巻頭言(「化学とソフトウェア」,1998年3号)

「私」はインターネットのどこにいるのか

県立新潟女子短期大学生活科学科生活科学専攻
本 間 善 夫

 力不足ながら,1998年度の化学ソフトウェア学会研究討論会の準備委員を担当することになり,新潟大学工学部の伊東章先生に実行委員長をお引き受けいただいて開催する運びになりました。特別講演は,ご研究の傍ら化学工学に関するWebページを公開されている伊東先生と,化学情報にお詳しく内分泌撹乱物質(環境ホルモン)情報の取りまとめもなさっている,国立医薬品食品衛生研究所・化学物質情報部の神沼二眞先生にお願いいたしました。多くの方にご参集いただければ有り難いと思っております。
 巻頭言を書くように言われ,本学会でいろいろ勉強させていただいていることを改めて思い返しています。
 化学ソフトウェア学会の前身である化学PCソフトウェア研究会の第6回討論会(1990年,お茶の水女子大学)に参加して,実演を含めた熱心な雰囲気を知ったばかりの翌年,第7回が長岡工業高等専門学校で開かれることになり,実行委員長の関澤先生に「せっかく県内で開かれるのだから」と発表を勧めていただいたのがきっかけで,それ以来毎年参加させていただいています。
 さらに振り返ってみれば,学生時代の化学工学用計算尺と手回し計算機から始まって,関数電卓・ポケコンを経てパーソナル・コンピュータやインターネットの出現に立ち会ってその感激を味わえたことは,生まれた時から目の前にパソコンがある今の子どもたちと比べて幸運だったとも考えています。
 討論会の発表形態も,私が参加するようになった当初はフロッピーディスクの持参で十分だったものが(その頃から専用システムを持ち込んでご講演下さった先生もいらっしゃいますけれど),最近では会場でインターネットに接続したりご自分のノートパソコンを持ち込んだりで,大掛かりになってきています。個人の扱う情報量が飛躍的に増大しているということでしょう。
 さて本稿の標題は,脳科学者・澤口俊之さんの『「私」は脳のどこにいるのか』(ちくまプリマーブックス)を真似たものです。同書は,最近の脳科学の研究成果を青少年向けにわかりやすく解説したもので,ニューロン,コラム,モデュール,フレーム,領野,入れ子構造等々の説明は,「脳」のアナロジー的存在であるコンピュータやインターネットを考える上でも興味深いものがあります。最近のインターネットの急激な普及を見ていると,まさに地球全体が一つの脳になりつつありように感じます。
 縁あっていろいろな方に助けてもらい,化学・環境情報提供のための自作ホームページを開設していますが,各ページのアクセス状況や様々な立場の方からのメールを見ていると,意外な受け取り方をされる場合も少なくなく,時によってはそれを取り入れて内容を更新したりしており,まさに標題のような気持ちになることもあるという訳です。最近では特に環境ホルモンに関するページの利用が多く,そこから化学の基礎を学べるページを辿って見てもらうように工夫したりしています。
 ページでは分子に関する内容が大部分になっており,プラグインを利用して分子モデルも参照できるようにしています。私と「分子モデル」とのつき合いは,学生時代に高分子中における低分子の拡散速度の研究をして,その低分子の体積を求めるためにHGS分子モデルを組み立てたことに始まります(今でこそ分子体積を計算するソフトウェアもありますが)。ワトソンとクリックがDNAの構造を決定するのに針金のモデルと方眼紙を利用したと聞いたことがありますが,それに少し似ているような気もします。
 その後教育の場に就いて,HGS模型を講義で多用し,パソコンが出現してからは既存の分子組み立てプログラムを活用するようになったのが本学会との繋がりの最初になります。その分子プログラムを自分の使いやすいように改変して利用していたものの,複雑な分子になると数日掛かりになることもあり,現在の分子科学計算システムの手軽さは驚異的です。冒頭の計算尺とパソコンの差異のようなものですが,それぞれに味わいがあり,これまでに使ったツールは手放せずにいます。
 化合物の分子構造を調べる際も,手元の文献に出ていない場合や詳細な立体構造が不明な場合でも,最近ではインターネット上のいくつかのデータベースが手助けをしてくれるようになりました。
 化学情報に限らず,数年前まではインターネットで検索してもヒットしないことが多かったのに,現在では逆に情報が多過ぎて自分の必要なものを絞り込む技術が必要になってきています。
 しかし,信頼のおける情報が不足しているのも事実であり,神経回路があっても学習しなければ脳が機能しないように,インターネットの仕組みが整っても有用な情報が流れなければ意味がありません。欧米に負けず,国内でも一層のコンテンツ充実が進むように願ってやみません。
 最後に余談。科学史に関する本を読んでいて,「分類」や「ことば」に興味を持つようになりました。元素や化合物名の名前の由来もおもしろく,例えば ortho-,meta-,para- が化学以外ではどのような単語に使われているか知ってもらうことは,化学を身近なものに感じてもらうための一手法だと思っています。インターネットの話題でしたので,internet と intranet,intermolecular と intramolecular という言葉の比較などはいかがでしょう?


化学ソフトウェア学会