前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年2月19日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第3回

なぜ男が?

「なぜ育児休職をしたのですか?」と聞かれるが、それは納得のいく保育園で生後 六カ月まで預かってくれるところが近所になかったからだった。「なぜ男であるあな たが?」とも聞かれるが、それは子供をつくろうと強く私が主張したからなのだった。

 仕事が大好きで子供をつくることを後回しにしたがる妻に対して、「早く二人で子 育てをしよう」と私は言葉を重ねた。その私が、保育園が見つからなかったという理 由で妻だけに育児休職させたのでは、言行不一致もはなはだしい。朝のゴミ出しを請 け負って忘れてしまうような言行不一致は自分に許せても(妻は許さないみたいだが )、子育てに関しては、体を張って守るべきことのように思えたのである。あれやこ れやあるうちに妻の妊娠が分かって、さてどうやって育てようかと話し合っていた、 ちょうどそのころ、育児休業法が国会で可決された。父親も育児休職ができるという ニュースを見て、私は「おれが休職しよう」と言い出した。夫婦交代で育児休職する という結婚生活最大のプロジェクトはこうして始まったのだ。

 職場の上司は意外なほどにあっさり認めてくれた。虚をつかれて一瞬言葉が出なか ったようではあったが、素早く立ち直って休職中の仕事の扱いについて検討し始めた 。その上司を私は今でも尊敬している。

 しかし、実際の手続きに入り、会社の社則が相手となると話は面倒になった。実の ところ、育児休業法が施行される日は、私の休職予定日より数カ月ばかり遅かったか らだ。「どうせ法律には従うんです。施行を見越して男性の育休を数カ月早く認めて くれませんか」と会社相手に粘ってみたが、いったんは断られてしまった。私はあき らめきれない。私は父親としての責務を果たしたいのだ。じたばたと社内のあちこち に電話をかけて相談をもちかけているうちに、労働組合まで動き出し、特例として休 職が認められることになった。

 友人たちは育児休職前夜に宴会を開いてくれた。首都圏に珍しく降った雪を踏みし めながら、「さあ、明日から新しい生活だ」と帰宅し、翌日二日酔いの頭痛とともに 私の育児休職が始まったのだった。

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