男も育児休職/2.育児休職を申請する

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その他も反応する

私の家庭のことも妻のことも知らない社内他部門の人たちは反応が異なってくる。「個人的な事情で、かくかく云々の期間、長期休職する」と言うと、「留学か何かされるのですか」と聞き返されることが多かった。めんどくさいから多くの場合は説明しなかった。説明したときは、なるべく相手の反応を見るようにしたが、けっこう驚いてくれた。しかし、自分たちの会社が男性にも育児休職を認めていることについては、みんな、疑問に思わなかったみたいである。たぶん育児休職制度自体をよく知らないのであろう。数カ月前までの私がそうであったように。私が育児休職するんだと言えば、ああ、そういう制度があるんだな、と納得しておしまいなのである。

「へー、太田さん、育児休職ですか。ああ、お子さんが生まれたんでしたね。いつまでですって? じゃあ、あの仕事はどうなります? ああ、彼に聞けばいいんですね。家にはファックスもありますって? はいはい分かりました」

まあだいたいこういう説明で片づいていった。批判がましいことを言われたことはない。内心そういう反応も期待したのだが、男女の役割についての古典的意見を私にしてくれる人はいなかったのである。頓珍漢な奴もいた。

「へー、太田さん、育児休職ですって。で、休み中は何をされるんですか?」

育児に決まっているではないか。

社外の人の反応は二つに分かれた。あっさり信じた人と、信じなかった人とにである。たとえばS社のYさんは即座に「あっ、いいですね。そうだよね、会社なんかより家族のほうが大事だものね」とコメントした。N社のWさんは「二カ月休むんですか、私は二週間休んでスキーです」とピントを外して返答した。P社のNさんは「えっ、本当ですか? 本当にホントですか? そうかぁ。太田さんのところは進歩的なんですね」と、会社の制度の比較を始めた。

これに対してM社のAさんは「ウソでしょう」と取り合ってくれなかった。G社のKさんは「えっ、またご冗談を。本当は留学するんでしょ」と言って私の「かつぎ癖」を非難した。私は彼らに説明した。

「国会で育児休業法というものが可決されており男性といえども育児休職はできます、そして会社は拒むことができないのです、これは日本の労働者の権利なのです」

と。Aさんはあきらめない。「そうだとしても職場が許しますか? 上司が許可しますか?」と言って男の育児休職の不可能性に固執する。結局Aさんは最後まで信じなかった。Kさんはかなりの間半信半疑だったが、納得したとたん、ことあるごとにほかの人に言いふらしてくれた。ここで正直に言うと、信じてくれた多数派の人間より信じなかった少数派のAさんKさんの反応の方が私にはおもしろかったのである。

ともかく、社外での反応はさまざまであった。しかし例の古典的男女役割を盾にとって不快感を口にする人はいなかった。電気関係・計算機関係の研究技術者に私の交際範囲が限られているせいだろうか? もっとほかの職種・業界では反応が変わるのだろうか。実は、内心私は期待していたのだ。「君の嫁さんは何をしとるんだ、君は男の仕事をなんだと思ってるんだ」などとしかりとばすじいさんが現れることを。男の育児休職を納得せず、不快感をあらわにして、口から唾をとばして説教を始める人間が一人ぐらいいてもいい。残念ながらそういう頑固者は私の前に現れなかった。

結局みんな、物分かりがいいのである。私が「育児休職します」と言えば、程度の差こそあれ「ああ、そんな時代が来たんだ」と納得してしまう人間がほとんどなのだ。物分かりがいいからこそ、私の育児休職は認められたのだから文句は言えないのだが、ちょっとした不満が残った。みんな、ここまで物分かりがいいなら、なぜ今まで育児休職しようとした奴が皆無に近かったのだろう。実は、いったんオーソライズされたできごとについてのみ、みんなは物分かりがいいのであって、オーソライズされる以前のことについては判断停止しているのが実情ではないだろうか。こういう考え方はひねくれているであろうか。

最後に正月に友人からかかってきた電話について書いておこう。それは、ごく最近年賀状の交換が始まったものの、手元にある二枚ばかりの年賀状のほかは、十年間電話すら交わしたことのない大学時代の友人からであった。この友人は私が今年の年賀状に育児休職のことを書いたのを読んで、あわてて電話をしてきたのである。

「おい、いったいどうやったんだ」
と彼は聞いてきた。
「どうやった? ……ああ会社と交渉したんだよ」
「どういうふうに」
「どういうふうにって……女性向けの制度があったことと四月から施行される育児休業法を盾にとってさ、申請してみたんだけど、それがどうかしたか?」
「俺もやってみたんだ」
「やってみたって……?」
「俺も育児休職を申請したんだよ」

おっ。思わぬ同志の出現に私はすっかりうれしくなってしまった。私の体内に大量に入っていた正月の酒のせいもあるが。彼は状況を説明し始めた。彼は最近、新聞記者と結婚したのだが、仕事の都合上、彼は水戸に彼女は東京に住んでいる。そこへ子供ができた。さあどうするか。私たちのケースと似たような話で、彼も彼女と育児休職を分担しようとした。

「それで、会社の就業規則を調べたら育児休職に関してはどこにも『女性』だけっていう限定はないんだ」
「おーっ、それはけっこうな話じゃない」
「ところがさぁ、申請すると『まさか男が申請するとは思わなかった、当然育児休職は女性だけだ』って言うんだよ。それで、どうしようかって思っていたら、お前の年賀状が来たんだ。ひょっとしたらうまい手口でもあるのかと思って電話したんだけど、なんかいいアドバイスはない?」

この友人は大学時代にラディカルな運動に関係していたわけでもなく、私の知る限りごく普通の学生だった。その彼が私と時を同じくして育児休職を画策していたことを知って、私はうれしくなってしまった。そう、必要だから育児休職を要求するのである。そして、それは特別なことではなくて当たり前のことなのだ。


〔Web版注〕

この電話をかけてきた友人に、どんなアドバイスをしたかと言うと、何もいいアドバイスが出来なかったということを、書き忘れていました。結果的に彼は東京にある子会社に出向させてもらい、事態を解決したそうです。


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