前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年4月2日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第9回

主夫生活の後遺症

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 私はもともと子供好きだったのだが、自分で育児をしてしまうと、心のどこ かの回路がショートしてしまったらしく、他人の子供でも片端からかまいたく なる衝動に襲われるようになった。地下鉄や電車で赤ん坊を見かけるともう駄 目だ。三十代の背広姿のサラリーマンとしての羞恥心(しゅうちしん)はある から、ふと母親と目が合って気まずい思いをしてしまう。隣席の知らない男が 自分の赤ん坊にこっそり「いないいないばあ」をしているんだから、母親も困 るだろう。

 多くの男性も経験するらしいが、妻の妊娠を聞いた途端、街中にいっぱい妊 婦がいるのに初めて気がついたり、自分の家に赤ん坊が生まれると通りが赤ん 坊だらけになってしまったり。それまで意識していなかったものが急に見えて くるのだ。私の場合はさらに、公園の風景が目につくようになった。足を止め て、そこで雑談に興じているお母さんたちと、幸せそうに遊んでいる子供たち をじっと見ることが、休職明けによくあった。子供を見ているとなぜか心が騒 ぐのだ。

たぶん、それが育児休職の後遺症だったのだろう。休職中、私は「あちら側」 の人間だった。公園デビューに失敗していても、一日の大半を緩やかな時間で 子供と過ごす世界の住人だった。その世界から元の会社生活に戻った私だが、 昔の感触がまたよみがえるのだ。

 そうした感触が徐々に薄れていったのは、兼業主夫の生活があまりに慌ただ しくて喧騒(けんそう)にまみれていたからだ。出社時間を気にしながら子供 を保育園に送り、私物のおもちゃが持ち込めない保育園の規則に従い、なだめ すかしてときには威嚇して子供からラッパを取り上げて保母さんに子供を預け、 背広がゲロ臭くなってたりよだれでぬれたりしているのを気にしながら電車に 乗って、職場でポケットが膨らんでいるので何だろうと思ったら同僚の目の前 でラッパが出てきたりする、なんて日常を過ごしていると、ノスタルジーに浸っ ている場合ではなくなるのだった。

それでいいのだと思う。私の場合、街中で見つけた保育園でも足を止めて園 児を見ていることが多かったのだが、それを続けるのって幼児に良からぬ思い を抱く変質者みたいだからだ。いまだに地下鉄では相変わらず赤ん坊にちょっ かいを出しているのも困りものなのだが。

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