男も育児休職/6.主夫をする

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公園へ行く

散歩は私たち親子の必要不可欠な日課だ。いや、親にとって不可欠なだけなのかもしれない。私が休み始めた二月の初旬、中旬は寒い日が続いて、赤ん坊にとっては外に連れ出されるのは不快な季節であったようである。勝手口から十メートル行かないうちに「イヤダイヤダ」と泣き叫ぶ。泣く子と地頭には勝てぬ。私は家に戻るのだが、外出の機会が失われたことが残念でならない。そこで未練がましく散歩をドライブに替えてしまう。車に暖房を入れ、赤ん坊を乗せて、どこに行く用事もないのにハンドルを握ってしまう。

育児に専念すると、自分のことがほとんど何もできなくなってしまうことを、私は痛感した。ふらっと映画を見に行くこともできなければ、思いたって友人と飲みに行くこともできない。生後四カ月の乳児から、私は片時も離れられないのだ。確かに子供はかわいい。しかし子供をかかえると身の自由が効かなくなるのも確かなのだ。家に閉じこもっていると息がつまりそうになる。せめて家から外に一日一回は出たい。子供の散歩というのは絶好の名目だ。

二月下旬、三月上旬は取材が続き、私は散歩の機会を逃し続けた。それでも晴れていれば、記者が帰った後大急ぎで家の中を駆け回り、外出の用意をして散歩に出かけようとした。うららかな早春の昼どき、赤ん坊や幼児を連れた近所のお母さんたちは、住宅街のあちこちにできる日溜まりに三々五々集まって何やらしゃべっている。だが、圧巻は公園である。晴れた平日の昼どきの公園がああいうことになっていることを、私は今まで全然知らなかった。住宅地を回るセールスマンはともかく、昼間に会社で働く勤め人にとって、あの光景は未知のものであろう。

砂場の横には、ベビーカーがずらりと並んでいる。砂場の中といわず外といわず子供たちが、歩き始めたばかりの一歳そこそこの子供はよたよたと、幼稚園に入る前の三歳児は駆け回り、公園中を席捲している。若き母親たちはそれを横目におしゃべりに興じているのだが、声の大きさ、掛け合いの反応の早さ、複数の会話が同時進行する無秩序さに、私は圧倒されて公園の入口で逡巡してしまった。女性たちのこの世界に私は侵入を許されるのだろうか? 私はおずおずとベビーカーを転がして、公園の隅の目立たないベンチに座り、赤ん坊を膝の上に抱き上げて様子をうかがうことにした。

みんな、楽しそうだ。遠くに行きそうな子供を制止したり、滑り台に乗せてあげたり、ジャングルジムに登らせたり、まだ歩かない子供の場合は「タカイ、タカイ」などであやしながら会話が弾んでいる。育児のこと、今日の昼御飯のこと、共通の友人の近況、おいしい料理屋、芸能人の話。何人いるのだろう。数えてみると母親だけで二十人近くいる。平均一・五人の子供を連れてきているとして五十人。近所では大きめの公園であるが、ちょっと異常な人口密度だ。

観察していると、グループがいくつかあるのが分かる。滑り台前と砂場前にそれぞれ最大グループが構成されていて、にぎやかにというか騒がしく話がもりあがっている。ブランコ前にも小さく集まっている。それらから離れて子供を歩かせながら落ち着いた雰囲気で立ち話している二人のお母さんたちもいる。なるほど、人数が多い分、こういうグルーピングが自然に行われるのだ。

育児休職をした人たちの書いたものを読んでいると、この砂場コミュニケーションについても触れられている。ある人たちは、この砂場コミュニケーションにどうしても入っていけなかったと言っている。いったん会社で仕事をしてきた女性たちは、専業主婦たちの集まりに違和感を感じると言う。男の偏見かもしれないが、お母さんたちでもりあがっているあの集団の中には、私も入っていけそうにない。芸能人の話をされても私にはついていけないのである。だが別の育児休職経験者たちは、この砂場コミュニケーションでとても救われた、と述懐する。いろいろな情報がやりとりできたし、人との日常的な付き合いは何よりも心の支えになったと言う。確かに、育児のささやかな情報交換にはとっても役に立ちそうだ。予防接種はみなさん、どういうタイミングでやっているのだろう。この近所で評判のいい小児科はどこなのだろう。聞いてみたいことは、いくつかある。

私はつつましやかに公園のベンチに腰かけていたが、だれも私に話しかけてはこなかった。理由は、ほぼ明らかであった。私の無精ひげである。妻は私の無精をとがめたが、ひげを剃らなくてすむというのは育児休職の何よりの利点である。休職明けは伸ばしたひげとともに出社しようかと考えていたぐらいなのである。だが、客観的に見て、私の無精ひげは私の外観を損なった。控えめに見て「赤ん坊をかかえた失業者」、加えて「奥さんに逃げられて会社もクビになり赤ん坊を抱いて生活保護を受けているヒト」、もう少し進んで「幼女を誘拐してきた危ないおじさん」などと公園の母親のみなさんに想像されたのかもしれない。

それでも根気よく公園に通い続ければ、会話が始まったのかもしれない。だが、そんな悠長な時間はなかった。取材攻勢が終わって三月中旬・下旬、私はベビーカーを転がしながら毎日違うコースを歩いていた。四月には保育園の慣らし保育が始まった。私の育児休職は終わりに近づいていた。


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