男も育児休職/6.主夫をする

もくじまえつぎ

買い物をする

散歩に出ると、必ず買物をしてしまう。たとえばある日、魚屋で魚の顔を見ていると実にうまそうに見える。ついついアジやらサバやらイワシやら買いこんでしまい、帰ってから遅い昼飯の焼そばを作り、その後、〆サバ、アジの南蛮漬け、イワシの梅干煮などを作っていると、あっというまに夕方になってしまった。半日をかけて魚料理ばっかり作っていたことになる。不毛だ。そう思いながら翌日は野菜を買いこんでいるのだから我ながら情けない。

買物は代償行為なのかもしれない。会社に行かず、社会的行為が極端に減ってしまったために、家の外で何かをせずにはいられないのだ。そして、買物をするという私に残された唯一の社会的行為が強調されてしまうらしい。買物好きの専業主婦に対して、私は急に同情的になってしまった。

赤ん坊を抱いて買物をしていると、それまで話したことのなかったスーパーマッケットのレジのおばさん、おねえさんが愛想よくしてくれるようになった。最初は赤ん坊に話しかける体裁で「あらかわいいわね、お父さんとお買物なんだ、いいわねぇ」などと言ってくる。そのうちに「今日はおとなしいですね」だとか「今日は眠っていますね」だとか親に向かって直接話しかけてくるようになり、会話が始まり、私はすっかり顔馴染みになっていた。あるときなどは私が買物を袋に詰めている間、「赤ん坊を抱いててあげましょう」と申し出てくれた。この間まではただのおっさんであった私は、子供を抱いていることで一挙に信用される客に昇格したのである。

ある日、女性店長に「テレビに出てませんでした?」と聞かれたので肯定すると、そこをふりだしに、私の会社の育児休職制度、このスーパーの福利厚生制度に会話が進んだ。店の中で立ち話をしていると、ふと「俺もすっかり、おばさん化しているなぁ」と感じてしまう。買物に出て、店の人や近所の人と立ち話をする。うーん。立派なおばさんだ。私はおばさんの生活的必然性を身体で実感したのである。


もくじまえつぎ