男も育児休職/3.父親をする、育児に参加する

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育児参加を始める

生まれた当初、妻は三時間おきの授乳で赤ん坊につきっきりだし、産後すぐで床についている。私の担当はもっぱら外回りと休日の家事であった。日記によれば生後一週間目の十月十日(木、祝日)、私は、大阪からやってくる私の母のために布団やら何やらの用意をし、掃除をし、買物に出ている。紙おむつ売場では店員から各社製品の違いについて講義を受け、魚屋では小鯵が二十四尾で二百円なので南蛮漬けを作ろうと思い立ち、買ってきたはいいが、油を使う南蛮漬は乳が張りすぎるからやめてくれと妻が言うので、油を抑えたマリネ・サラダと煮付けを作っている。十月十二日(土)は、レンタル会社から来たベビーベッドを組み立てた後、車で出かけ、クリーニング屋と写真屋によって、会社に行き休日出勤している部下の様子を見届けている。その後、大阪から出てきた私の母を迎えに行き、夕食を作っている。家事雑用一般が私の担当であった。

家事をやることについて私は何の抵抗もない。問題は、私にとっての「部屋がきれいで片づいている」状態が妻にとっては「部屋が荒廃している」状態であるらしいことだ、部屋の整頓に関する美的解釈をめぐって夫婦喧嘩は絶えないが、それでも家事を行うこと自体に抵抗はない。

妻の母親が私たちの結婚後一カ月で病没し、続いて妻の父親も病魔に倒れたころを私は思い出す。おりしも妻の妹は出産直後で、看病どころではなかった。妻は会社を休み病院で看病に専念した。末期に入った癌は日ごとに義父の身体をむしばんでいき、妻は心身ともに疲れ果てて夜に帰ってきた。私にできることは、留守中の家事をやって妻のために夕食を作ってやることしかなかった。

このとき私は、核家族の時代にあって、男女の役割分担を云々することは、いかに無意味かをさとったと言っていい。家族が小さくなったということは家族のメンバーがいろいろな役割をこなさなければならない、ということだ。小さな会社で営業やら事務やら商品開発やらを一人の社員がかけもちでやらなければならない状況に似ている。やらなければいけない仕事は無数にある。そして「私」がそれをやらなければいけないのだ。そのとき、「私」に男性も女性もない。

さて、当初の私の育児参加は赤ん坊の風呂入れだけであった。そのほかは妻がやってくれたからだ。だが、妻だけでは手に負えなくなる事態がすぐに始まった。応援が要請され、それに応じて私は育児にのめりこんでいく。

赤ん坊が夜にぐずついてなかなか眠らなくなった。母乳を少し飲んでは眠ったかと思うとまた泣き出す。それを繰り返して、妻を何度も起こす。当然妻は睡眠不足になってきた。ある日、朝五時ごろ目を覚ますと、妻が疲れ切った顔であやしている。二時間ぐらい、ぐずって眠ってくれないのだと言う。私があやすことにして妻には寝てもらうことにする。妻は赤ん坊を渡すとその場に倒れるようにして寝こんでしまった。いや、本当に布団の上に倒れて次の瞬間には眠っていたのである。かごに赤ん坊を入れて台所に連れていき、しばらく赤ん坊と悪戦苦闘するが、三十〜四十分やっても泣きやまない。そのうちに糖湯(砂糖の入った湯のこと)を飲ませるというのはどうだろうかと考え、消毒ずみの哺乳瓶を出してきて、分量がよく分からないが、とにかく砂糖を湯に溶かして人肌まで冷まそうとするのだが、熱すぎるのか冷たすぎるのか哺乳瓶を顔に押し当てて思案しているうちに、赤ん坊を見ると泣き疲れて眠り始めていた。むくわれなかった努力はさっさと忘れるにこしたことはない。赤ん坊を妻の横に戻して、私はもうひと眠りすることにした。

その日の夜、赤ん坊の風呂を妻に任せ、夜まで働いて十時半に帰宅すると、妻は放赤ん坊を膝に半ば放心状態にあった。昼間はおとなしく寝ていたが、またぐずり始めたと言う。かごに入れて引き取ると、妻はまたもやその場に倒れこんで、瞬間的に眠りに入りいびきまでかいている。私は赤ん坊のかごを台所のテーブルの上に置いて、遅い夕食を食べることにした。ときどき揺すったり、赤ん坊の手を握ってやったりしながら、もう片方の手で飯を食べる。両手が必要ならば膝の上にかごを載せて揺らしながら夕食をすまし、新聞を読む。そうこうしているうちに赤ん坊はようやく眠りにつく。

こうして、私の生活に赤ん坊が否応なく入りこんできた。赤ん坊は不快になれば泣き出す。早朝の三時半でも親にかまわず泣き出して、何とかしてくれと訴える。睡眠不足の妻は私に赤ん坊を渡すと、そのまま崩れ落ちて寝てしまう。私は深夜の台所で砂糖湯の入った哺乳瓶片手に右往左往する。

少しの間手伝いに来ていた私の母は、大阪に帰るとき、こう私に忠告してくれた。「あなたがたは赤ん坊にかまいすぎている。おしめ、お乳、熱の三つの心配さえなければ赤ん坊は泣かせておいたほうがいい」。ずいぶん、私たちが右往左往して赤ん坊に振り回されているように見えたのだろう。しかし右往左往する以外に何が私にできるだろう。育児は始まったばかりで、私にはまだ何も分からないままである。


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