男も育児休職/5.取材を受ける

もくじまえつぎ

TVダネになる

土曜日、テレビ局の取材が十時半からあるというのに九時まで寝てしまった。大急ぎで朝食、掃除、洗濯、授乳をすませる。テレビ局の車は少し遅れてやってきた。

担当の記者は私たちより二歳ばかり若いアナウンサー出身の女性で、四歳と一歳八カ月の子供がおり、二番目の子供のときT局で初めての育児休職者となったそうだ。何でも妊娠九カ月のとき会社の玄関前でビラを配って育児休職制度を会社に作らせたと言う。快活かつ有能というタイプ。自分自身の経験から育児休職の問題に関心が高く、労働省詰めの記者となり、男性が育児休職した事例があったら絶対取材しようと前々から決めていたそうだ。で、私が取材されることになったわけだ。夕方のニュースで放映する予定だと言う。

子育て中の記者とあって、保育園の話が共通の話題となり、予備インタビューが好調にスタートする。そこからカメラが回るが、カメラの前でちょっと硬かったかしらん。あまり調子に乗ってしゃべりたくなかったので意図的に言葉数を少なくして淡々と対応したつもりだったのだが、妻の対応がハキハキしていたぶん、私の印象が「有能な女房の尻にしかれたダメ亭主」に傾いたということは大いにありうる。いったいどう編集されるのだろう。

このほか、たいしてぬれてもいないオムツを替えてみせたり、つい一時間前に飲んだばかりのミルクを作って飲ませてみたり(飲もうとしなかった、急いですまそうとして十分に冷まさず、熱かったせいだ)、庭に出て梅の花の下で子供を抱いて夫婦で語らったり、料理を作ってみせたりする。だが、ただヤキソバを焼いただけである、こんなもの撮るほどのものなのだろうか。それに週末の買物前で材料も十分にない。玉は一つしかない、キャベツはほとんどない、レタスで代用できるかと思ってマナ板の上に載せてみたが、カメラがそのレタスをねらっている、やはりヘンかと思ってやめてしまう。まあいいか。

数日後やってきたもう一つのテレビ局は育児番組の取材で、「はりきり育児パパ」というコーナーに使うと言う。やはりインタビューがあって、家事・育児の様子を次から次へ撮影していく。夫婦でつけている育児日記まで撮影している。さらにそこに書かれていた「立春や追われるままの育児かな」という川柳(?)が気にいったといい、カメラを前にしたインタビューで私の口から言わせようとするが、だれがそんな下らん句をカメラの前で詠んでやるか。笑ってごまかした。赤ん坊はテレビカメラに愛想を振りまいていた。

しばらくして最初に取材に来たT局の担当記者から再び電話があった。放映は明日になる予定だが、少し撮り足しをしたいとのこと。妻が出かけるときに「いってらっしゃい」をしてくれと言うのだ。私は「私たち夫婦は、いってらっしゃいなぞ、やっておりません。妻は最近早出しており、出かけるころは私は寝ております」と正直に説明したのだが、うまくストーリーがまとまらないのか、デスクから言われたのか、彼女は困り果てている。妻に聞いてみてくれと言って、いったん電話を切る。ややあって再び、妻の了承を得たとの電話。私はパジャマを着て「いってらっしゃい」をすることになったそうだ。その後、家事をやっているシーンも撮りたいとのこと。だんだん要求がエスカレートしている。それにしても早出している妻が会社に行くのは六時なのである。二児の母親である彼女もたいへんであろうに。そして、なぜ私がヤラセに付き合わなくてはならないのだろうか。なんのかんのやっているうちにこの記者の人柄で押し切られてしまう。

私の憂鬱をよそに、妻は張り切っている。電話で親類は言うに及ばず、仲のいい友人にまで放映時間をアナウンスしているではないか。

翌日、朝六時前に起きて「パジャマ姿」で待っていると、カメラマンがやってきた。妻はゴミ袋を私から彼女に手渡しするとそれらしいんじゃないかしらと演出案を出す。どうしてこの人は取材に協力的なのだろう。妻が出ていった後、家事の撮り足しである。しかし、あたりはまだ暗い。掃除をするような雰囲気ではない。じゃあ洗濯か? つなぎのシーンもほしいというカメラマンの要望で、洗濯機から洗濯物をいくらかつまみあげる。それを持って風呂場の脱衣場にいったん引っこみ、そこから出てきて再び洗濯機に放りこみ、洗剤を入れて洗濯機を回すシーンを撮影。その次は? 洗濯物を干そうにも洗濯機は今回り始めたばかりだし、だいいち、今日は雨が降っているのだ。料理はこの間、撮影ずみだ。赤ん坊の様子を見て寝るしか私にはやることはないのである。で、カメラマンは抜き足差し足で二階に上がり、照明を落として私が赤ん坊の様子を見ているところを撮影。ついでだから私はそのまま布団にもぐりこんだら、それも撮影してくれた。担当記者は例の明るい表情ながらも恐縮することしきりである。「ごめんなさいね、私自身、信じられないことやってるなとは思うんですけどね、人の家にこんな早朝から押しかけて」。まあ、この人のこの明るさと人なつっこさがなければ、この撮り足しには応じなかっただろうな、と思う。

この後、育児休職中、私たちはテレビの取材はすべて断った。他局からモーニングショーの取材申し込みなどがあったが、これ以上テレビに付き合う気がしなくなってしまったのである。会社の広報室の担当者も、十分出てもらいましたからといって無理強いはしなかった。

テレビの効果は新聞よりはるかに強力だった。子供を抱いて買物をしていると見知らぬ買物客が話しかけ、レジのおばさんが「昨日テレビに出てませんでした?」と尋ね、帰ってくると近所のおばさんが「見ましたわよ」とテレビの話題を切り出してきた。妻の叔母たちは次々に「ビデオに撮ってみんなで見てるわよ」と言ってきた。神戸にいる甥っ子も川崎に住む甥っ子もビデオを見ては「有実ちゃん、有実ちゃん」とはしゃいでいると言う。会社の同僚には一言も洩らした覚えはないのが、どこで嗅ぎつけたのかビデオに収録したけしからぬ奴がいて、さらにけしからぬことにそのビデオの上映会まで職場で行われたという。


もくじまえつぎ