第参章   霊樹(陰陽道)


   夏休みが終わり、裕紀は大学のキャンパスに戻っていた。以前のように横には岡本と橋
本がいる。結局、彼らに取って夏休みの旅行は観光見物以外のなにものでも無かったのだが
裕紀に取っては人生を大きく変える不思議な体験旅行だった。今、思いだしても信じられな
い気もするのだが夢で無かったことは確かであの日以来、美佳と裕紀は見えない回線のよう
なもので繋がっているのだ。先日も自分の部屋でボーっとしていると、突然フラッシュが起
こり別の場所に移動していた。正確には体はそのままで視界だけが移動していたのだが、美
佳の見ているものを裕紀が見ているかのように錯覚していたのだ。その時は目の前に斎藤(
奈津美)さんが居て横には西田(幸子)さんが居た。なにやらグァムでの出来事を話してい
るようで美佳はそれを聴いていたのだ。まるで彼女達は裕紀に話かけて来るように喋るもの
だからつい「その後、夜はどうしたの?」と質問を投げかけてしまったのだ。すると、美佳
の口から声が出てしまったではないかもちろん美佳の声ではあったので彼女達は美佳が聞い
たのだと思い、質問に答えだしたのだが。狼狽したのは美佳と僕であった。(勝ってに頭に
入り込んで会話に参加しないでよ)(ごめん、悪戯はなかったんだ。まさか声になって出て
しまうなんて)(いつから私の中にいるの?)(わからない)(長い間、トランスしてると
戻れなくなるわよ)どうも精神が移動している間は体の方は魂の抜け殻のようになっている
らしい。

その晩、こんどは彼女が裕紀の体にトランスしてきた。ちょうど僕は借りてきた大黒摩季の
CDを聴いている時で、突然、彼女が(この曲いいわよね。私も持ってる)と頭の中で話し
掛けてきたのだ。プライバシーもなにもあったものじゃない。彼女に言わせるとお互いに相
手の事を考えていた時だけトランス出来るのだそうだ。確かにこの曲を聴きながら、(美佳
にも聴かせたい)と考えたような気もする。彼女も自分の体が心配だからとすぐに引き上げ
て行った。その後、何度かトランスを試しているうちにいくつかの法則のようなものを発見
した。お互いに相手の事を考えている時にトランスしてしまうのは精神のドアみたいなもの
があってそれを開け放し状態にしていると知らない間に入って来てしまうことがわかった。
裕紀と美佳は精神の扉を閉めて置くことが出来るようになった。また、片方が相手の事を考
えていなくても強く念じるとその精神の扉を叩いて相手に知らせることも出来ることがわか
った。それがあのフラッシュみたいな感覚なのだ。

「おい!八雲、聞いてるか?」
裕紀の目の前で岡本が手の平を左右に振っている。
「あっ?なんだった?」
「やっぱり聞いてないか、最近、色ぼけじゃないのか?、夏休みに山形で神野に魂を抜かれ
  てしまったんじゃないのか?」
話をまったく聞いていなかった裕紀は何も言い返すことができない。その時、天の助けが現
れたのだ。話の元凶、神野美佳である。
「私が魂をどうしたって?」
岡本に尋ねながら美佳は裕紀の隣に座った。突然、現れた彼女に奇襲を駆けられた岡本は沈
黙状態であった。しかし、すかさず橋本が反撃に転じた。
「なんで神野さんみたいな綺麗な人が八雲みたいなヤツを相手にしてるのか問い詰めてたと
  ころなんだ。勉強の出来る僕や、頭はないけど力持ちの岡本ならわかるけど、なんの取り
  柄もない八雲でしょ?きっと、魔法を使って虜にしたんだろって話していたのさ」
話してもいないでまかせを、次から次ぎへと良く口から出すものだと感心してしまう。岡本
も橋本の話にはひっかかるところがあるようだ。
「誰が頭はないけど力持ちだって??」
「ビビビッっときちゃったの(笑)」
彼らの好奇心は当事者が揃ったところで爆発してしまったようだ。
「夏休みに八雲は神野の実家に泊まったんだろ?そこでなにかあったとか?」
(おまえたちは三流芸能記者か!)美佳は意味ありげに僕に視線を投げかけたと思うと
「女の子はいちど征服されてしまうと離れられなくなってしまうの」
美佳も橋本に負けずと劣らず、ありもしないことを言ってのけたのだ。
「おーーい、こいつら本気にするよ。単細胞なんだから通りすがりの女の子を襲ったらどう
  するんだ?」
裕紀は黙っていられずに割って入った。それを無視して美佳は彼の腕を取り寄り添うのであ
る。呆気にとられている二人を尻目に美佳は席を立った。
「裕紀を返してね」
美佳は何事があったのか裕紀の手を引っ張りどこかに連れて行こうとするのである。
「どうしたんだよ」
「いいから、ちょっと」
美佳により裕紀は強引に学食から連れ出してしまったのだ。




キャンパスに出た裕紀は納得がいかず続けた。
「どうかしたのか?なにか変だぞ」
「裕紀にもわかるの?」
「なんでみんなの前であんなこと言ううだ?」
「乱れてるでしょ?」
「僕と美佳の関係はそこまで乱れてないでしょ!」
「私と裕紀?なんのこと?」
「僕は君の事を言ってるんだよ」
「私のどこが乱れてるのよ!」
突然、美佳の頬が膨れだした。
「霊場の話をしてるのよ」
「霊場?」
話が何やら混乱しているようだが、美佳の話では羽黒山と同じような零場が関東にもあって
皇居の近く千代田区大手町にある平将門の首塚が有名だが武蔵野丘陵にあるこの大学のキャ
ンパスにも負けずとも劣らない霊場が有るらしい。丁度、この大学のシンボルであるタイム
タワーがその位置にあたるらしい。この大学の創立者や建築家はそのことを十分理解してい
たらしく建物の正面には霊樹と名づけられた苗木が植えられている。その霊樹か大地から放
出される霊気を調整しているらしいのだ。どうもその弁のような役目をしている霊樹の様子
が最近変だそうなのだ。裕紀は美佳に連れられタイムタワーに向かった。

タイムタワーは広いキャンパスの丘の上にあり高さ120メートルのモダンな搭になってい
るのだが、中間の高さに位置するところには12時になると機械仕掛けの人形が音楽を奏で
る仕組みがありタイムタワーと名づけられている。その搭の正面には霊樹が植えられている。
まだ植えられてから5年の歳月しかたっていないこともあって樹は幼い感じがするのだが今
までは立派にその役目を果たしていたのだ。

「どこが変なんだ?僕には何も変わってないように見えるよ」
「ほら、今、霊気の放出が止まってしまったわ」
「そうなんだ?ぜんぜん感じないけど、美佳の気のせいじゃないのか?」
食い入るように見ていた美佳の顔が不安な顔に変貌していった。
「どうした?」
「ゆう、、、き、、、、見て」
霊樹全体から青白い光が発散しているように見える、すると「ボッ」と音がしたと思うと青
白い光は赤い炎に変わり霊樹を一瞬の間に包んでしまったのだ。
「あぁ・・・」
裕紀は声にならない悲鳴を上げた。なおも霊樹は燃え続けている。
「久しぶりだな!美佳」
裕紀は口を開けたまま声の主を捜し求めた。美佳も同じように声の主を探しているようだ。
燃え盛る炎の影から背の高く体格の良い一人の男が現れた。
「安倍晴彦・・・・、あなたの仕業ね」
「オレじゃない。最近、霊波が乱れていたので調べていたんだ。」
「ところでそちらの男性はボ  ーイフレンドかい?」
「そんなことをして遊んでいる余裕が君にはあるのか?ふっ」
「美佳、だれだ?こいつ」
その男は裕紀を侮蔑する眼差しで眺めていた。
「ほぅ!、少しは霊力があるようだな。」
「しかし、その程度ではオレの足元にも及ばない。問題外だ」
「なにを言いたいことを言っているんだ?このやろぅ!」
「八雲さん、やめて!」
「八雲??、なるほど、それで少しは霊力があるのか。」
「八雲一族は我が一族によって遠の昔に滅亡したはずだが、時を経て復活したようだな」
「しかし、その程度では話にならん。それも陰霊の持ち主では再興は出来んな!」
「わぁはは。女の子は少しおとなしくしていろ。」
裕紀は阿部晴彦を睨み付けた。一瞬、背筋が凍ったようで気後れしてしまったのだがやっと
の思いで口を開いた。
「誰に向かって言ってんだぁ??」
「僕のどこが・・・良く目を開けて見てみろ!ばかやろぅ!」
「ふっ、自分のこともわかっていないのか、おまえの霊力は陰霊力だ」
「・・・・・うん?そうか美佳、やっと代体に巡り逢えたのか」
「・・・・・ならば、その前にけりをつけておこう!」

突然、男の周りの空間が歪んだと思ったら、2メートルはあると思われる鬼が現れた。
「なっ、、なんだ!」
夢??鬼は裕紀に向かって疾風のごとく突進してくる。その腕はあまりに太く、爪は牙の
ように鋭かった。裕紀の足は恐怖に震え身動きが出来ず鬼の爪が自分を貫くのを目を閉じ
て待つしかなかった。
「殺される・・・・だめだ・・・」
しかし、その時が来ない。恐る恐る目を開けると、ありえないことだが、美佳の白い小さ
な細い手で60cmはあるかと思われる鬼の腕を押え込んでいたのである。彼女の白い手が
小さく発光したかと思うとそれはすぐに鬼の体全体を包んだ。その光が消滅すると鬼の姿
も消滅していた。一瞬の出来事だった。
「ほぅ。霊力がそうとう上がったようだな!」
「そろそろ、その身体には大きく成長した霊力は入りきれなくなったんじゃないのか?」
「まぁ良い、ならば」
突然、男は印を結ぶと何やら呪文を唱え出した。
「うわぁ・・」
体が熱い。目が霞、体の節々が痛くなり裕紀は立っていることが出来なくなってしまった。
「裕紀!!」
美佳は裕紀に駆け寄り彼を抱き起こした。美佳の目には小さな手と膨らんだ胸が飛び込ん
で来た。
「これでは代体も使えないな!、神野一族も美佳の代で滅亡か。ふふっ・・・」




裕紀は美佳に支えられてやっとの思いで彼女の部屋まで辿り着いた。歩き出した時は下か
ら支えるかたちだった美佳が部屋に着くころには視線は同じ高さになっていた。関節の痛
みと共に裕紀身体は変態を遂げ背丈がそうとう縮んでしまったようだ。履いていたジーン
ズも足元で床を引きずってしまっている。8時間ほどすると目の霞や体の痛みは取れたの
であるが縮んでしまった背丈や膨らんだ胸、くびれたウエストは依然もとには戻っていな
かった。
「大丈夫?」
「うーん、なんとか痛みは無くなってきた」
「もう、夜の12時を過ぎてしまったわ。泊っていってね」
「ありがとう、そうするよ」
帰れと言われてもこの体じゃ帰るに帰れない。美佳の申し出は裕紀にとって天の助けだっ
た。
「折角のチャンスだったのにこの体じゃ美佳を襲うにも襲えないな(笑)」
「あはは、二度目だし冗談が言えるようだったら大丈夫ね。」
「でも、この体はどうしてしまったのだろぅ?美佳は変わりないし」
「前のような入れ代えではないよね」

「えっと、、あの男、安倍晴彦っていったかなぁ。。僕に何をしたんだ?」
「わけのわからない事もいろいろ言ってたけど」
裕紀の疑問に答えるべく美佳は説明をはじめた。
「私が男性の体を必要としているのは知ってるわよね。」
「うん」
「それは私の持ってる霊力が陰陽道で言うと陽の霊が強いの」
「簡単に言うと霊力が男性的性格なのよ」
「霊にも男とか女があるのかぁ?」
「僕にも少しあってそれが女性的性格の霊力なんだ?」
「そう、強い霊力を持っているほどその色が濃くなるのだけど、私の中でもその霊力が成長
  しているの。あまりにも強くなると霊と体の陰陽が揃ってないと遊離してしまうの。」
「たぶん、もう少しで・・・・」
「安倍は卑怯にも直接対決を避けて、あなたを代体出来ないようにしたの。」
「もっとも、今の私では戦っても彼には勝てないと思うわ。」
美佳の説明で事情は何となく理解出来たのだが、裕紀にとって肝心なことは彼自身の身体を
どうしたら取り戻せるかなのだ。
「僕の体はどうしたら・・・・、もう戻らないの?」
「きっと、裕紀の霊力と、あいつの術の相乗効果で体が変態しているんだと思うの」
「どちらかを取り除けば戻るかもしれないわ。でもどうやって取り除けば良いのか・・・」
「僕の霊力が?」
「えぇ、裕紀の霊力はすごい勢いで成長をはじめたわ。感じるもの」
「あいつがすぐに陰霊だと断言したことを考えると潜在的には強い霊力を持ってるのね」
裕紀は対処方法がわからない事で不安な気持ちで一杯になってきた。
「とにかく考えて見るわ、今日はここに泊ってゆっくりして」
裕紀は美佳の勧めでびっしょりかいた汗を流すためバスルームを借りることにした。

バスルームの鏡に写った自分の顔は明らかに女の子のものだった。美佳もキュートな顔をし
ているが鏡に写った自分の顔もしばし見惚れてしまうくらいだ。少しブルーかかった大きな
瞳に長い睫の女の子が鏡の中で裕紀を見つめているのだ。彼女は裕紀に向かってウインクを
したり笑顔を見せたり、ベロを出したりしている。
「裕紀。もう入った?」
「今、入るところだよ」
裕紀は急いで服を脱ぐとバスルームの扉を開けた。お湯の中の揺れる自分の体には、やはり
男性に有るべきものが無かった。そっと手をその位置に移動させ探してみるがやはり無い。
胸にはDカップとは言えないかもしれないがBカップくらいの膨らみまであるのだ。片方の
手をその膨らみに移動し触ってみた。弾力性があり触っている感覚と触られている感覚が同
時に伝わってくる。裕紀は目を閉じてその感覚を味わいはじめていた。
「裕紀!寝ないでよ!着替え私のだけど、ここに置いとくから良かったら使って。」
突然の声に狼狽した裕紀はお湯に顔まで浸かってしまった。
「あぁ。。。ありがとう」
なんとか、平静心を取り戻し、美佳に返事をすることができた。
「僕は何をやっているんだ・・・・・・・・見られたかなぁ。」

しばらくしてバスルームから出るとそこにはバスタオルと着替えが用意されていた。自分の
服を探すと無残にも水の張った洗濯機にいれてある。これでは選択の余地が無いじゃないか、
なにが「良かったら使って。」だよ。体と髪についた滴をバスタオルで念入りに拭き取り置
いてあったスウェトスーツを手に取ると。その下には小さなパンテイーとブラジャーが隠れ
ていた。僕は少し考えたすえにパンティーのみを取り上げていた。ベージューで飾り気のな
いシンプルなものなのだがビキニには変わりない。もしこれでピラピラした飾りなどが付い
ていたら絶対に履かなかったと思う。トランクス派の僕には、はじめはピッタリした感触が
少し異様ではあったのだが、丸みを帯びた今の身体にはフィットしているらしくすぐに慣れ
違和感は感じなくなっていた。

その夜、美佳はベットを裕紀に勧めたのだが男?である彼のプライドがベットを占拠する事
を拒み彼女に譲ることにしたのだ。もっとも彼女は「それじゃ、一緒に!」とまで言ったの
だが無視してソファーに寝る事にした。電気を消すと彼女は一言、僕に告げた。
「明日は調査をしに朝から大学に行きましょう。」
「あぁ・・(男言葉が声に合わない)」
「でも・・・ブラジャーは着けてね。それじゃ余計に男性の目を引くわよ!(笑)」




翌日の朝、美佳と裕紀は大学に行く為に早起きをした。(いつもは行ってないのか!と言わ
れそうだが、土曜日は午後に1時限あるだけなのだ。決してサボッてはいないので念の為に
述べておく事にする)問題は着て行くものだった。裕紀が目を覚ました時すでに美佳は食事
の支度を終えて外出着に着替えていた。それがどう見ても下着を薄いワンピースの上から着
てるように見えるのだが、最近若い女の子の間で流行っているキャミソールというものらし
い。
「早く食事をしましょう。洗面所には歯ブラシとタオルを用意して置いたから使ってね」
食事を終えて(彼女は料理が苦手らしいので名誉の為にここでは話を省略させてもらう)歯
を磨いていると後ろで美佳が話し掛けて来た。
「なにを着ていくーぅ?勝手に選んでいい?」
「うぅ!」
美佳の着ているキャミソールを思い出した裕紀は歯磨きの泡で一杯になった声にならない返
事をすると急いで口を濯ぎ彼女のところに駆けつけた。彼女は自分と同じような服を勧める
のだが裕紀は強行にそれを拒否してジーンズにTシャツを主張した。最後にはまだ濡れてい
る自分の服を取り出して来たのだが、さすがにそれは断念した。結局、着せ替え人形のよう
に脱いだり着たりしている間に疲れて来た裕紀は彼女の意見を取り入れてミニタイトにサマ
ーセータに決定した。かれこれ30分は経過している。やっと出掛けると思っていると彼女
は何やら持ってきて女性の嗜みとか言いながら裕紀の顔に何やらペタペタと付け始めたのだ。
「動かないで」
かれこれ10分くらいしてから口紅を塗り手鏡を僕に手渡した。確かに気持ちが引き締まっ
て気分が変わったのは確かだ。
「女性は毎朝たいへんだなぁ」
「少しはわかって貰えたかなぁ?さぁ、準備完了!出掛けましょ」
2人は玄関に向かった。




裕紀は大学のキャンパスを歩いていても視線が気になっていた。
「美佳、やっぱりどこか変なのかなぁ?」
「そんな事ないわよ、どうして?」
「みんながジロジロ見てないか?ほら・・・」
「それはそうよ美人の女二人が揃って歩いているんだから(笑)男達は絶対見るわよ」
美佳は慣れたものでそんな事を気にしていたら女性はファションを追求出来ないとまで言っ
てのける。女性が綺麗になる源でもあって見られなくなったらお終いだそうだ。
「神野さーん」
岡本と橋本が手を振りながら近寄って来た。
「おはよぅ。」
美佳が答えた。彼らは近くに来ると裕紀を嘗め回すように見てから挨拶をした。
「はじめまして」
「はじめまして、こんにちは」
裕紀が可愛い声で答えると聞いてもいないのに勝手に自己紹介を始めた。(そんなこと知
ってるって・・・)やっと、自己紹介が終わると美佳は裕紀の事を従姉妹と紹介した。今
日は大学見物に来たそうだ(笑)。
「八雲を知らないか?」
「昨日、あれからタイムタワーのところで火事があってたいへんだったんだよ。」
美佳はすぐに裕紀と別れたと嘘を付くと
「ほんとに?火事があったの?後で見に行くわ」
と付け加えるとそっけなく彼らに別れを告げた。まだ話を続けたそうな彼らであったが裕
紀もとびっきりの笑顔を作って彼らに投げかけると頭を下げて美佳の後を追った。なんで
彼らに笑顔で別れたのだろうか?女性が男性に向かってよくする笑顔はこんな感じなんだ
と思いながらも、いつまでも裕紀に向かって手を振る彼らを見たら何やら良いことをした
気分になつた。少なくても素っ気無い美佳に比べたら女性としての素質は自分の方がある
ようにも思いだしていたのだ。

とりあえず裕紀と美佳はかけられた呪術について調べるべく大学の図書館に行ってみる事
にした。入り口を入るとパソコンが設置されており勝手に書籍の検索が出来るようになっ
ている。いくつかのキーワードをもとに書籍を選択すると本の概要が見れる仕組みにだ。
何冊かの書籍のロケーションをメモすると二人はその場所に移動した。幸いお目当ての本
は一個所に固まっていた。
「あれーっ、届かない。裕紀、取れる?」
その本は大きな移動棚の最上段にあった。見上げるとそこは途方もなく高いのである。昨
日までの裕紀だったらすぐに取ることができただろうが、今の彼にはとうてい届きそうに
ない。すぐに諦めた裕紀は、結局、踏み台を持って来て取ることにした。

2人とも2、3冊の本を抱えると閲覧室に移動した。裕紀は基礎的なことを知りたかった
こともありその場で目についた陰陽道入門を手にとった。この本は陰陽道の歴史なども記
載されており知識のまったく無い裕紀にとっては役に立つと思われたからだ。この本によ
ると陰陽道は継体帝の時代に中国から伝えられたらしいが普及したのは欽明帝の頃だとい
うので簡単に言うと聖徳太子が活躍する少し前の頃だろうか。平安時代になると最盛期を
迎え陰陽師として、弓削是雄、滋丘川人、保憲親子、安倍晴明がその頭角を表した。

「安倍晴明?もしかしてこれって、あの安倍晴彦と関係があるのか?」
横で聞いていた美佳が肯く。

平安貴族は陰陽五行説の影響を大きく受けており、そんな中陰陽界を牛耳るのが賀茂・安
倍家である。賀茂家は役小角の流れといわれ、賀茂忠行・保憲父子の代となると陰陽道の
一大権威となった。忠行は透視術に長けていたが保憲はこの父以上の才能を示し、小さい
頃から鬼が見えたという。そして保憲の弟子として現れるのが安倍晴明だった。保憲は実
子、光栄に暦道をつがせ、晴明には天文道を伝えた。ここに陰陽道の二宗家体制は確立し
た。安倍晴明は朱雀帝から一条帝までの六人の帝に仕え、陰陽道を完成した形に作り上げ
た人物である。

「なんだかすごいヤツなんだなぁ」
裕紀が感心していると美佳は怒ったようにその大きな瞳で彼を睨んだのである。
「何を他人事みたいなことを言ってるのよ。裕紀の為にいろいろ調べてるんだから」
「元に戻らなくても良いの?」
「・・・・・・・・」
「そんな事より股を閉じてくれない?スカートを履いていて見っとも無いわよ!」
裕紀は調べるのに気を取られていてスカートを履いているのをわすれていた。急いで足を
揃えて辺りを見回すと何人かが彼の方を見ていた。裕紀は顔を赤らめ下を向いてしまった。

「裕紀って鎌倉に住んでた?」
美佳が何とはなしに裕紀に聞いた。
「確か祖父の代まで住んでいたと思うが今は誰も住んでいないよ」
彼女が手にしている本には鎌倉にある八雲神社という神社が安倍晴明と縁の神社として記
載されているらしい。何故、京都を中心に活躍していた安倍晴明が鎌倉と関係があるのか
は不明であるがその神社には安倍晴明と刻まれた石があるのだそうだ。

2時間程、2人は本と睨めっこをしたのだが裕紀のかけられた呪術に関する成果は得るこ
とが出来なかった。安倍晴彦が呪術解説本でも出版してくれれば有り難いのだが当面は期
待出来そうにない。裕紀達はワラをもすがる思いで鎌倉に赴くことにした。