男も育児休職/
3.父親をする、育児に参加する もくじ/まえ/つぎ風呂に入れる
妻が退院した。子供がやってきた。当面の私の担当は風呂入れということになった。ベビーバスを台所の食卓の上に載せて、まず妻が見本を見せてくれた。入院中に沐浴指導というのがあって助産婦さんから習ってきたのであるが、一回見ただけでスラスラ覚えられるわけがない。貰ってきたパンフレットを私が横で参照しながら、 「次はどこ洗うんだっけ?」 と妻が聞けば、私が、 「えーと、腕だ。そして脇腹に下がって」 と答える。赤ん坊は決して「風呂」を心地よいものだと思っておらず、力の限り泣き叫ぶから、その声に負けじと私たちも叫びながら風呂入れが進行する。 翌日から私がやってみる。生まれたての赤ん坊の体はぐにゃぐにゃしていて、湯の中でどうやって支えればいいのか分からない。それに、これは生き物であり、わが子なのである。大事があってはならない。緊張してしまう。昨日と役割を替えて、妻がパンフレットを読み上げて、私がそれに従って赤ん坊の体を洗っていくのだが、無我夢中としか言いようがない。 新生児の風呂入れの最初の段階は、いかに赤ん坊をおびえさせずに湯の中に入れるかがポイントである。まず着物を脱がせる。タオルで四肢を覆うように包む。裸のまま、いきなり湯の中に入れると赤ん坊がおびえるからだという。左手で赤ん坊の左肩をつかみ、同時に頭を支え、右手で腰を持ち、足のほうから湯舟に静かに入れる。湯の中で赤ん坊が落ち着くのを待つ。うーん。いっこうに泣きやまない。 第二段階はいかに手早く身体の各部分を洗っていくかがポイントである。新生児の風呂は全体で五分以内に終えるのが望ましい。ガーゼで顔を拭き、耳を拭く。次に頭を洗う。指腹を用いて円を描くように洗う。石鹸が耳や目に入らないかハラハラする。体を包んでいたタオルをはずしながら、首、脇下、左腕、右腕、胸、腹、股間、足の順番で洗っていく。石鹸を十分落とす。 さて、ここで赤ん坊を裏返してうつぶせにして背中を洗う。この裏返すのがむずかしい。赤ん坊はくにゃくにゃしているし、石鹸のついた手はツルツルしてすべりやすい。赤ん坊は相変わらず泣いて手足をバタバタさせようとする。ベビーバスの高さが中途半端なので私は中腰のまま赤ん坊と格闘しなくてはならない。背中からお尻にかけて洗っていき、再び赤ん坊を表に向ける。 最後に赤ん坊を湯から出し、かけ湯をして、妻と二人で体を手早く拭く。へその消毒を忘れてはならない。服を着せ、泣いている赤ん坊を抱いてなだめたあと、うめき声をあげて私は体を伸ばした。中腰のまま体が硬直してしまったのである。 育児書には、手伝いに来たおばあちゃんにまず風呂入れを実演してもらい、それを見てやり方を覚えなさい、とある。妻は両親に死別しているので、わが子にとっておばあちゃんは私の母しかいない。私はおばあちゃんが大阪から応援に来るのを待った。 ところがおばあちゃん、つまり私の母がやってきて、赤ん坊の風呂を頼むと言うと、 「でも、おばあちゃん(私のおばあちゃん、つまり母の母のことである)が手伝いに来て、風呂ぐらい入れたよね? そのとき教えてもらわなかったの?」 母娘で何も伝わらない家系らしい。 しかし、一回も赤ん坊を風呂に入れたことがないというのは信じがたい。たぶん謙遜か何かが、そう言わしめているのであろう。私たちはおばあちゃんに風呂を任せることにした。おばあちゃんは、おっかなびっくり赤ん坊を風呂に入れ始めた。おい、あれなら俺のほうがうまいぞ、いや赤ん坊に話しかけて赤ん坊をおとなしくさせるテクニックは俺よりうまいな、なるほど、あそこはああやるのか、よし、ここで赤ん坊を裏返して……おい、おい危なっかしいぞ、それは……。私は思ったことを口に出さないようにして、おばあちゃんが赤ん坊を風呂に入れるのを見学したが、正直言って自分でやるのと同じぐらい緊張して疲れてしまった。それでもおばあちゃんには滞在中、赤ん坊の風呂を担当してもらった。だんだん思い出したとみえて、おばあちゃんも最後は慣れた手つきになっていた。赤ん坊をひっくり返すところを除いての話だが。 おばあちゃんが帰った後、赤ん坊の風呂入れは再び私の仕事として戻ってきた。おばあちゃんが赤ん坊を沐浴させるのを見て、私はだいぶ気が楽になっていた。あれでも三人の子供を育て、三人の子供は無事育ったのである。泣き叫ぶ赤ん坊と格闘するようにしながら風呂に入れ、私の育児が開始された。 |
〔参照文献〕
稲田登戸病院産婦人科パンフレット『赤ちゃんの入浴』 |
〔Web版注〕 本を出した後、伯父から手紙をもらいました。昔、私が育ったあたりは子供が産まれた家を回って、赤ん坊の風呂入れだとか産褥期の母親の世話などをする人が居たというのです。私の母が新生児の風呂の入れ方を知らなかったのも、そういう事情だろうと言います。地域的、時代的にどれほど特定できる話なのかは解らないのですが、年配の人からこうした話は貴重だと思いました。 |