前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年2月26日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第4回

妻にうとまれる

育児休職したことで、「さぞ奥さんから感謝されてるんでしょうね」とよく言われ るが、私は答えをためらう。正直に書くと、休職中の私は妻にうとまれていたところ があるからだ。

 妻によれば、休職中の私はうっ屈していた。「青菜に塩」状態でもあったそうだ。 「そうでもないだろう」と私はムキになって反論したが、分が悪い言い合いであろう ことは私もどこかで自覚していた。

 例えば妻が残業を終え、夜遅く帰って来る。妻が夕食を食べるかたわらで、私は話 しかけようとする。

 会話の中心は赤ん坊のことだが、それ以外の日常生活の話題がどうにもうまくいか ない。トピックが無いのだ。休職のころのトピックと言えば、確か一位が花粉症で目 ヤニがひどい近所の猫の話、二位が親離れできない子猫、三位が公園での母親たちの 派閥情報。どれもこれもささいなことだが、四位以下はもっとささいなことで、とう の昔に忘れてしまった。

 一方、産前・産後・育休の合計六カ月間の休みを終えて復職した妻は、元気はつらつ、てきぱきと夕食を食べ、しゃべりたいことをしゃべり、新聞を読み、私のおおよそどうでもいい世間話を聞き流した。

 当然、聞き流されたこちらの気分は良くない。そうした表情を察知しても妻は「仕 方ないわね」と、ややうんざりした表情を浮かべて受け流そうとする。

 それに対して私は、せいぜいイヤミを言ってウサを晴らそうとする。そこから不毛 な夫婦げんかが始まるのだが、あるときハタと気がつくのだ。産後休暇を終えて育児 休職に入ったころの妻に、私がそっくり同じことをしていたことを。

 おれは働いてきたんだぞという顔で帰宅して、妻の用意した夕食を食べ、しゃべりたいことをしゃべり、愚痴っぽい妻の会話を適当に聞き流す。気分を害しているらしい妻に対して「まあ、休職が明ければ気分も晴れるだろう」と腹の中でつぶやいて受け流そうとしていたのが、他ならない私だった。

 さて、私の育児休職は妻に感謝されたのか、という質問に戻る。多分、公式見解は 「感謝はしている」だろう。しかし、本音のところは恐くて聞けないというのが真相 なのである。

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