男も育児休職/5.取材を受ける

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雑誌ダネになる

取材を受けるたびにつけていたノートを読み返すと、私はこのころ新聞で七件(うち電話取材二件)、テレビで二件、雑誌で六件の取材を受けている。赤ん坊の機嫌がいい午前中に記者に来てもらい、膝の上であやしながら質問に答え写真を撮られる。二月の下旬から三月の上旬にかけて、こうした午前中の日課が続き、私は同じ話を十数回繰り返した。

「どういうお仕事をされているんですか」
「画像のディジタル信号処理技術の研究開発です。分かりにくかったらコンピューター技術者と書いておいてください」
「奥さんも、同じ会社だそうですね」
「ええ、半導体の研究をしてます」
「どうして育児休職を取られたんですか」
「夫婦で子供を作ろうという話が出たとき、『俺が育てるから作ろう』と言ったんです。その言葉の責任を取ろうとしたらこうなったんです」
「会社で上司の方はどう反応されました?」
「あっさり認めてくれました」
「同僚の方たちは?」
「おもしろがっていたようですね」
「休み中給料はどうなるんですか」
「無給になります」
「休むのには勇気が入りませんでした?」
「勇気ですか? いいえ」
「今、どういう一日を送っているか具体的に教えていただけますか?」

などなど。あまりにも同じ質問が繰り返されるので、答えのカードを用意して口で答える代わりにカードを出してすませてもいいんじゃないかとすら思った。

記者は二つのタイプに分かれた。育児問題にかなり詳しい記者と、全然知らない記者とにである。後者に男性が多く前者に女性が多いのは自然の成行きなのだろうか。むろん例外もあって、育児をまるで知らない若い女性記者もいれば、育児に専念したことのある男性記者もいて、この記者は手土産に紙おむつ一パックをぶら下げてくるという心配りを見せてくれた。育児休職についての出版物をていねいに教えてくれた男性取材者も何人かいた。

知らない記者に対しては、育児休業法から説明しなければならない。実際に育児休職と産休の区別さえついていない記者すらいたのである。そして、このタイプの記者は、男が育児休職することに対する心理的抵抗について、しつこく聞くのである。ある男性記者などは「うんこのおしめを替えるのって抵抗ありませんか?」と聞いてきた。

そんなものに抵抗があって育児休職などできるわけがない。乳児の大便は健康状態を知る重要な指標だ。私たち夫婦の育児日記には一日何回大便があったか時刻まで記されており、一回も大便が出ない日には便秘ではないか、離乳食の野菜が足りないのではないかと心配し、一日三回以上大便があった日には下痢ではないかしら、病気ではないかしらとうろたえている。大便が出ると、色、匂い、軟らかさ、固形物の有無を確かめるべく目と鼻を寄せてしげしげと観察しているのである。そして大げさに言うと、こういう作業に一種職業的な喜びすら私は見出しているのだ。だが育児の責任を負ったことのない人間には、こんなことは別世界の話である。ちょうど半年前の私がそうであったように。当然、彼らは好奇の目で取材を進める。

逆に子育てを経験した記者、そして育児休職を体験してきた記者たちとは話が早い。保育園へ入園させることがいかにたいへんかということを細かく説明する必要もなければ、育児のあれこれを説明する必要もない。むこうからも、アトピーで苦労した話、夜泣きの話、川崎病の話と、いろいろな経験談を話してくれるので、こちらもおもしろい。保育園問題に詳しいインタビューアーは、私たちの子供が保育園に入れなかった場合に力になってくれることを申し出てくれた。なにより彼女たちは、赤ん坊に対する気の気の遣い方を心得ている。機嫌が崩れかかっている赤ん坊の横で平然とインタビューを続けるなどという無神経なことはしない。

二才の男の子を持ち、育児休職の経験がある新聞家庭部の記者は、赤ん坊が眠りかけているのを見て取ると、「寝かしつけて、隣の部屋に移りませんか?」と持ちかけてきた。私と記者は紅茶の茶碗を片手に忍び足で台所に移り、インタビューを続けた。そしてインタビューが終わっても育児休職中の生活ノウハウの話を続けた。たとえば、「休職中の本の買い出しは不自由しますね」とか、「最近の本屋は都心に行かないとロクな本がないですね」とか、「公園へ行っても専業主婦のおかあさんたちの会話の輪には入っていけませんね」とか、「子供の横で本を読み始めると子供のことをついほったらかしにしてしまいますね」とか、井戸端会議のような世間話をえんえんと続けてしまった。専業主夫を始めてひと月もたち、私は世間話が恋しくなっていたようだ。


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