男も育児休職/7.仕事をしたくなる

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7.仕事をしたくなる

会社のコンピューターに接続する

育児休職をしたので、私はさぞかし妻思いの人間で、「会社より家族」をモットーとするマイホーム主義者だろうと人からは思われているらしい。そういう単純な見方をされると私は居心地が悪い。だから「太田さんは仕事中毒の会社人間だ」と、かつて後輩から断定されたことを言っておかなくてはいけないし、どうしても日程のやりくりがつかなくて妻と赤ん坊の退院の日、私は病院へ迎えに行っていないことも言っておく必要がある。実際、新生児時代の平日に私はほとんど家事・育児をやっていない。

休職中に会社のことを忘れろというのは、無理な相談のように思えた。いや、そもそも育児休職に踏み切った理由は、休み中でも会社とそこそこにコンタクトできるという見通しがあったからである。実は私は自宅から電話で会社のコンピューターに入れるのである。

パソコン通信でやるのと同じ要領で、自宅のパソコンにモデム(変調器)をつけて電話で研究所のコンピューターと交信するわけである。すると、自宅のパソコンは会社のコンピュータの端末として使うことができてしまうのだ。これはたいへんに便利な仕掛けだ。夜中や休日に自宅からコンピューターのチェックができるし、簡単な仕事もできてしまう。何よりも私たちのふだんの業務にコンピューターは大きくかかわっている。上司からの簡単な仕事の指示、部下からの報告のかなりの部分がコンピューター上の電子メール(電子化された手紙)でやりとりされているし、社内外からの問い合わせや依頼も少なからずこれが使われている。自宅からコンピュータに入れるならば、こうした仕事を家ですますことができるし、電子メールや電子掲示板を読んでいるだけで会社の様子は把握できる。

アメリカでは、電話料金が安いことも手伝って、こうしたことがたいへんに発達している。部内からアメリカに留学していたH君は自宅から大学のコンピューターに入って仕事をしていたが、同時に国際回線を使い太平洋を渡り会社のコンピューターによく出没していた。いや、出没してたなんてものではない、会社のコンピューターに常駐していたといってよい。だれかが電子掲示板で技術的な質問をすると、太平洋の向こう側からH君があっというまに回答しているのである。「それは、どこどこのコンピューターの、どこどこのプログラムを使えばいい」だとか「そのマニュアルなら、どの部屋のどのキャビネットの何段目に置いてある」だとか「どこどこのコンピューターのプログラムに不備があったけど、この間の週末に直しておきました」だとか、まったく距離を感じさせないフォローを、彼はネットワークを介してやってみせた。

おかげで、私たちはH君が留学中だということを忘れたほどだった。彼の留学中に入ってきた新入社員の中には彼が留学していることを三カ月間知らなかったのがいたぐらいだ。隣の部には「最近どういうわけかH君を見ないなあ、コンピューターでは見かけるんだけど」と言った人もいた。部長は「あいつは何のために留学したんだ」と愚痴をこぼした。

アメリカのH君が華麗にやってみせ、技術的にも決してむずかしくないこの在宅アクセスは、だが実際運用上ではたいへんにめんどうな問題が持ち上がる。安全性の問題と勤務管理の問題である。

安全性(セキュリティ)については今でもよく新聞ネタになる。どこそこのコンピューターにハッカーが侵入しただとか、ウィルスに汚染されただとか。一九八八年十一月に米国研究機関のコンピューターがいっせいに動かなくなるという事件が起こった。ある学生がおもしろ半分に流したプログラムがネットワークを通じて全米のコンピューターに感染、それが各コンピューター内で異常増殖し、コンピューターの機能を麻痺させたのだった。コンピューターの安全性は頭の痛い問題だ。私が自宅から会社のコンピュータに入れるということは、ハッカーも会社のコンピューターに侵入できる可能性があるということだ。ハッカーはすきあらば、あらゆるところに侵入してくる。そして自由自在にコンピュータを渡り歩いたりする。有名な事件では、旧西独からアメリカや日本のコンピュータに侵入していたハッカーの集団がいたそうだ(今もいるのかもしれないが)。彼らは長距離の国際回線を多用しながら、ほとんど電話代を払わずにすませていたという。安全性を確保するために、ハッカーの侵入を阻止するために、コンピューターの管理者は何重にも安全策を講じなければならない。

もう一つの問題は勤務管理の問題だ。自宅から会社のコンピューターを使うと、それは仕事をしたことになるのだろうか。タイム・カードの範囲外だから仕事には数えられないのか、それとも会社の設備であるコンピューターを使って業務に関係することを行うのだから仕事に数えるのか。仕事に数えるなら、それは勤務時間として認められるのか。仕事に数えないなら、会社の設備を使っていることをどう解釈するか。

こうした問題を乗り越える具体的な対策を求めて、私の研究所で実験が開始された。ボランティアを募って実際に自宅から定期的に会社のコンピューターに入ってもらい、運用上の問題点を探ってみようというものだ。渡りに舟だった。育児休職を計画していた私はこの実験のボランティアに志願した。

午前中、赤ん坊が昼寝に入ると私はただちにパソコンのスイッチを入れ、会社のコンピューターに接続した。毎日何通かやってくる電子メールに目を通し、それらに返事を書く。電子掲示板に目を通して部の様子や会社の様子を把握する。気になることがあれば、適当な人物に問い合せの電子メールを書く。それが私の日課になった。

さらに休職直前にはファックスを買いこんである。コンピューターでは図や手書きのメモがやり取りできないからだ。ときおり、私の求めに応じて図が入った文書が会社からファクシミリでやってきた。

かくして、私は休職中も会社にしがみ続けたのだった。いいことだったのか、悪いことだったのか。無給の休職中の身の上だから、上司からは仕事の指示はない。私は勝手に会社の雑用を、重要度の低い雑用をやっていた。場合によっては一日一時間にも満たない、ささやかな子供の午前の昼寝時間は、私にとって会社とつながる貴重な時間だった。考えようによっては、これはかなりみっともない姿である。私は「会社離れ」ができなかったのだから。


〔参考文献〕 クリフォード・ストール『カッコーはコンピューターに卵を生む』草思社


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