前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年4月9日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第10回

子供とのきずな

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 親バカはうっとうしい。子供の話など他人にとっては、あまりにも個人的でどうで もいいからだ。それは承知しているが、親子関係の核心とはたわいもないからこそ、 かけがえのないことのように思える。

 娘が一歳半のころだった。ニコニコしてやってきて、私の手を引いて階段へ連れて いく。そして、二段目か三段目かに座るように手ぶりで示す。私がそれに従うと自分 もその横に座り、ニコニコしている。一体何なのだろう。とりあえず、子供の横で私 は座っていることにした。

 なんとなく分かったのは、彼女はこの階段でお父さんと座ってみたかったので、お父さんを呼んで座らせ、そして今、彼女は幸せだということであった。なぜ階段なのかは考えるのも愚かなのだろう。彼女はそうしてみたかっただけなのだ。たぶん。そう考えて私の心に静かな感動が芽生えた。一生分の親孝行をしてもらったとすら思った。

 子煩悩を丸出しにしてこれを書くのは、もちろん私が親バカだからである。 だが、乳児や幼児が親に全幅の信頼を寄せて幸福感に浸っている 。それを実感するのは感動的な瞬間だ。どうせそのうち子供は親に反発するようにな る。長くは続かない幸福なんだから親は楽しまなくては損だ。

 育児休職したせいなのかどうか、娘は順調にお父さんっ子に育ち、私は子煩悩を全 開にして存分に楽しませてもらった。二人目の出産で母親が入院し、父娘二人で生活 していたときも、保母さんから「お母さんがいなくても安定してますね」と告げられ たものだ。父親が心の中で勝利宣言を出したのは言うまでもない。

 しかし、幸福はやはり長く続かず、二番目の赤ん坊が生まれ、彼女の生活は大きく乱された。もちろん事前教育を怠りなくやってきたつもりなのだが、彼女が思い浮かべていたのは「新しい遊び相手」なのであって、現実の新生児にとって彼女の相手になるのは荷が重すぎた。生後三日の弟に折り紙を渡しても受け取ってくれるわけもない。親といえば、新しい赤ん坊の世話で大騒ぎだ。

 すっかり精神的に傷ついた娘は荒れて泣くしかない。三歳の誕生日を目前にして、 娘にも主張すべき「自分」が出来始めたころだった。「飼い主とペット」の関係が「 人間と人間」の関係に移行しつつあったのである。

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