前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年3月19日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第7回

ミシンを踏む

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 休職中、ぞうきん、シーツ、布団カバー、コップ袋その他を準備することになった 。赤ん坊を保育園に入れる準備である。衣類も下着から靴下に至るまですべて名前を 書くか、縫い込まなくてはいけない。準備品のリストを渡されたのが入園の二週間前 。説明会に出た父親は慌て、途方に暮れた。

 小学校時代の家庭科では私も縫い物をした。実家に、そのとき作った洋服カバーが 残っている。黒猫のアプリケまでついていて、我ながら恥ずかしいぐらいに可愛い。 しかし、三十代の可愛くない私は何をやればいいかが、まったく分からない。ボタン 付けや簡単なつくろい物以上はイメージできない。自分の生活に必要の無いこととし て切り捨てていたからだろう。入園まで時間が無いのに私は何も出来ないでいた。話 を聞いた実務家の妻はすぐに行動に出た。「布地の柄は何でもいいよ」という私の説 明に従って適当な布を出してくると裁断し、ミシンで縫いだす。私はその手際に見と れ、「こりゃ楽だ」という考えが一瞬頭を横切ったのだが、それではいけないのだっ た。どう考えてもそれは休職中の私の仕事だからだ。

 私は妻にミシンの使い方を教わった。そして、自分で布団カバーを縫い始めた。最 初は遅々としても、慣れればどんどん速度は上がるし仕上がりもきれいになってくる 。かくておれの主夫度もこれで一ポイント上がったぞと、ひとり悦に入ったのである 。もっとも、その五年後に職場のお茶飲み場のぞうきんを作るのにミシンを使った以 外は触ってないのだから、偉そうなことは言えない。休日の夕食を私が作る間に妻が 縫い物を済ませるという役割分担のせいである。言い訳だけど。

 さて、いざ入園させてみると妻はがく然とした。同級生の子供の布団カバーは花柄 だったり、クマさんだったり、機関車だったりするのに、うちの子供だけが無地の無 愛想なカバーだったからだ。「何故、ひとこと言ってくれなかったの」と妻は言うの だが、説明会で見た、可愛い柄もののサンプルがそんなに重要なものだと思ってもみ なかったデリカシーの無い父親はひたすらごまかすしかない。その無愛想な布団カバ ーは父親の面目を保つ程度に使用された後、キリンさんのカバーに替えられたのであ った。

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