男も育児休職/3.父親をする、育児に参加する

もくじまえつぎ

3.父親をする、育児に参加する

父親とは何かを考える

「できたわよ」と言われて、男はある日突然、父親になることを強要される。身に覚えがある場合もあれば、ない場合もあるが、いずれの場合も身体的・生理的変化を伴わないという点で、父親になるということは母親になることよりも抽象的だ。母親になるほうは身体が変化してしまうのだから具体的だし劇的なのである。人によってはエイリアンに身体を乗っ取られた気分になるという。実際、違う個体が身体の中に棲みついて栄養を吸い取って大きくなっていくのだから、エイリアンにたとえられても赤ん坊側は文句は言えまい。父親は日に日に大きくなる妻や恋人のおなかを見ているだけである。それを見て幸福になる人もいれば、疑心暗鬼になる人もいるし、なんとも思わない人もいる。自分が父親になったことに気がつかない場合だってある。

私は、日増しに大きくなる妻の腹を見ながら、自分が父親になることの意味を考え始めたが、考えれば考えるほど分からなくなってしまった。

父親というのは根拠なき役割のように思える。たとえば、哺乳類動物は産んだあと母親が乳で子供を育てるから、多くの場合母子関係が確立するらしいのだが、父子関係が認められる種はごくわずからしい。父親がいて、母親がいて、子供がいてという家族関係は哺乳類では決して一般的ではないのだという。確かに近所の犬や猫で、夫婦で子供のめんどうをみている光景は見ない。

サルなどは、種ごとにオスのありよう、父親のありようが変わるらしい。ゴリラは一夫多妻制をとり、オスは子供のめんどうもみる。しかしオランウータンはふだんは一人で生活しているのでオスは子供の顔さえ知らない。チンパンジーはオスが集まって群を作り、メスは大人になると違う群れに移動すると言う。逆にニホンザルはメスが集まって群を作り、オスが群から群へ渡り歩くという。ボスザルですら突然群を離れることがあるのだそうだ。当然オスは子供のことなど関知していない。

なんでサルの話を始めたかといえば、家族およびオスのありようにはバリエーションがいくらでもあって、決定的なものなど何もないらしいと、言いたかったからである。ヒトの世界にもバリエーションはいくらでもあって、男が家族に対して徹底的に無責任な社会もあれば、家族への責任の一切を引き受ける社会もある。あちこちで女をこさえては種をまき散らすのが男の甲斐性とされる社会もあれば、男の貞操にうるさい社会もある。

要するに人類の社会の中ではどんな父親でも家族でもOKになってしまうのだ。とすれば、どういう父親になるかを男は選ばなくてはならないということになる。そして選択肢に不満があるなら自分で考え出さなくてはならないのだ。アメリカでジョン・フォードが健在で、強い父親の映画を作っていたころは、こうした考えは奇異にうつったかもしれない。父親が一種類しかない社会ではこうした考えは異端なのだ。しかし、明らかに父親は何種類もある。だからそこに選択があり決断がある。そして選択への根拠は揺らいでおり、決断の後には不安定感がある。

余談ながら、近代的個人のありようを啓蒙したジャン=ジャック・ルソーは、子供を自分で育てずに孤児院に捨てていた。『エミール』という教育論も残し、子供を愛する美徳を賞賛した啓蒙主義思想家のルソーだが、どういうわけか彼は子供を自分で育てる気が持てなかった。通算五人の子供を名前もつけずに捨てている。

そういえばルソーは『人間不平等起源論』の中で類人猿の話を何回も出して、オランウータンが不平等起源以前の理想の人類の姿ではないだろうかという想像をしている。オランウータンが森の哲学者と呼ばれ、群を作らず個人として生活することを考えれば、ルソーがオランウータンに惹かれた理由は分からないでもない。ルソーは個人として生きることを賞賛した人であった。そして個人として生きるには子供は邪魔だ、ということになったのだろう。どうも、近代とは親になるのが難しい時代らしい。ルソーからして親になることを拒否したのだから。

父親というのは母親になるよりも楽だ、というのが今までの定説であった。しかし父親になるのも、けっこうむずかしいのが最近のご時世なのではないかと私は疑っている。


〔参照文献〕

サルの話はすべて、立花隆『サル学の現在』平凡社から。

ルソーの捨て子の話は、ポール・ジョンソン『インテレクチュアルズ』共同通信、第一章 から。もっともルソー自身『告白』の中で子供を捨てた話をいけしゃあしゃあと書いているのは有名な話です。

ルソー『人間不平等起源論』の類人猿の話についてですが、ルソーの時代はオランウータンとゴリラとチンパンジーの区別もつかず、今よりは限られた知識でルソーはあれこれ書いています。『告白』も『人間不平等起源論』も岩波文庫にあります。


もくじまえつぎ