男も育児休職/5.取材を受ける

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本当に私は最初の男性育児休職者だったのかを調べる

ただ取材を受けるだけではおもしろくない。これだけマスコミの記者がやってくるのだから、私にとってもいい情報源になるはずである。はたして、本当に私は日本で最初の育児休職者なのだろうか。私は逆に記者の人たちに聞いてみることにした。というのも育児休職を取った当初、私は自分が特異なことをしていると全然思っていなかったのだ。男女同権が叫ばれるようになってからずいぶんとたつ。社会が完全な男女同権を実現するまでには、まだ当分かかるにしても急進的な意見を持つ先駆者が何人かは育児休職ぐらいしているに違いないと私は考えていた。

実際に男性が仕事を中断して育児した経験談を私はいくつか読んだことがある。ジョン・レノンの例を持ち出すまでもなく、俳優で映画監督の伊丹十三さんは仕事がないときに育児をし、それをネタにエッセイをいくつも書いているし、評論家の西部邁さんが失職中に育児に専念していたことが知られている。例をあげればキリがない。男の子育てがそれほどめずらしいこととは思えないのである。そういう話をすると記者たちは、「そういった例は日本ではすべて自由業の人間に限られていたのであって、普通の企業に勤める男性で育児休職したのは太田さんが初めてでしょう」と言う。

紙おむつを手土産にやってきた雑誌記者は育児休職制度の変遷を調査していたので、この間の事情に詳しかった。この記者によれば、スウェーデンの現職大臣が育児休職した事例があるなど、欧米での男性の育児休職はさほどめずらしいものではなくなっている。日本では一九六三年にTDK(当時東京電気化学工業)が、一九六八年にNTT(当時電電公社)が女性社員への育児休職制度を導入している。男性社員については一九七五年にシステムブレインという会社が男性社員へも適用を拡大した制度を導入した。しかし制度はあっても実際に休職した男性はこの会社にはいないんです、だから太田さんが最初の育児休職者だと思います、と記者は説明した。

ところでこの記者自身の話なのだが、この人は昔フリーライターをやっていたころに育児をしながら家で原稿を書いていたことがあると言う。奥さんは外で働いていたというから、立派な育児専業経験者だ。なんでこういう人が私のところまで取材に来るのだろう。自分の事例を書いたほうがてっとり早いのではないだろうか。

この記者の例でも分かるとおり、男性が育児に専念することは、実は日本でもめずらしいことではないのではないだろうか。めずらしいのは育児をしている私ではなくて、育児休職を認めた私の会社なのである。

記者たちに質問を繰り返していると、以前取材に来たテレビ局の女性記者が電話をかけてきた。今日の新聞を見てください、と言うのである。なるほど、家庭面に育児休職関連の記事が出ている。それによると東京都職員は一月から男性の育児休職が可能になり、さっそく二人ばかり育児休職していると言う。これでめでたく、私の「日本で最初の男性育児休職取得者」というタイトルは「日本の民間企業で最初の」という限定付きタイトルに後退した。うちの会社は東京都に一カ月差で負けたのである。ただ、東京都には、東京都の人事の進歩性をアピールしようというような部署が存在しなかったために新聞公表が遅れてしまったのだ。

さらに、世の中にはすごい人がいることが分かってきた。田尻研二(たじりけんじ)さんという人は男性の育児時間(保育園の送り迎えなどのために勤務時間を一〜二時間短縮する制度、会社によっては授乳時間とも言う)を会社に要求し、四年間にわたる「育児スト」を決行したという。つまり毎日一時間遅く出勤し、それを遅刻とする会社側に対して育児時間であると主張し続けたというのである。田尻氏と労働組合は主張を通し、最後には会社に育児時間を認めさせたというから、たいしたものではないか。

私には、ここまでやってしまう確固たる信条もなければ根性もない。四月から取れるというなら二月から取ってもいいんじゃないですかという論法で育児休職を認めてもらったにすぎない。正直に言うと、一九九一年の春の国会で育児休業法案が審議時間切れの廃案になっていたとしたら、育児休職申請はしなかったのではないかと思う。また、もし会社が二月からの育児休職を認めなかったとしたら、余っていた有給休暇を全部使って一カ月程度の自主育児休暇を計画していたものの、それは育児休職を申請した手前そのぐらいやってみせないとおさまりがつかないと思ったからだ。田尻さんのような強行手段に出るようなことは思いもよらなかった。

田尻さんの育児ストは新聞にもテレビにも報道されたらしいが、私は全然知らなかった。田尻さんは今まで五十件ぐらい取材に応じたというのだが。子供ができるまでは、そういう記事は意識下で読みとばしていたものと思われる。育児というのはサラリーマン社会からは見えにくい世界の中にある。子供ができるまで、私は子供のこと、保育園のこと、育児休職、育児時間のことについて徹底的に無知であった。アグネス・林論争も当初は全然知らなかった。あんなにおもしろい論争だったのに、私は途中まで何も知らなかった。街で親に抱かれた子供を注意して見るようになったのも子供ができてからだ。親になったとたん、急に子供が目につくようになったのだ。

田尻さんが世話人をしている組織に「育時連」なる組織があるという。「男も女も育児時間を!連絡会」というのが正式名称で、あちこちの会社で「職場ゲリラ戦」を展開し育児時間を勤労者の権利として勝ち取るべく運動を続けているという。私は育時連の関係している本を買ってきて読んでみたが、みなさん苦労しながら、かつ楽しそうに育児に励んでいるようだ。この人たちの苦労話を読んでいると、私などおめでたいばかりに楽をしていることが分かる。

というわけで男性の育児休職に関する先例はあったし、男性の育児時間取得に関する先例もたくさんあった。私はようやく居心地がよくなった。なんだ、俺のやってることは特殊でも何でもないじゃないか。

育児休業法の成立に当たってさかんに活動した福島瑞穂弁護士は「最初に育児休職を取る勇気ある男性には賞をあげたいぐらいだ」と発言したという。友人たちは私に福島瑞穂さんに賞を申請しに行ったらどうかとそそのかしたが、私にその資格がないことがこれではっきりした。福島さんからいまだに連絡がないことも、それを裏づけている。そう、必要だから私は育児休職したのだ。当たり前だと思ったから会社に申請したのだ。騒ぎたてるようなことは、何もない。


〔参照文献〕

東京都の男性育児休業者については朝日新聞1992年二月二十日家庭欄「育児休業 男性も当事者です」参照。田尻さんに関しては、たじりけんじ『父さんは自転車にのって 男の育児時間ストてんまつ記』ユック舎、があります。どうでもいいことですが気鋭のフェミニスト論客、上野千鶴子さんの推薦文が腰巻に付いていました。私の場合もそうでしたが、育児する男性をフェミニストは今のところ誉めてくれます。ひねくれている私としては、誉められるのを受け入れながらも、増長しないでおこうと自分に言い聞かせている昨今です。

育時連からは、育時連編『男と女で[半分こ]イズム』学陽書房、という本が出ています。育児ストや様々な男性の育児事例はこの本に詳しいく書かれていました。なお、本書出版後、本をあちこちに贈ったら、育時連から忘年会に誘ってもらい、そこから付き合いが始まり、3年後には先のたじりさんや、東京都の育児休業者の富永さんなどと一緒に、育時連編『育児で会社を休むような男たち』ユック舎、という本を作りました。今では私も育時連のメンバーとみなされるに至っています。

主夫ものの古典としては1975年に書かれた、マイク・マクレディ著、伊丹十三訳『主夫と生活』学陽書房、があります。また、伊丹十三『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』文春文庫、には伊丹十三さんの育児エッセイが収録されています。

本書執筆中(1992年5月現在)、朝日新聞福島版に『主夫の育児ノート』が連載されていたそうです。これは双子の育児に専念するために会社を退職して専業主夫になった吉田義仁さんという人の体験記ですが、本書と前後して、吉田義仁『ぼくらのパパは駆け出し主夫』朝日新聞社、として出版されました。一時期本屋で並んで積まれているのを見て「育児休職では、育児退職にインパクトで負けてしまうか」と思ったものです。

この際だから書いておきます。専業主夫といえばジョン・レノンですが、その主夫生活に関してはポーズだけで育児も料理もロクにしていないとする評伝、アルバード・ゴールドマン『ジョン・レノン伝説(上下)』朝日新聞社、というような本も出ています。また、アメリカの人気コラムニストの、ボブ・グリーン『ボブグリーンの父親日記』中公文庫は良く売れた本だし、子供に関心をもつ新しい父親像として評判を呼びましたが、よく読むとボブ・グリーンの具体的な育児協力はたいしてありません。アーリー・ホックシールド『セカンド・シフト、アメリカ共働き革命のいま』朝日新聞社、によれば子育てに協力する父親の虚像を作りだした本の例になるらしいです。第三章「文化的な隠蔽」などを見てください。「私は育児しています」という男を、そう容易く信じてはいけないということでしょうか。私の事例も含めての話です。


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