前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年3月5日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第5回

職場が恋しい

 私たち夫婦はもともと「仕事漬け」の会社員だった。 例えば、私が残業で夜中の十一時に帰宅すると、妻が十二時に帰って来る。 妻が深夜一時に帰って来ると、私は徹夜して帰らなかったりした。 まっとうな人間のするべき生活ではない。それが続いたのは、 やはり仕事が楽しかったからなのだろう。仕事に没頭して、まっとうな 生活を放棄した多くのサラリーマンの一人だったのである。

 育児休職を取ろうと決めたとき、そんな生活から一時的に離れて みたいと思ったことも確かだが、いざ体は会社から離れても、心が なかなか離れない。赤ん坊が昼寝に入るや否や、パソコンのスイッチを 入れて会社のコンピューターにつなぎ、電子メールをむさぼり読む。 電子掲示板に目を通して、職場での議論に首をつっこむ。

 それで済むならまだ可愛くて、私はときおり、部下に電話をかけて仕事の 進行状況を聞くなどということまでやっていた。休職した人間のくせに 往生際の悪いことこの上ない。部下だって、いい迷惑ではないか。 それが分かっていて電話をかけるのだ。仕事依存症だったのかもしれない。 いや、依存していたのは「仕事」ではなく「職場」だったのかもしれず、 育休中のストレスは職場から離れた禁断症状にも思えるのだ。

 育休に入って一月もたったころ、私は赤ん坊を連れて会社のそばにきた。 休職前に「会社に来ないこと」と明確に申し渡されていたので、電話で部 下を近くの喫茶店に呼び出す。表向きの理由は、彼が近々すこしばかり危 なそうな地域に海外出張するので本人の意思を確認することだった。しか し、とってつけた理由であったことは私も自分で分かっていたし、呼び出 された部下にもそれはすぐに見抜けるものだった。

 呼び出す口実に使った話題はすぐに終わってしまい、話は職場のうわさ話 に移行し、更に眠っていた赤ん坊が目を覚ましたので、私がひざに抱き上げ てあやしていると、その部下は育児に話題を転じた。

 その部下から数日後、ベビー服が贈り物として届いたのであるが、 メッセージカードには「たいへんでしょうけど頑張ってください」と書かれ ていたのであった。つくづくみっともない、休職中の上司であった六年前の 話である。

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