男も育児休職/2.育児休職を申請する

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2.育児休職を申請する

だれが育てるかを話し合う

わが妻は、たたこうが蹴飛ばそうが仕事を辞めるつもりはない。専攻分野は違うが、妻も私も、とある電気会社の研究所に勤務する研究技術者である。九年前いっしょに入社し研究所に配属された女性の中で、一番辞めそうにない面構えをしていたのが今の私の配偶者であった。これは私だけの意見ではなく、当時の同期入社の男たちの中でも意見は一致していた。

紆余曲折あって三年前に結婚してからの家庭生活はDINKSの名に恥じぬ生活が続いた。会社の仕事はお互い存分にやった。私が夜の十一時に帰宅すると、彼女は十二時に帰宅した。彼女が午前一時まで仕事をしていると私は徹夜した。働き過ぎと言われるかもしれないが、私たちは仕事がおもしろかったのだ。また、家事は互いにやってあげるものであり、押しつけ合うものではない、という原則のもと、私たちは包丁とホウキと洗剤をかわるがわる手にして家事に挑んだ。もちろん、人には得手不得手はあり、仕事との相性というものもある。私は包丁とマナ板と鍋とフライパンの世界の中に自らの天分を見出し、のめりこんでいった。妻は家の中の掃除と片づけもの、レイアウト、装飾に持てる力を投入した。

子供がほしいと言いだしたのは私だった。彼女はだれが育てるのかと切り返した。家事を押しつけるのは原則違反であり、育児とて例外ではあるまい。子供がほしいと言う以上、育児をしてくれる意志はあるのね、というニュアンスがそこにあった。一方、三十を超えた私は、この問題を先送りしたくなかった。かつて彼女は博士の学位を取りたいからといって論文書きに没頭し、この問題を延期棚上げにした経緯がある。さらに留学したいからなどとほざいて、彼女は更なる延期を謀っている気配すらあるのである。このまま延期が続けば出産可能年齢を超えて時間切れになってしまう。強く宣言しておく必要があるだろう、私は「俺が育てるから」と答えていた。

その後、私はこの言葉の責任を取ることになった。育児休職申請をしたのも、この言葉からの帰結であったのだ。

男女同権が叫ばれて久しく、どこまで同権が達成できたのかの議論がかまびすしい現在だが、私たち夫婦の外的諸条件は、同権でなければ不思議なくらいそろっている。同じ年齢で、同じ学位を持って、同じ会社に入社し、同じ職種、同じ職制についている。これで同権でなければ不思議なくらいだ。しいて言えば私がやや昇進が早かったが、彼女は博士号を取るという大技で関係を逆転させてしまった。いずれにせよ、原理的に考えて育児を彼女に押しつける理由はない。母性を特権化してみせたり、男の育児能力のなさを強調してみせるという手口はあるかもしれないが、私にはそれがごまかしであるような気がしてならなかった。育児だろうがなんだろうがやってしまえばそれまでだ、という行き当たりばったりの行動指針が私を突き動かした。なんだってやってやろう。おしめだろうが、風呂だろうが、母乳は出ないからミルクだろうが、おままごとだろうが、保育園の送り迎えだろうが、全部やってやる。この「全部」の中身を、このとき私が予見していなかったことは確かではあるけれども。


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