男も育児休職/2.育児休職を申請する

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周囲が動き始める

このころ、妻は新聞取材を受けた。民間企業の女性研究者が論文審査による博士号を在職のまま取得したというので、科学技術欄の小さなコラムに取り上げられたのだ。妻は、おなかが目立ち始めていたので、取材は出産の話に及び、私の育児休職の計画にも触れられたという。これが活字になったとき「夫の育児休暇も、会社で第一号になりそう」と、記事に明記されていた。私はあわてた。ちょうど、前日に本社との交渉が不首尾に終わっていたからだ。未確定のことをべらべらしゃべらないでほしいと私は妻に愚痴を言った。ところが、この数行の文章が追風になってしまったのだ。

数日後、私は知人の知人を通して本社の人事勤労部門の様子を探ってみた。いったい私の申請はどう受け止められたのか、裏から聞いておくのも悪くない、と思ったからだ。人事勤労部門全体に話が広まっているわけではなかろうし、人事担当者が内幕をしゃべることはありえないのだが、運良くすれば小さな情報でも入るかもしれない。策がないときは、とにかく情報収集ぐらいしなくてはならないだろう。

私のコンタクト先は私のことを知っていた。妻の記事を読んだというのである。さらに、この新聞記事がもとになって、ちょっとした動きがあるという。つまり、あの記事を読み、「こういう人がいるなら、特例で育児休職を取らせてもいいのではないか」という意見も出ているというのである。本社にも脈がないわけではないのだ。

この話を聞いた後、私は労働組合に赴いた。今までの交渉経緯を詳しく記した文書を片手に陳情しようと思ったのである。私が入口で名前を告げたとたん、組合執行委員の一人が声をあげた。

「ああ、太田さんですか。ちょうど連絡しようと思ってたんです。あっ、こちらに来ていただけますか」
彼、執行委員のW氏はファイルを机の上から取り上げて私を応接椅子に導いた。よく見ると、そのファイルには、例の妻の新聞記事がはさまっている。
「いやあ、読みましたよ。いいですね。ぜひ、太田さんには育児休職を取ってほしいですね。我々は注目してるんですよ。時短は組合のこれからの重要課題ですから」

私が口を開く前から、労働組合は私を支援し始めていた。数行の新聞記事が私の周囲を突然動かし始めていた(余談だが、この新聞記事のおかげで私は親兄弟親類縁者への育児休職に関する説明の手間をかなり省くことができた。たいへんご利益の高い新聞記事であった)。実際、この後私は何もしなかった。W氏へ事情を説明した後、W氏はこれを会社との交渉課題にしようと約束した。そのかわり、今後の交渉には口を出さずに一切任せてくれということであった。

しばらくして、この件が会社との交渉課題に取り上げられたと通知があった。さらに少しすると交渉が成功したと伝えられた。92年二月から二カ月半の育児休職が男性である私に特例として認められたのである。


〔注〕

当時の私は会社の就業規則の育児休職の項目から「女性」の二文字を削ればいいだけだ、と単純に考えていましたが実際の育児休業法に従うためにはさまざまな改訂作業が必要であったことを言っておかなくてはなりません。話はそう単純ではなかったのです。特例で私の育児休職を認めてくれた会社の関係者各位にこの場をかりて深く感謝致します。


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