前回連載へ 次回連載へ 朝日新聞朝刊 1998年5月14日付 家庭面 (毎週木曜連載)
「育休父さんの成長日誌」太田睦担当分第15回

昇進

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 休職が明けて数カ月後、上司に呼ばれて昇格試験を受けるよう言われた。受か れば管理職になるのだそうだ。試験勉強が今も昔も大嫌いな私は、「昇進は急がない ので試験を受けなくてもいいか」と聞いてみたのだが、推薦したものを辞退するとは 何事かと諭されてしまった。

 昇進をあせる気がなかったのは本音である。昇進するのはうれしいだろうと上 の世代から言われても、「人の管理なんか楽しいとも思いません」とひねくれた答え を返す程度に、私や私の世代は屈折している。なぜそんなにひねくれるんだという疑 問には、「昇進を無条件に喜んだ世代がつくった社会を見てきたからだ」と、さらに 嫌みを加えて答えたくなる。

 もっとも「じゃあ、まったく昇進はしなくていいんだな」と言われると言葉に つまる程度には小心者だし、育児休職で評価が下がっていなかったことを知って うれしかった程度にも俗物なので、そうした嫌みにもさしたる説得力は無い。  夫婦交代の育児休職を決めたころ、妻は「これで昇進が遅れてもお互いに愚痴 は言わないようにしよう」と私に念を押してきた。後日、真意を聞いたところ、「後 で愚痴をこぼされてはたまらないので、言質をとっておいただけだ」との返答であ る。私がいくら強がっていても、彼女は私の迷いを見透かしている。

 自分のキャリアに対する不安を私が振り切ることができたのは、家庭環境に 恵まれたということに尽きる。私たち夫婦は同い年で同じ会社に入り、似た職種 で似たような役職について、あまり変わらない給料をもらっている。

 こんな状態なら「おれは家族のために耐えて働くんだ」とは考えなくなる。無 理して稼ごう、がんばって出世しようとするよりは、納得できる働き方をしようと思 うのだ。育児休職という選択も、自分が納得のできる生活と仕事を考えてのことだっ た。

 結局、私は試験にパスして管理職になり、翌年には妻も同様に昇進した。育児 休職は今のところ互いのキャリアには影響していない。もっとも、この不況下では将来 の私のキャリアなど、まったくの未知数だ。今後、育児休職を理由にした処遇があっ て、私が愚痴をこぼし、妻がうんざりするという事態が来ないとも限らないのだが。

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