男も育児休職/8.会社へ復帰する

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1992年の四月二十日に風邪のなおった私は十一週間ぶりに会社に復帰した。私が使っていた机はなくなっていた。休職中にオフィスの引っ越しがあったのだ。新しい部屋に新しく私に割り当てられた白い机があり、横にはダンボール箱がいくつも積まれ、私の荷物はその中につめこまれていた。各部署への挨拶回りの後、私はダンボール箱の横に座って開封し、机とキャビネットに書類を整理し始めた。かくて復帰第一日目は引っ越しの後片づけで終わった。

翌日、保育園に赤ん坊を送った後、整理の終わった机の上で私は仕事を始めた。何の違和感もなかった。すべてが十一週間前のとおりだった。部下からのレポートを赤ペンでチェックし、電話に応対し、仕事の計画を立て、上司からの質問に答えているうちに育児のことは頭の中の片隅に片づけられていた。

朝、起きて朝食をとり、子供を着替えさせ、授乳し、車に乗せて保育園に送り、会社に出勤する生活にも、すぐに慣れた。十一週間の育児専業の後ならなんだってできる。言ってみれば私は育児という仕事のために十一週間の期間、職業訓練を受けたようなものだ。それは会社と育児という二つの仕事に従事するためである。

会社に復帰してから私は周囲に、こう告知した。

「朝は保育園の送りがあるから九時半にならなければ私は会社に来ません。妻の都合で保育園への迎えもやる日は四時に帰ることになります。そういう日はなるべく事前に言いますので会議・打ち合せの設定は考慮してください。残業は基本的にはフレックス勤務の清算分を除いてやりません」

育児休職などという荒業をやったおかげで何を言ってもだれも驚かない。毎日遅く出社するので、それを相殺するためにときおり遅くまで仕事をしたが、月末にカウントすると差引の残業時間はほぼゼロになった。

ある日、部長が休日出勤や残業を減らそうと電子掲示板上で部員に呼びかけた。また、有給休暇を消化しようと、つけ加えられていた。私は思わずフォロー記事を書きこんでしまった。

 

残業・休日出勤の減らし方、有給休暇の取らせ方

(対策)

  • 部の八割を占める男性独身社員を結婚させて子供を作らせる。ただし、結婚相手はフルタイムで働いていなければならない。そして、子供ができても仕事をやめないような女性を選ばせること。
  • 育児を奨励する。

(効果)

  • 保育園の送り迎えで残業は確実に減る。
  • 休出も、まずやらなくなる。
  • 子供が熱を出せばたちまち休暇。

(実例)

  • 太田がいい証拠。

 

労働時間短縮が欧米からの圧力もあって国内問題になっているようだが、私は期せずして労働時間短縮をなしとげてしまった。家事という仕事がその分増えているだけなのだが、表に出てくる数字の上では確実に労働時間は減っている。どうしても、労働時間短縮をなしとげたいのなら、政府は男性の育児休職や育児時間を義務化すればいいのだ。効果はテキメンだと思う。同じく社会問題化しそうな出生率の低下だって防げるかもしれない。義務化というのが冗談にしても、推奨して損はないと思う。

もう来ないだろうと思っていたマスコミ記者もまだときおりやってくる。育児休業法が施行された当初のころと違って、突っこんだ取材が増えた。じっくり話を聞こうとしてくれる。ある記者は朝の七時半に私の家にやってきて、私が朝の出かける準備をしているところを写真にとりながらインタビューを進め、保育園へもついてきて、その後いっしょに電車に乗り、バスに乗り換え、会社に着くまでインタビューを続けた。また、ある記者は私の上司、同僚、部下、近所の住人、保育園の保母さん、大阪の私の両親など、広範囲な取材を行って記事を書いた。いずれも、よく書けた記事だった。

記者たちによると、タクシーの運転手さん、学校の先生など、ぼちぼち男性の育児休職取得者が出てきたものの、まだまだ事例が少ないのだそうだ。そうか、まだ事例が少ないのか。最近、職場結婚したS夫妻に言っておかなくては。「とっとと子供を作って育児休職するんだぞ、そうすればマスコミの取材はそっちに回すから」と。男の育児休職がめずらしくもなんともない社会が早く来ないものだろうか。


〔注〕

残業時間がゼロになったと偉そうに書きましたが、これはこの原稿を書いていた復帰後四カ月までのこと。五カ月後に再び残業時間が増えたことは正直に言っておきます。すぐに減る筈です、仕事が片づきさえすればですが。


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