前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年3月26日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第8回

残業のない生活

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 赤ん坊が保育園に通い始めたのを見届けて私の育児休職は終わった。期間としては 二カ月半。たったそれだけで専業主夫経験を主張するのもずうずうしいけれども、あ えてずうずうしく主張するぐらいに強い体験だったことは間違いない。しかし、今も 続く「兼業」主夫の生活の方も、負けず劣らず強烈で惨めで楽しくてつらい生活であ る。

 赤ん坊が保育園に通い始めたころ、妻は六時前には家を出ていた。 保育園へ夕方五時 のお迎えを担当していた彼女は、三時半には仕事を切り上げなければならない。とに かく早く出て、早朝出勤で埋め合わせようとしたのである。一方、私は朝八時半に保 育園へ送るのを担当したので、始業から一時間遅れて職場に着く。遅刻分は定時後に 埋め合わせるのだが、こんなことができたのもフレックスタイム制があったからだ。

零歳児は午前八時半から午後五時までしか預かれないという保育園に合わせるに はこれしかない。しかし、ここまでしても通勤時間が長い妻は一日八時間の勤務が 確保できず、七時間勤務にする育児時間制度も使っていた。

 また、妻に夕方の仕事が入ればお迎えも私の担当になる。復職後「朝は九時半にな らないと会社に来ません。退社は大体六時半だけれども、お迎えが入れば四時の場合 もあるので私のスケジュール表には注意して下さい」と上司や部下に告知したのだが 、クレームはつかなかった。これも男の育児休職の効能なのかもしれない。少々のこ とではだれも驚かなくなるのだ。

良く言えば、個人的事情を理解してもらえたのであ り、悪く言えばあきらめられたのである。仕事の成績次第では、本当に見放され るのだろう。気が緩みがちな会社生活でスリルが生まれるという点では、これも育児 休職の効能なのかも知れない。

 お迎えで早退した分を埋め合わせるために、ときおり夜まで働いたものの、差し引 きの残業時間は、ほぼゼロ。これが復職後しばらくの生活だった。

 休職前の残業漬けからすると信じられない変化だ。つまり昔のように働くことは無 理になり、我々夫婦は少しの間、働き方を変えてみたのだった。決して難しいことで はなかった。育児休職までしたのだから、何だって出来る。そのように開き直ってい た休職明けのころの話である。

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