男も育児休職/7.仕事をしたくなる

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電話をかける

社員にリフレッシュ休暇を義務づけているある会社では、その休暇中に会社に電話を入れることも禁止しているという。そうしておかないと会社が気になって「つい」電話を入れてしまう管理職が後を絶たないからだという。休暇中「つい」会社に電話を入れ、問題が起こっている仕事があると知るや否やファックスで書類を送らせて家で仕事を始めてしまい、休暇がふっとんでしまうという日本企業のサラリーマンに身についた美徳はちょっとやそっとではぬぐえそうにないらしい。欧米から非常識だと非難されようが、奴隷根性とののしられようが、生活の喜びを知らないんだと陰口をたたかれようが、これは生き方にかかわる問題であって、根は深いのである。

さて私の場合、モデムで会社のコンピュータに接続するだけでは飽きたらず、会社に電話を入れては部下の話を聞くのが習慣になっていた。「つい」なんてものではない、確信犯的に私は開き直っていた。そうでもしなければ私がもたないのである。私はリフレッシュ休暇を取ってどこかのリゾートで寝そべっているわけではなかった。私は家事・育児という仕事に埋もれつつあった。電話でもしなければ、自分がいったい何者かが分からなくなってしまいそうだった。情けない話だが、起きている時間のほとんどを使っていた会社生活はあまりにも大きかったのだ。

部下こそいい迷惑だったのかもしれない。休職中の上司から電話がかかってきてストレス発散の相手をさせられるのだから。

だが、そこまでして会社にしがみついたから私は育児休職を過ごせたのかもしれないのだ。育児に縛られる生活の中で、そういうモノをもっておかなければならないような気が私にはした。もちろん、それはほかのものでもかまわないのかもしれない。人によったら、こういう機会を幸いにスピーカーの自作をしてみるだとか、岩波古典文学大系全巻読破だとか、三味線のおさらいだとかの目標を設定して育児の合間に実行するのかもしれない。しかし私は私を実は信用していないのだ。趣味の世界に没頭したら最後、私は赤ん坊のことを忘れてしまうだろう。学生時代、夢中で本を読んでいて電車を乗り過ごすことが何回あっただろうか。映画館のハシゴをしているうちに人との約束を忘れてしまい、夜中まで映画を見続けたことが何回あっただろう。私は仕事をすることで自分を律する必要があった。

だから、私は会社を利用させてもらうことにした。休職期間は二カ月と少しという短期間だ。会社をちょっとばかり支えにさせてもらってもかまわないだろう。それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。


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