男も育児休職/3.父親をする、育児に参加する

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海外出張に出かける

生後一カ月と少し経ったころ、一週間の海外出張が入った。さらにその直後、日本国内で十日間ほど、カンヅメに近い形で会議に出席しなくてはならなくなった。なんで、このいそがしい時期に重なってしまうんだ、と不平が口に出るが、仕事だから仕方ない。

海外出張の途中、国際電話で様子を聞いた。「とにかくたいへんだ」との返事。一人で風呂の世話までするのは、やはり疲れると言う。妻自身の食事もずいぶん簡単にすましているようだ。夜はよく眠るが、昼間は相手をしてやらないとすぐに泣き出して、手間がかかって仕方ないという。とにかく、手が少しでも空いたすきに家事を片づけていかなければならない。「私、朝の九時に夕食の料理の下準備をしているのよ。そうしないと作るタイミングを逸しちゃうのよ」。妻はいかに家事がたいへんであるかを、そういうふうに説明した。

私は一週間後の金曜の夜に帰ってきた。赤ん坊の風呂入れが終わり、妻がベビーバスを片づけているところであった。翌日と翌々日は休みだ。妻からたんまり愚痴を聞かされる。ところが、私が帰ってきたこの二日間、赤ん坊は昼間もよく寝ていて全然手がかからない。妻は憮然とする。なんで親が二人そろったとたん、おとなしくなるんだ、と言うのである。

この週末、昼間は散歩をかねて親子三人で近くのスーパーマーケットまで買物、夜は風呂。場合に応じて、おむつ交換、抱いてあやす、などの仕事が私に戻ってくる。赤ん坊の力が強くなってきて、風呂はちょっとした格闘になってくる。

翌週と翌々週は三浦半島の久里浜で会議があり、朝六時半に車で家を出て夜の八時から九時にかけて帰ってくるという生活が続く。一日中、英語で行われる会議を聴講し続けるので、くたくたに疲れる。それから食事、赤ん坊の風呂、就寝というあわただしい日々だ。

十一月も終わりのある日、海外出張・国際会議の大仕事が終わった私は休暇をとることにした。代わりに妻が会社へ顔を出すことにして外出。妻の社会復帰へのリハビリでもある。切迫早産で彼女は八月から会社を休んでいたので、もうかれこれ四カ月になる。復帰への不安があるので、会社をのぞいてみたいそうだ。この日のために、せっせと母乳が搾られ、一日分が冷凍室に蓄えられている。

朝、午前中の授乳の後、赤ちゃん体操なるものに挑戦しようとして服を脱がせ始めたとたんチャイムが鳴った。玄関に出る。宅急便だ。戻ってくると赤ん坊は、おしめのはずれたままの格好でオシッコをしているではないか。あわてる。ぬれたものを大急ぎで洗濯する。さて、赤ちゃん体操に再び挑戦しようとすると今度は機嫌が悪くなっていて、それどころじゃない。結局何もできなかった。

一日中雨だったので、散歩にもでかけられない。家で赤ん坊をあやしながら仕事でもしようかと考えていたのだが、私も疲れているものだから結局親子二人して昼寝ばかりしていた。


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