男も育児休職/6.主夫をする

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赤ん坊と付き合う(2)

私が赤ん坊の世話をしていた時期はちょうど生後四、五、六カ月のころで、それまでの寝たきりの状態から、寝返りを打ったり、ハイハイを始めたりする時期に当たっていた。妻は私が得な役回りを取ったと言う。「手がかからなくなり、赤ん坊の反応も徐々に人間っぽくなり、かわいくなり始めたところで、あなたに手渡すんだからね、あなたは本当にいい時期に育児担当するのよ」と妻は私に言った。

確かに、妻がめんどうをみた満四カ月までというのは、その寝たきりの状態から徐々に意識らしきものが赤ん坊に芽生える時期に当たっている。我々の目から見ると、生まれたばかりの赤ん坊には二つの状態しかないように見える。つまり心地よいか、不快かのどちらかなのだ。心地よければ赤ん坊は眠っている。おなかが空いたり、部屋の温度が暑かったり、寒かったりすると泣いて、自分は不快だと大人に知らせる。そして昼も夜もない。二、三時間ごとに、時には三十分ごとに泣き出しては、母親から母乳をもらい、また眠ってしまう。赤ん坊は寝ているか泣いているかのどちらかで一日を過ごし、妻は昼も夜もなくつき添ってめんどうをみなければならない。

しばらくすると、寝てばかりだった赤ん坊も目を覚ます時間が長くなる。音に反応し、親の顔を見つめるようになり、あやせば少しは笑うようになり、授乳間隔が三時間おきでほぼ一定になり、昼と夜の区別がつくようになり、アーだのウーだの発話らしきことを始め、首が座るので抱くのが楽になり、手を使ってものを持ったり、両手をつかんでゴニョゴニョ遊んだりし、ミルクを飲む量も増え、授乳間隔が四時間おきに広がり、三キロだった体重がいつの間にか七キロを越え、イナイイナイバアをするとキャッキャと声をだして喜ぶようになったころが、私の育児専任が始まった生後四カ月のことであった。

イナイイナイバアで赤ん坊が喜ぶというのは、赤ん坊に記憶力が生じたことを意味している。今までそこにあった親の顔が覆い隠されて一瞬消え、そしてまた現れる、というだけの簡単な遊びは、赤ん坊側に人間の顔の認識能力と数秒間の記憶能力があって初めて成立する。それだけ赤ん坊が成長したということなのだ。成長がその段階に達していなければ、いくら親が熱心にイナイイナイバアをやっても赤ん坊はキョトンとしている。成長がここまで進めば、機嫌がいいと、オルゴールメリーがくるくる回るのを見ていたり、おもちゃを一人でいじったりして遊ぶようになるから、親もたいへん楽になる。そして、そういう赤ん坊の姿は見ていて楽しいものだ。妻は生後三カ月を過ぎたあたりでやっと落ち着けるようになったそうだ。最後の一カ月、妻は庭に出てスケッチをしたり本を読んだりすることもできるようになった。そうやってあわただしかった生後間もなくの育児疲れを癒し、一人遊びを始めた赤ん坊を見守って静かな育児休職最後の日々を送ることができたのである。

だから、その時点で育児を引き継いだ私はずいぶん得をしていると妻は言うのだ。まあ、確かにそうだろう。私は、じっくり子供を観察することができた。私がめんどうをみている間に、赤ん坊は仰向けからうつ伏せへの寝返りを習得し、さらにその逆も習得した後、はいずりも習得した。これはハイハイに移る前段階の移動方法で、ハイハイのように膝を立てて四つんばいで移動するのではなく、胴体を床につけ、はったまま腕で体を引っ張って移動する方法である。彼女はこの技術を身につけたとたん、好奇心の赴くままに家中を探検に出かけ、片端から見つけたものを手でつかみ、口に入れてしゃぶるのだった。そして声をかければ振り返り「アバー」と発話して、ほほえむのだった。抱きあげて「タカイ、タカイ」をしてやるとキャッキャと声をあげて笑う。おもちゃを見せると、満面の好奇心をあらわに手を出してつかもうとする。

なるほど、人間に限らず動物でも、発育の過程をこれほどつぶさに観察できる機会はそうめったにあるものではない。私は、この与えられた機会を目いっぱい楽しませてもらうことにしたのである。


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