
| 走り続けるアーティスト達 |
In the Nurseryは多作なグループである。83年にデビューアルバムを出したのを皮切りに毎年のようにアルバムをリリースし、現在もなおバリバリ現役だ。何しろ、2004年現在までに作品をリリースしなかった年は全く無いのだから、本当に休憩することを知らないグループである。
が、多作なバンドに対して良く言われることだが、結局凡作の大量生産に終始してないか? という危惧もある。実際そういわれてしまうと返す言葉が無いというか、結局ITNがいまだにメジャーな存在になれない理由が見え隠れしてしまう。
ただ、ITNの音楽はそもそも理解されるのが難しい地味めの音楽なので、彼らが目立たぬ存在なのはなにも凡作大量生産だからという事とは違うだろう。
それに何より彼らの音楽は他に類似する物がほとんど見当たらないワンアンドオンリーな世界を構築しているため、リリース数が多かろうが少なかろうが貴重な存在なのには違いない、という事だ。
厳密にいうと、ITNというグループは成長しているバンドであり、それは現在進行形で行われている。最初から天才性を発揮し、デビューアルバムがいきなり全世界でヒット、というようなアーティストとは全く違う。
彼らのデビューアルバムは、まあ酷な事を言ってしまえば散々な結果に終わり、それを反省しながらその後もアルバムを発表、徐々に技術と腕を身につけながら少しづつ前進して現在に至っている。
つまり私のようなITNファンは彼らの「成長記録」を順々に追っている事になるのだ。最初の頃は全くのアマチュアからスタートし、徐々にノウハウとアイディンテティを獲得、決して下降する事無く、ゆっくりでありながらも確実に成長しつづけているのである。
彼らには過去に3回ほど大きな変化が現れた。まずクラシカルな音楽性への移行。そしてITNcorpという自社を作った頃に出はじめたアンビエントミュージックへの接近、そして今までの長い経験が活かされ総合的にクオリティが向上しつつある「Groundloop」以降の作品群。こういった変化に伴い、ファンを止めていってしまった者もいるだろうが、全体的に見るとITNの音楽性という物はほとんど変化していないので、私はいまだにファンでありつづけている。
それは、私が「Stormhorse」を初めて聴いた時のあの衝撃と感覚が、現在の作品にも何かしら残っているからなのだろう。
ところで、私の好きなアーティストに姫神というのがいる事をフッと思い出した。日本人の星 吉昭によるソロ・プロジェクトだが、この人もまた多作な人で、毎年のようにアルバムを発表する人で知られている。この人のサウンドは一聴してこの人だと分かる日本古来の土着的サウンドを取り入れたニューエイジミュージックなのだが、NHKなどの番組で多用されているばかりか、様々な場所で聴くことが出来るので誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。
面白いことに、ITNも姫神も音楽性は全く違うが、どちらも古風で土着的なサウンドだという所で一致している。日本の風土を漂わせた音楽を作りつづけている姫神、かたや欧州の香りと文化をなぞらえたサウンドのITN。しかも、やはりどちらも徐々に成長しながら前進しつづけている。両者とも90年代中期頃からビートなどのサウンドを取り入れたりして、新しい試みには積極的なのだ。 にもかかわらず、根底にある音楽性は全く変わっておらず、パっと見は全然変わっていないように見えるというのもまた、両者の特徴である。
ただ、大きな違いとして、姫神は「神々の詩」等の大ヒット、及びTVでのBGMの多用によりそれなりに有名なのに対して、ITNは・・・・・というのはあるが。
しかし、姫神とていざ世界的レベルで見たら、やはり国内のみの人気に集中してしまっているという感は否めない。それはやはり土着的なサウンドであるが故の宿命であるような気がするのだが、これはITNにも当てはまる事で、ITNがヨーロッパではそこそこ人気があるのに対して、アメリカや日本ではサッパリ、という事からも伺える。
ただ、日本人は欧州の世界観に強い憧れのような物を持っていると私は考えているので、ITNサウンドが日本人に不向きな音楽とは考えにくい。だから、もう少し人気が出てもいいのになあ、という気にさせられるのは、やっぱり虫がよすぎるだろうか?
両者ともいまだ成長を続けているので、今後彼らがどういった方向へ向かうのかなど、全く分からない。それは彼らのみぞ知る、だ。それに私がどこまで彼らを追うことが出来るかも分からない。取り敢えず、今は彼らの作品に耳を傾け、今後はどういった成長を見せてくれるのかを期待しながら追うことに変わりはないだろう。
ただ困ったことに最近の姫神の作品はCCCDでリリースされているのである。この人までドアを釘で打ちつけてしまうとは・・・・。だから今現在、私は姫神を追うことは止めている。アディエマス、エニグマに続いて姫神までも・・・・。この勢いでいったらエンヤやディープフォレスト辺りも最新作は釘で打ちつけられた状態で出てくることになりそうだな。もしそうなったら土着系サウンドの「五大柱」は全滅、という事になるわけだけど。 クソ、メジャー系なんて所詮そんなもんかな。
そのことを唯一心配しなくて済むのがITNなんだけれど、よもや、って事はないよね? そんなくだらない理由で追うのを止めざるを得なくなるなんて御免だぜ。
追記
2004年10月1日、姫神こと星吉昭さんが亡くなった。58歳だった。あまりの急な訃報にいまだに信じられない。奇しくも、SONYがCCCD製造を中止すると発表した矢先の出来事である。そんな吉報もむなしく、それ以前に新作を聴く事が不可能になってしまったのだ。今回の事はある事を考えさせられた。それはアーティストの作品から離れていく理由は何も解散したからとか、音楽性が変わってしまったからとか、もう飽きたからとかだけではなく、当のアーティストが亡くなってしまって「やむなく」離れざるを得なくなる場合もあり得るという事だ。考えただけで恐ろしいが、時々その不安に襲われる事は確かにある。でもまさか・・・・と思っている訳だけど、そのまさかが起きてしまった訳で、何ともつらい。
ただ姫神の場合、もう充分すぎるほど作品を発表しているので、まだ報われているかもしれない。まだまだこれから、という新人があっさり亡くなってしまう事もあるのだ。それは実に悔やまれる死である。 でも健在でまだ現役ならば、もっと新作を聴きたいというのがファンの常。だから姫神にしてもITNにしても毎年新作が出るのを我々はほとんど当然のように待っている訳だけど、それはある意味贅沢なお願いなのかもしれない。
ひとつひとつの作品がどれだけ意味を持つことか。それらはその人物の記録であり、生きている証しなのである。亡くなってから出てくる音源などは、単なる思い出に過ぎない。我々はその事を肝に銘じ、今後のアーティストの作品をありがたく聴かせてもらおう。
心から、ご冥福をお祈りいたします。
それと東芝EMIよ、お願いだから過去のCCCD作品をキチンと通常版で再発して下さい。でなきゃ報われないよ。アーティスト作品を粗悪な規格で散々コケにしておいて、何もオトシマエをつけなかったらホント、単なる金儲けだけの会社だからね。