて羊水が出てくること)したかもしれないという。小用のあとも水が出てくるので間違いなかろうということになる。この場合は緊急事態だから陣痛の間隔などとは無関係に病院へ行くことになっている。妻が病院へ電話をしている間、私は出かける準備を始める。もうかなり前から妻は出産時に必要な荷物をまとめておいてある。着替えて布団をたたみ、その荷物を車につめこむ。

自家用車で出発したのが三時過ぎだった。破水の後、急に陣痛が激しくなったようだ。かなり、つらいらしく後部座席で横になっている。極力揺らさないように深夜の街を走る。信号待ちのとき振り向いて妻を見ると、おなかをかかえこんで後部座席でうずくまっている妻が信号の赤いライトに照らしだされていた。病院へ着く。救急受付の夜番のおじさんがカルテを探せないで右往左往するといった些細なトラブルを経て産婦人科病棟へ着く。陣痛は短い間隔で周期的にやってきており車椅子を使う。陣痛室へ入る。たぶん、三時半前だった。

分娩室の横に陣痛室なるものがある。この陣痛室で子宮口が開くまで数時間を過ごすことになっている。本には初産で陣痛は十〜十六時間くらいと書いてあるのだが、どうも、かなり経過が早いらしい。苦しさもかなりなものらしい。採尿用のコップを持って部屋の中のトイレに入ったが、コップを取り落とす音が中から聞える。妻が苦しそうな顔をして出てくる。トイレどころではないのだ。助産婦さんがやってきて、もう分娩室に入りましょう、ということになる。結局、陣痛室にはほとんどいなかったことになる。十分もいなかったに違いない。

浣腸やら何やらの処置をするというので、私はしばらく分娩室に入れず廊下で待たされる。ややあって助産婦さんから分娩室の中に入ってもよいという許可を得る。子宮口はもう七センチ開いているのだという。十センチ開いたところで赤ん坊が出てくるというから相当進んでいたのだ。こうなると灌腸も下手にしないほうがいいので何もしなかったという。呼吸法としては極期呼吸の段階に入っている。かなり強いのでフーンッ、フーンッ、の変則呼吸から入る。助産婦さんから指導を受けながら、この呼吸法で二、三分間隔の陣痛をやり過ごしていく。

どうも陣痛が、規則的でないようだ。母親教室で習ったのだが、この段階で陣痛の期間は二、三分、そして陣痛自体は60秒程度続くとされている。ところがピークが二回ある120〜150秒程度の陣痛もあれば(隣接する陣痛がつながったのだろうか?)、五分くらい間隔が開くこともある。彼女の顔と横に置いてある測定機をかわるがわる見つめて次の陣痛のタイミングを計ろうとするが、はっきり言って、本人が言う「あっ、もうすぐ来る」の一言以上の予測ができるわけがない。

横に置いてある測定機は妻のおなかに巻かれた腹帯につながっており、赤ん坊の心臓音を拾って、スピーカーで部屋中に聞こえるようにしている。もちろん、この心臓音が弱くなると赤ん坊が危険ということになる。この測定機は同時に腹圧とでもいうのだろうか、妻のおなかの張り具合も測定しており、測定結果を刻一刻とグラフにして出している。陣痛が来たかどうか、過ぎたかどうかは妻の顔色のほかにこのグラフを見ていれば分かるようになっている。

分娩室で立ち会いの夫ができることは、たいしてない。ひたすら呼吸法のフォローをして、乱れそうになったら直してやること、手を握っていてあげること、無駄に力まないように注意してあげること。そのくらいのものである。ただし、手を握っているというだけのことでも簡単にすむわけではない。ことに、苦しみを紛らわそうとして私の手を口に持っていって、指をかじり始めるのでたいへんである。すかさずタオルを口に突っこんでやらなければ、私の指は出産後何本か減っていたに違いない。それぐらい、すさまじい勢いでかじってきたのである。後で本人から話を聞くと、とにかく何かをかじっていないと子宮に対していきんでしまいそうな力をほかにそらすことができなかったのだと言う。ともあれタオルが手近にあったおかげで、私の指は無事だった。握力もすごい。

五時半ごろ、子宮口が全開した。つまり直径十センチに達した、と助産婦さんが判断した。分娩台という歯医者の治療椅子をもっと大げさにしたような椅子の上の妻は、ここで足を固定され、「いきみ」始めてよい、との指示を受けた。助産婦さん一人が肛門を押さえ、一人がおなかを押さえて子供を外に出す作業が始まる。ここで、宿直していた担当のF先生が出てきて指揮をとり、助産婦さんが「いきみ」かたを適切に指示していく。妻の横に立っている私の位置からでも赤ん坊の髪の毛が見えてくる。だが、なかなか出てこない。子宮口の開きは早かったが産道がまだ硬いというのが、先生の判断であった。会陰切開が行われる。えらくあっさりとやってしまうもんだというのが横にいた立ち会い人の感想である。それぐらい判断は早く、処置も迅速だった。助産婦さんの当

てているガーゼは、どんどん血にまみれていき、何度も何度もたらいで血が流し落とされている。

頭がはっきり見える。だが、なかなか出てこない。F先生はここで再び「うまく出てこないので、助けを借ります」と言い、鉗子の用意を始めた。鉗子の先が挿しこまれ、頭が引っぱり出される。続いて助産婦さんが肩を出し、そこからはズルズルッと身体が出てくる。時計を見上げると五時五十分ちょうどだった。産声。女の子だった。

ここで、夫は分娩室から一時退出。赤ん坊が産湯につかり、助産婦さんが身長・体重・頭の大きさ・髪の毛の長さ・身体の反応・身体の色などを測定するのをガラス越しに眺めた。ニタニタと、さぞ締りのない顔をしていたことと思う。すべての処置が終わって窓ガラスが開き、赤ん坊が手渡される。3114グラムだという。予定日より二週間以上早かったにしては上出来だったといえるだろう。父親は感無量なのだが、赤ん坊はひたすら泣いている。早朝の産婦人科病棟の廊下に泣き声を響かせる。この間、妻は会陰切開部の縫合だとかの処置を受けている。ややあって分娩室に再入室し親子三人の時間をもらう。

とにかく立ち会ってよかったと思う。体験としては圧倒的だった。男たちが今まで蚊帳の外に置かれていた理由が分からない。立ち会いは女性から求めるのではなく、男性が求めていい権利だと思う。確かに横に立っていて何の役に立つかよく分からない存在であるにしても、父親の権利として求めていいのではないかと思う。

七時前には分娩室から追い出される。父親はこれ以上必要とは認められていないのである。赤ん坊は新生児室に移されている。えらく早い分娩だった。人によっては三十時間もかかるというのに。家に帰り親戚に電話で報告した後、会社に出勤した。

会社では、すませなければならない仕事、たまっていた仕事を片付ける。そして昼過ぎに病院に戻る。それ以上いても眠ってしまいそうなのと、隣の部のSさんに「今日は嫁さんのそばに付いているべきだ」ということを強く説得されたからである。Sさんによれば、ここでしくじると一生恨まれるというのである。会社の廊下ですれちがうだれもが「おめでとう」と言ってくれる。

午後三時から新生児室前でガラス越しの面会。生まれたばかりなのでほかの赤ん坊より身体が赤いのはともかくとして(だから赤ちゃんと言うのか)、顔が大きいのではないかということに気づく。病室に戻って妻に、そのことを告げると「目は一重まぶたで父親似、鼻は母親の団子鼻、口は父親の大口、顔も父親の長い顔」という女の子としては最悪のシナリオの恐れがあると言う。まあ、たかだか顔の造りがどうだっていうんだ。夫婦の結論である。新生児室ではひたすら泣いており、隣の子供を起こしてなお泣いており、看護婦さんがあやしてなお泣いている。元気がいいのだというプラスの材料に数える。

五時を過ぎて病院を退出し、妻の妹のところに寄ってベビー・バスを借りて帰宅した。一人で祝杯をあげる。飲み過ぎて翌日、二日酔いになる。

もくじまえつぎ

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