男も育児休職/1.出産に立ち会う

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面接を受ける

「あなたが、奥さんの分娩に立ち会おうとする理由をまず聞かせてください」
小柄だが真っ直ぐな背筋、引き締まった口許、視線は私たちを見すえて動かない。世間の噂によると、産科の世界では相当有名だという婦長さんが出てきて、そう切り出した。立ち会い分娩を希望したところ、婦長面接を受けなければならないと言われたのである。私たちのほかに二組の夫婦が面接に来ているが、この婦長さんの質問に、というかこの婦長さんのほかを威圧する雰囲気に緊張感が漂う。別に緊張しなくたっていい質問だとは思うのだが、この婦長さんが居住まいを正して話し始めたとたん、緊張してしまったのだ。この雰囲気では「好奇心です」などとは言えない。では何と言うか。

「私たちは二人で子供を作って二人で育てようと思っていました、できる限りのことは二人で分け合いたい。ですから出産に関しても妻だけのこととしてではなく私にかかわる出来事として立ち会いたいのです」
これでどうだろうか。偽善的な気もするが、婦長さんの目を見ていたら、このぐらい言ってもいいか、という気分になったのである。質問を前もって知っていれば、もう少し考えようもあったのだが、とっさの答えにしては上出来ではないだろうか。みんなの答えを待って婦長さんが再び口を開く。

「この病院では特に希望する方に立ち会い分娩を許しています。しかし、だれでもというわけではありません。ご主人が立ち会いできるのは、ご主人が分娩という作業に参加し、協力できると私が判断した場合です。ですから、ただ見ているだけでは駄目です。ビデオを撮るなど許されません。ご主人は出産の進行をすべて理解して、奥さんのサポートができなければいけないのです。反対に奥さんがご主人に頼りきるのも駄目です。産む主体はあなたご本人なのですから。まず、このことを理解してください。みなさんには、これから母親教室をご夫婦で受けてもらいます。それが終了した段階で再び私が面接します。出産の心がまえ、出産の進行、呼吸法について質問します。もし、その段階で私が不適切と判断すれば、ご主人の立ち会いは許可しませんから、そのつもりで。また、分娩の現場で立ち会いが不適切と判断されれば、医師がご主人に退場を命じる場合があります。そういうことを心において、お二人で準備なさるようしてください」

面接が終わって、婦長さんの支配するはりつめた磁場から解放され、私は大き息をついた。あの病院では申し込めば立ち会い分娩ができる、公にはしてないが申し込みのある少数の夫婦に実施されている、とクチコミで聞いたものだから申し出てみたのだが、こんなに肩がこるとは予想していなかった。実のところ、私も妻も、立ち会い分娩ができなければできないで仕方がないねと話し合っていたのだ。しかし、あの婦長面接には、そんな甘っちょろい了見で分娩室に来るんじゃねえぞ、おかしなまねしやがったら即刻叩き出してやるからな、という日本助産婦協会の意地とプライドを賭けた威嚇があった(と、私は思った)。実は甘っちょろい下心を持っていた私は、この威嚇を前にして引っこみがつかなくなってしまった。ああもはっきり言われた以上、受けて立つしかないではないか。「分娩における夫の参加」とやらに挑んでやろうじゃあないか。「参加」したうえで俺は俺の下心も満足させてやるからな。私は妻を家まで連れて帰り、その足で会社に向かいながら決心していた。

もっとも、この決心のうち下心に関する部分は前述したように母親教室で見せられた映画で無残に打ち砕かれた。後には「参加」に関する決心が残るばかりとなった。かくて私は「分娩への参加」という男にとってはひどく抽象的なテーマに取り組むことになったのだ。


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