男も育児休職/2.育児休職を申請する

もくじまえつぎ

周囲が反応する

周囲はたいして驚かなかった。妻は私の日ごろの行いのせいだと言う。
「あなたはね、ウケるためなら何だってする人間と思われているのよ。育児休職もウケ狙いの一つと思われているんだわ」
まるで人を初代の桂春団治みたいに言うではないか。知らない人のために言っておくと初代の桂春団治というのは上方の伝説的落語家で、笑わすためには手段を選ばず、自分の破産までギャグのネタにして、芸のためなら女房も売りとばすといわれた破滅的天才であった。そうか、君は売りとばされたいのか。ああ、こういうことを思ったとたん口に出すから私たち夫婦は喧嘩が絶えないのだ。

それはともかく私はウケ狙いで育児休職をするわけではない。自分が父親として何をなすべきかを考えていくと必然的にそうなったのだ。それに、私は宴会芸でこそウケ狙いのためには手段を選ばないが、仕事場でウケを狙ったことなどないぞ。いや、学会発表でウケ狙いのギャグを挿入したことはあるが、それはプレゼンテーションの技術として当然のことなのだ。アメリカの政治家はジョークが言えないと失格だというし、イギリスのチャールズ皇太子などはジョークを言うのを職業にしているではないか。ジョークとギャグは違うような気はするが、とにかく、だからといってブッシュもレーガンも育児休職は取らなかったぞ。あれ、論理が混乱しているな。

ウケ狙いというなら、職場の先輩のSさんをあげなくてはならない。このSさんは入社当時、肩まで長髪を垂らしていた。当然、入社直後に新人教育担当者はSさんに「社会人らしい格好」をするように申し渡した。翌日Sさんは丸坊主で会社に来た。すべて、ウケを狙った計画的な行動だったのだろうと周囲では考えられている。この後、Sさんの髪はまた伸びて、カーリーヘアーにしたり、あごひげと組み合わせてジーザス・クライストみたいな髪型にしたりして外来者を驚かすことに余念がなかった。本人の弁によると、一目で自分を認識してもらえるように工夫しているのだそうだ。人と同じことをしても、つまらないではないかというのが、Sさんの人生観である。

Sさんがカナダで学会発表をしたときには浴衣に下駄履きといういでたちでホテルの中を歩き、「あのジーザス・ヘアーのサムライ」という国際的認識を勝ち取った。バリエーションはそれだけではない。私はSさんといっしょに海外出張したことがあるが、そのときの格好はピンクと白のストライプのシャツに白のスーツ、エナメルの靴、サングラスにあごひげ、カーリーヘアーというもので、私にはどう見てもアメリカずれしたチャイニーズ・マフィアのお兄さんにしか見えなかった。

私が育児休職をするという話を、このSさんにしたところ、Sさんはこう言った。
「いいなあ、俺、そういう人がやってないことを、真っ先にやるのって好きだよ」
うーん。ほめられたのだが、何かが違う。私は人がやってないから育児休職をするわけではない。必要があって育児休職するのである。目立ちたいわけではない。たまたまほかにだれもやっていなかっただけなのだ。

周囲がたいして驚かなかった理由には、私の日ごろの行いというより妻の行いによるところが大きいと私は思う。なによりも、前述したように妻は新聞記事の中で私の育児休職を「予言」していたし、妻のような人生観の持ち主とわざわざ結婚するような男なら育児で会社を休んでも不思議はあるまいと周囲は思っていたのではないだろうか。結婚以来、私たちはすべての種類の家事を分担していることは公言していた。私が妻の夕食を作っていることなどだれもが知っていることだった(妻が作ることももちろんある。こういうことをキチンと言っておかないと妻に怒られるのである)。

周囲は驚かなかったがおもしろがってはいたようだ。廊下などでよその若い部員たちは「太田さん、まだ産休に入らないんですか?」などと好奇心を満面に浮かべながら声をかけてきた。その都度、私が取るのは「産休」ではなくて「育児休職」であることを説明し(私は逆立ちしたって「産」めないのだから)、育児休業法について基本知識を与え、私の休職スケジュールを教え、啓蒙活動に努めたのだった。私がいる部署は平均年齢がたいへんに若い。今年三十三歳の私はすでに古株で、平均年齢をとうの昔に過ぎている。私より若い同僚たちは、ひとまず好奇心を満足させると、あっさり私の育児休職を受け入れてしまった。

むろん、私の育児休職がすんなり職場に受け入れられたのは研究所という特殊環境が大きかった。基本的に一人でやる仕事が多いからだ。もちろん、プロジェクト化された仕事もあり、私自身それに類するグループの中に組みこまれたこともある。幸運なことに、私が休職をしようとした時期は、個人の勝手が効かなくなる状態ではなかった。事前に部内外に根回ししていけば、二カ月あまり不在になってもなんとかなりそうなのである。

ほかの部署でも同じことはできただろうか。私には確信はもてない。少なくとも三倍以上の労力を使って、周囲の、場合によったら社外への、根回しをしなくてはならなかっただろう。私は幸運だったのだと思う。批判がましいことを口にした人間は皆無であった。


〔参照文献〕

桂春団治の評伝については、富士晴夫『桂春団治』講談社文庫、が手ごろらしいのですが絶版になったので私もまだ読んでいません。


もくじまえつぎ