前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年2月12日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第2回

会社から離れて

 「育児休職して良かったですか?」と聞かれると「もちろんです」と即答してきた私だが、これは圧倒的少数派として育児休職した男のいじましくも戦略的な側面がある。なにしろ育児休職する男性は昨年度の調査で〇・一六%しかいない。私が休んだ六年前はさらに一けた少なかったのだ。

 育児自体は楽しかった。それは本気でそう思う。休職中の家事育児の全面担当も、現在の「兼業主夫」生活の訓練期間として、とても役に立った。これにも、うそいつわりは無い。専業でしばらくやると、慣れない家事でも相当に身につくものだ。しかし、問題はガランとした昼間の家の中の風景だった。

 寝息を立てて昼寝している赤ん坊、窓から差し込む冬の陽光、近所の工務店から聞こえるつち音と電動ノコギリの音、私と赤ん坊以外にひと気のない家の中……。それは私が知らなかった日常生活だった。それも侮れない日常生活だった。それまでの私の生活とは、会社で仕事をして同僚とおしゃべりし、妻や友人と飲んだり遊んだりして過ごすことだった。でも休職中はすべてが変わった。物言えない赤ん坊とたった二人の時間が一日の半分は続き、それが毎日繰り返す。泣けば授乳したり、おしめを交換したり、衣服を着せたり脱がせたりしなければならない赤ん坊がいつも私の横にいる。

 試しに一度ぶらりとコーヒーを飲みに行ってみたのだが、連れている赤ん坊に気をとられて、何の気晴らしにもならないことが判明しただけだった。それが零歳児の育児なんだから当たり前なのだけれど、その当たり前のことを休職して初めて痛感したのだった。住宅地の平日には、そうしたガランとした日常が展開されており、私は赤ん坊を抱いて漂流している気分だった。その空虚さを埋め合わせる専業主婦の努力のひとつが、たぶん昼間の公園での濃密な交流なのだろう。先週も書いたように、そうした努力の場に中途半端な休日気分で出かけていっても、相手にされないのは当たり前なのだ。

 サラリーマンにとって住宅地とは休日気分で過ごす場所だが、専業主婦/主夫にとっては孤独と戦う真剣な生活の場所である。今になって、そんなふうに偉そうに書けても、当時はその簡単なことが分からなかった。そんな休職中の話である。

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