男も育児休職/6.主夫をする

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慣れる

今にして思うのだが、初めての子供というのは親をしてパニックに陥れるに余りある代物である。どう扱っていいのか分からないからだ。どこかで小児科の医者が言ったことだが、最近の母親にとっては初めての赤ん坊というのは貰ってきたワニの子供のようなものなのだそうだ。私もそうだが、ワニの飼い方を知っている母親はそんなにいないのである。そしてワニの飼い方は想像力だけでは見当がつかないのである。

どうやって抱けばいいのか、どうやってあやせばいいのか、という基本的な対処方法に始まってすべてが未経験である。せっせと育児書を読んで必死に想像力を働かせようとするが、目の前の赤ん坊がひと声泣けば、そんな甘ちょろい想像力はたちまちどこかに吹き飛んでしまう。第一、赤ん坊は一人ひとり全然違うのだ。育児書の一般論が役に立つのは最初の三歩ぐらいでしかない。そこから先は実践があるのみなのである。

だが実践というのは、最初は意欲だけが空回りし、ずいぶん無駄なことをしでかすものである。たとえば、私は離乳食の担当ということでずいぶん張り切った。張り切ったはいいが、刻んでゆでて与えるホウレン草を赤ん坊に毎日拒否され、それでもあきらめず翌日もまたホウレン草を刻んだものであった。だが、なんであんなにホウレン草にこだわったかが今思い返しても理由が思い出せないのである。どの育児書を見ても一度拒否された食品でも、そのうち食べるようになるから、あせらず別の食品を食べさせていればいいとある。ホウレン草にこだわる必要はないのである。にんじんのすりおろしでもカボチャの裏ごしでもかまわないではないか。たぶん、最初にホウレン草を拒否されたのですっかり逆上してしまい、ホウレン草を食べさせずには今後のこの子の食生活は闇の中だとばかりにホウレン草を食べさせることに執着してしまったようなのだ。

いや、そもそも離乳食を開始する時期の問題もあったのである。私は生後五カ月から離乳食を開始しようとした。しかし赤ん坊には赤ん坊の都合というものがある。赤ん坊がミルク以外のものを食べたくなる時期は自然にやってくるのだ。私たちの娘はそれが少々遅かったのだ。ある時期から彼女は猛然と離乳食を食べ始めた。生後五カ月のときのイヤイヤが嘘のような大食漢の赤ん坊となり、好き嫌いはまったくなかった。口いっぱいに食べ物をほおばっている赤ん坊を見ながら、離乳食初期に傾けたあの努力は何だったのだろうと私は考えた。

今であれば、赤ん坊の離乳食に際して起こしたパニックの確率はずいぶん小さくなるだろう。ある意味で私は「慣れた」のである。そして実践なしに、慣れはありえない。育児休職は、育児に慣れるのにたいへんにいい機会であった。


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